26 もし。
呆れた様子でノエは説明を始める。
「空虚の根銷却にはキトゥリノ精霊爵も立ち会う。精霊庁にも公的な記録が残る。当主以外の精霊術師が空虚の根銷却を為せば、精霊庁や他の精霊術師から一目置かれるのは間違いない」
「ええ、そうね……?」
だから、ガラノス家次期当主を目指すノエには絶好の機会なわけだ。それはエウフェミアも理解している。
「君は今、正式にはその存在を知られていない。でも、君が空虚の根銷却をすれば、精霊庁から正式に認められ、その実力を保証してもらえることだろう。これから、精霊術師として活動するなら、精霊庁――ひいては皇宮の後ろ盾を得ることは重要なことだよ」
――精霊術師として活動する。
それはまったく考えていないことだった。エウフェミアは目を見開き、ノエを見つめる。彼は不思議そうに言う。
「そんなことも考えていなかったの? 君はもうガラノス家の人間とは言えない。どこの家にも属せないんだから、自分の足元を固めることも考えないと駄目だよ」
「いえ、そうじゃなくて」
ノエはエウフェミアが精霊術師として活動することを前提に話している。両手を振ってそれを否定する。
「私が精霊術師として依頼を受けるのは今回きりと思っていたの」
こちらの発言にノエは怪訝そうな表情をする。
「昨日も話したでしょう? 私はハーシェル商会で寮の管理人をしてるの。今回、シリル様に頼まれてウォルドロンまで来たけど、次の仕事までは考えていないわ。だから、空虚の根銷却はノエにやってもらって全然問題ないの。むしろ、ノエにやってほしいわ」
「…………確かに今まで精霊術が使えないって思い込んでれば、そういう考え方になるのかな」
唸りながらもノエはこちらの考え方に理解を示そうとしてくれる。
「僕にとって――昔のエウフェミアもそうだと思うけど、精霊術師になるのは生まれたときから当然のことだ。それ以外の生き方があるなんて考えたこともない。だから、そんなこと言われるとは思ってなかった」
精霊貴族に生まれれば精霊術師になる。そこに例外はない。エウフェミアもそう思っていた。
だからこそ、今、それ以外の生き方を歩めているエウフェミアはある意味幸せ者だろう。精霊貴族という枠組みの外でエウフェミアはハーシェル商会という居場所を得た。そして、そこにいること、そこで働くことはこれ以上ない自分の願いだ。
――しかし。
精霊術師として働くことを否定してから、それでいいのかという疑問が浮かんでくる。そう思ってしまう理由は分かりきっている。昨日聞いた、ノエの話だ。
自分が生命の精霊の恩寵を受けていること。そして、家族の死が事故ではないかもしれないこと。
ノエと話せたことで今までエウフェミアが抱えていた疑問の多くが解消された。空虚の根の銷却さえ叶えば、エウフェミアは再び日常に戻ることができる。
それは元々望んでいた形だ。しかし、ひっかかりが残る。それはまだうまく形になっていない。その輪郭を掴みたくて、エウフェミアはノエに質問をした。
「ねえ。もし、お父様たちが亡くなったのが事故でないのなら。……そのことを知るにはどうすればいいと思う?」
彼からしたら脈略のない問いだっただろう。
一瞬驚いた顔をされたが、すぐにノエは真剣な顔で思案を始める。そして、答えを返してくれる。
「八年前の精霊会議の参加者に話を聞くのが確実じゃないかな。でも、ガラノス家には該当者がいない。叔父上は参加していなくとも何があったか知ってるかもしれないけど……聞いたところで教えてもらえないだろうし、君が叔父上と会うのは危険もありそうだ。だから、他の六家から探すべきだ」
六家ということはキトゥリノ家、エリュトロス家、プラシノス家、カフェ家、アスプロ家、ポイニークーン家だ。――その中で真っ先に思いつくのは金髪の青年だ。
「キトゥリノ精霊爵はどうなのかしら」
エウフェミアと同世代に見える青年。彼が同い年以上であれば可能性はある。しかし、即座に否定される。
「いや。確か彼はエウフェミアより一つ年下だ。八年前はまだ精霊会議に参加できる年齢じゃない。もしかしたら、先代のキトゥリノ精霊爵から何か聞いてるかもしれないけど……そもそも、彼の場合、まともに対応してくれるかも分からないね」
ノエは肩をすくめる。
確かにキトゥリノ精霊爵はろくな説明もなく、ノエを離れに行くように言った。しかし、態度自体は友好的なもので、ノエに対して悪意や敵意があったようには見えなかった。
「キトゥリノ精霊爵は悪い方には見えなかったわ。頼めば、知っていることを教えてくれるかもしれないじゃない」
「確かに? 彼にも僕を主屋から追いやらないといけない深い事情があったのかもしれないよね」
ノエは声をあげて笑ったが、それが本心からのものでないことはエウフェミアにも分かった。笑いを引っこめると、彼はこちらを窺うように見る。
「聞いてみてあげようか」
「――え?」
「エウフェミアが聞いても、君を精霊庁の人間だと思ってるキトゥリノ精霊爵は質問に答えられないだろうからね。でも、あまり期待しないでくれよ。さっき言ったとおり、彼は何も知らないかもしれない。そうなると、お手上げだ」
そう言って、彼は実際に両手を上げて見せる。
「他の六家の人間と接触する機会なんて、精霊会議を除けばほとんどないんだ。空虚の根銷却は例外中の例外だよ。七家の間には互いに干渉しないというルールがある。同じ依頼を受けることがないわけじゃないけど、基本的に顔を合わせることはない。そういうしきたりがあって、精霊庁がそうなるように配慮してくれてるからね。それに、僕がグレイトス様たちのことを調べ回ったら、叔父上に気づかれるリスクもある。大精霊の紋章がなくても、ガラノス家の当主は叔父上だからね。最終的に逆らうことは難しいんだよ」
不服そうながらも、仕方ないとばかりにノエは肩を落とす。その様子を見て、エウフェミアは慌てて両手を振る。
「変なことを聞いてしまってごめんなさい。気にしないで。ノエにはもう十分たくさんのことをしてもらったわ。これ以上何かをしてもらうのは申し訳ないわ。キトゥリノ精霊爵も知らない可能性が高いのでしょう? なら、無理に聞く必要はないわ」
彼には精霊術についての正しい知識を教えてもらった。その上、リスクを抱えてまで八年前のことを調べてもらおうとは思わない。
――でも。
表面上、笑みを取り繕いながらも、家族の死の真相を調べたいという欲求は簡単に捨てられるものではないことに気づいている。
――自分自身の手でそれを調べることはできないだろうか。
どうしても、そう考えるのを止められない。
精霊術師に会うことは容易くない。八年前の精霊会議に参加した精霊貴族を探し、接触する。それはハーシェル商会の寮管理人をしている間は難しいことだ。
(――でも、もし、私が精霊術師としての道を選べば)
そこまで考えて、思考を止める。そこから先はまだ考えたくなかった。




