27 これから
結局、雨は三十分ほど待っても上がらなかった。
そのため、ノエに「これ以上は待てない。止ませて」と言われ、エウフェミアは精霊術で雨を止ませることになった。
その後は言われた通り、ひたすら霊水入りの瓶に加護をかける作業が始まる。エウフェミアが問題なく加護をかけられてることを確認すると、ノエは立ち上がる。
「こっちの作業は任せてもいい? 僕は川から空虚の根までの距離を計ってくる。どれぐらいの間隔で瓶を置けばいいのか先に計算しておかないと。置き終わってから、置く間隔を間違えて瓶が足りなかったなんてことはしたくないからね」
「分かった。ここにある分が終わったらどうすればいい?」
小さなトランクに入っている瓶は全部で五十本ほど。先ほど試したときは十本ほどまとめて精霊術をかけても問題なかった。ここにある分はノエが戻ってくる前に終わってしまうだろう。
「離れから残りのトランクも持ってきて、残りにも同じように加護をかけておけばいいかしら」
「残りのトランクは重いよ。エウフェミアじゃ運べない」
「シリル様たちのお力を借りるのは駄目なの?」
残りのトランクはどれも大きい。確かにエウフェミアでは運べないだろうが、ジェシーやグレッグなら運べるだろう。
ノエは腕を組む。難しい顔で思案してから、「そうだね」とこちらの意見を取り入れてくれた。
「彼らも暇を持て余しているだろう。少しは役に立ってもらってもらおうか」
そうして、川に運んだ分の瓶に加護をかけると、エウフェミアは離れに急ぎ戻る。シリルに協力を仰ぎ、ジェシーたちにトランクを運んでもらうと、残りの瓶にも加護をかける。途中、戻ってきたノエも作業に加わり、千本の瓶すべてに精霊術をかけ終わる頃には夕方になっていた。
「あとはここから空虚の根まで約二・五メートル間隔で霊水を配置していくだけだ。それも明日には終わると思うから、銷却を行うのは明後日だ」
最終確認を終えたノエはそう宣言する。瓶の入ったトランクの蓋を閉める。それから、こちらを振り返った。
「明日の作業は僕が一人でやるよ。霊水の加護が弱まっていないか確認しながら瓶を置いていかないといけないけど、……エウフェミアはそういうことはできないでしょう?」
痛いところをつかれ、エウフェミアは力なく「はい」と頷くしかできなかった。
祈雨のお守りを作ったときもそうだったが、エウフェミアは物に精霊術がかけられているかの判別がつかない。
ノエ曰く、精霊がいるのを感じ取れるのと同じようにこういったものは感覚らしい。そういう直感とも言えるようなものは本来幼い頃から自然と身についていき、精霊術師の修行の中で感覚を研ぎ澄ませていくそうだ。
昼間、エウフェミアが霊水にかけられた精霊術を感じ取れなかったとき、ノエはこう言った。
『元々目や耳に頼ってたから、他の感覚で感じ取るのが苦手なのかもね。生まれつき目が見えない人は他の感覚が敏感だろう? だから、目が見える人が目を閉じたときより多くのことを感じ取れる。でも、途中で失明してしまった人も、そのうち他の感覚が鋭くなっていく。エウフェミアもきちんと訓練すればそのうち感じ取れるようになると思うよ』
もしかしたら、今後また精霊たちを感じられるようになるかもしれない。そのことを喜びながらも、自分の力不足を悲しみもした。
今も残りの大変な仕事をノエに任せることに罪悪感はある。しかし、自分にできないことを嘆いてばかりではいけない。エウフェミアにも出来ることはある。
「じゃあ、ノエのために美味しい食事を用意しておくわ」
仕事を終えたノエを精一杯もてなす。それもエウフェミアにできることだ。
笑顔を向けると、ノエは一度固まった。それから、明後日の方向に視線を向けると、妙に大きな声で「ありがとう」とお礼を返してくれる。
挙動不審な言動にエウフェミアは首を傾げる。
ノエは先ほど閉じたばかりのトランクを開けては閉じるという謎の動作を始める。それから、大きく深呼吸をすると、今度こそトランクに鍵をかける。そして、また、こちらに向き直った。
「……それから、もう一度、改めて聞かせてほしい。君は、本当に精霊術師としてやっていく気はないのかい?」
表情を強ばらせるエウフェミアに、ノエは少し迷いながらもはっきりと告げる。
「もう新しい依頼を受けるつもりはないって言ってたけど。僕は、精霊庁の正式な承認を得て、精霊術師として活動を続けるべきだと思う。生命の精霊の恩寵を受けた精霊術師の誕生は、七家や精霊にとって——いや、この世界にとっても非常に重要なことだ。君の存在には必ず意味があって、何かしらの役割が用意されているはずだ。一度ガラノス家と無関係になったのに、今こうしてここにいるのも、エウフェミアがそういう定めを持っているからじゃないのかな?」
彼の言うことは説得力がある。
確かにガラノス家と無関係になったにも関わらず、エウフェミアは水の大精霊に再会し、親族に出会った。まるで精霊と関わる生き方が正しい道のよう。——そんな風に自分でも考えてしまう。
「それに、正式な精霊術師となれば八年前の精霊会議で何があったのかも調べやすい。この世界のためにも、君自身のためにも精霊術師となってほしい。僕はそう思っている」
まだ年若い水の精霊術師は使命感が強いのだろう。まっすぐ向けられた眼差しは真剣だった。エウフェミアはその視線を受け止めきれず、足元を見る。
——どうするのがいいのだろう。
それは一度これ以上考えまいと思考を放棄した難題だ。とてもではないがすぐに答えは出せない。
俯向いたまま黙り込んでいると、ノエが「分かってる」と息を吐いた。
「今ここで答えを出すのは難しいだろう? だから、明日一日かけてしっかり考えておいて」
残りの準備を自分一人でやると言ってくれたのも、この選択がエウフェミアにとって難問であることが分かっていたからだろうか。
そのことに思い至っても、今のエウフェミアには気遣いに対して感謝を述べる余裕もない。代わりに疑問を投げかける。
「……私のことが伯父様たちに知られても平気なのかしら」
「そこは心配しなくてもいいと思うよ。公に精霊術師と認められるってことは皇帝を味方にするのと一緒さ。叔父上だって簡単に手出しはできない。せいぜいできて嫌がらせくらいだよ。水の精霊だって、精霊庁だって、役割を果たさない仮のガラノス家当主より、君の味方になるだろうさ」
商会の寮の管理人という労働階級の人間ならともかく、精霊術師となれば確かに無理やり屋敷に連れ帰ることもできないだろう。そういう意味でも精霊術師になることは自身の立場が優位になる。
考えれば考えるほど、精霊術師になる選択肢を選ばないのがおかしいことのように思えてくる。
――それでも。
「……少し、考えさせて」
今ここで答えを口にすることはできず、ノエの言葉に甘えることにした。




