25 続・銷却方法
ノエは言う。
「僕は元々、事前に霊水に仕掛けを施して、水の精霊たちを空虚の根まで呼ぼうと思っていた。いくら水の精霊を大量に向こうへ送り込んでも、その近くで実際に銷却を精霊に命じることのできる精霊術師がいないと空虚の根を消すことはできない。向こう側に精霊術師がいるのは絶対だ」
精霊術が届く距離がどれくらいかは分からないが、ここから空虚の根までニキロメートル以上あるのは確実だ。そんな遠くまで精霊術は届かないのだろう。
「でも、こちら側――この川辺で直接水の精霊たちに霊水を辿って空虚の根へ向かうよう命じることのできる精霊術師がいれば、霊水に施すのは加護だけですむ。難易度はぐっと下がるんだ」
「二人で協力すればいいのね」
エウフェミアは思わず明るい声を出す。
それは自分も少なからず空虚の根償却に協力できることと、その内容が自分にもできそうと思ったからだ。
「水の精霊を空虚の根へ送る。それなら、私でもできると思う」
未だ自身の精霊術師としての能力には不安な点も多いが、皇宮でアーネストとした実験結果から目の前の精霊に単純な指示を出すことには自信が持てる。
ニコニコと笑顔で告げると、ノエは少し硬い表情のまま「うん。それを確かめさせてほしい」と言った。
彼は立ち上がり、ローブについたフードを被る。
「水の大精霊様を鎮めたっていうのは聞いたけど、実際に君が精霊術を使うところは見せてもらってないからね。疑うわけじゃないけど、先に実力を見せてほしい」
確かにノエには実際に精霊術を使うところを見せていない。納得し、エウフェミアも立ち上がる。
「やってほしいことは簡単なことだよ。ここに雨を降らせてほしい」
「雨を?」
「大丈夫。ここにはたくさん水の精霊がいる。彼らに声を届けられるなら、それほど難しいことではないよ」
エウフェミアは事前に言われて持ってきていたフード付きの上着を着る。そして、服の下から精霊石を取り出そうとし――。
「ストーップ! ストップ!」
そこをノエに止められた。
エウフェミアが驚きで固まっていると、ノエは非難するように指を指して言う。
「精霊石はね、精霊術師にとって命そのもの! 身につけていれば精霊術は使えるんだから、そんな簡単に出しちゃ駄目!!」
「そ、そういうものなの?」
「そう! 人に見せるのも言語道断! 本当によっぽどのことがなきゃ、出しちゃだめだよ! 誰かに精霊石を見せてと頼むのも失礼なことだからね!」
ノエの反応からまさか、既に何人かの人間に気軽に見せているなんて言えない。エウフェミアはそのことは秘密にしておこうと決め、「わ、分かった」と返事する。
そうして、改めて、意識を集中する。目を閉じる。
(雨を降らして)
心の中で祈ると、周囲が光ったように感じた。目を開けた瞬間、空から水滴が落ちる。最初は静かな滴が一粒、二粒、やがて怒涛の雨音に包まれた。
ゴーゴーという雨音がうるさいぐらいに耳を打つ。視界も白く、ほとんど見えなくなってしまった。
想像していた以上の豪雨に、エウフェミアは言葉を失う。ノエは呆れたようにため息を吐く。
「…………まさかこんなに降るなんて」
「ご、ごめんなさい。加減が分からなくて――」
「いや、謝らなくていいよ。雨粒の量でどれくらいの能力かを計るために頼んだものだから。ろくに修行をしていないのに、これだけたくさんの精霊たちに命令できるんだ。エウフェミアが規格外ってことはよく分かった。僕でも何の下準備もなく、こんな豪雨は降らせられない」
ノエは軽く手を振る。
すると、体を打っていた雨粒の感触が消える。周囲を見回すと、ちょうどノエとエウフェミアの頭上を覆うように水の膜が浮かんでいる。水の膜が雨粒を吸収し、雨からエウフェミアたちを守ってくれていた。
(すごい)
便利な使い方に感動していると、ノエは再び岩に腰かける。
「どれくらい雨が続くかも確認しておきたい。雨が止むまで休憩しよう。その後、瓶に加護をかける作業に移る」
エウフェミアも同じように座り、空を眺める。雨はしばらく止みそうにない。雨音に耳を傾けていると、ノエが口を開いた。
「昨日はごめんね」
それは謝罪だった。しかし、心当たりはまるでない。
エウフェミアはノエを振り返る。彼はまるで叱られた子どものように肩を落としている。
「急にあんな話をしてしまって――僕もあの後反省したんだ」
「あんな話って……お父さまたちが事故死じゃないってこと?」
「そう」
ノエは頷く。
「重要なことだから早めに伝えなきゃって思ったんだけど……失敗だったかなって。もう少しタイミングを見計らって伝えるべきだった」
「そんなことないわ。私はそのことを教えてもらえてよかった。……多分、自分じゃ気付けなかったと思うから」
察しの悪い自分では大精霊の恩寵を受けた者の特徴から事故死の不自然さに気づくことはできなかっただろう。
「でも、家族を失った人への配慮が足りてなかったと思う。言い訳じゃないけど、……僕はそういう経験がないから」
そう、どこか申し訳なさそうに頭を押さえる少年を見て、思わず笑みがこぼれる。
「ノエはいい子ね」
それは本心からの言葉だった。しかし、いつも一人前の紳士を気取る彼からしたら気分を害する発言だったようだ。
ノエは引きつった笑みを浮かべる。
「それって、僕のこと子供扱いしてるのかな?」
「いえ、そういうつもりはなかったのだけど……ごめんなさい」
非難するようにこちらを見ていたノエだったが、諦めたように息を吐く。
「いいよ。僕は寛大だからね。許してあげる」
「ありがとう」
その言葉に肩をなでおろす。それから、ノエは「それと」と話を変える。
「聞いておきたいんだけど――空虚の根銷却という一大任務。それを僕がしてしまってもいいの?」
今まさに空虚の根銷却のために準備を勧めている彼がなぜ、そんなことを聞いてくるのだろう。不思議に思い、エウフェミアは首を傾げた。




