20 生命の精霊
新しい単語が出てきたことにエウフェミアは戸惑う。
「ええと、それは」
「精霊たちの世界の見え方は僕たちとはまったく違うらしいんだ。精霊が視えるってだけじゃなくて、温度とか、物の構造とか……そういう色々なものも分かるって言われてる」
ノエはゆっくりと語り出す。
「その精霊たちと同じものを視れるのが精霊の眼と呼ばれる者たちだ。精霊の眼は七家でもたった二人だけ。大精霊の紋章を与えられた人間は、七家すべてを合わせたら十四人だ。そのことを考えれば、それ以上に特別と言ってもいいだろ?」
精霊と同じものが視えるというのはあまりピンとこない。しかし、ノエが特別と言った理由はよく分かった。
「精霊の眼は一人を右の眼、もう一人が左の眼と呼ぶ。アルテミシア様は右の眼だった」
確かにエウフェミアの記憶の中で、明確に水以外の属性の精霊を認識していたと覚えているのは母だけだ。
風の精霊と一緒にいたずらをしようとしたら、そのことに気づき叱ったのは母だ。夜、眠るとき「暗くても闇の精霊が一緒なら怖くないでしょう?」と微笑んでくれたこともある。単純に幼いエウフェミアの世話をしていたのが母だったから印象的に覚えているということではなく、すべての精霊たちを視ることができたのが家族で唯一母だけだったからなのだろう。
兄に続いて母のことを思い出し、気持ちが少しだけ沈む。必要と思ったことはそれで説明しきったのだろう。ノエは「そういう訳で」と話をまとめにかかる。
「君の家族に全員精霊が視えたのは理由があってのことで、精霊術師であってもそれは普通のことじゃない。だから、過去に君が精霊が視えていて、今はもう視えなくなったとしても、それは精霊術師としての能力とはあまり関係ない……と思う。さっきも言ったとおり、君はイレギュラーだ。本当のところはちょっと分からないなあ」
ノエは困ったように髪の毛をいじる。
彼の語る話はどれもエウフェミアにとっては衝撃的でありながら興味深い。精霊術師にとっての常識を教えてもらったことは非常にありがたかった。エウフェミアは感謝の言葉を伝える。
「ありがとう、ノエ。色々教えてくれて」
「これくらい、精霊術師にとって常識さ。君は改めてどこかで精霊術師として必要な勉強をしたほうがいいかもしれないね」
精霊術師としてもいかに自分が常識知らずか、恥ずかしくなってくる。
苦笑を返し、そこでもう一つ聞いておきたいことがあったのを思い出す。
「そうだ。私の髪と瞳の色が変わったのはどうしてなのか、ノエには分かる?」
それはイレギュラーの話だ。
精霊が視えなくても精霊術師としてはおかしくないとは言ってもらえたが、結局その理由は解明できていない。同様に髪と瞳の色が変わった理由も分からなくてもしかたないが、現状のノエの考えを聞いておきたかった。
正直、分からないと言われることを覚悟していた。しかし、ノエは真剣な表情で「これは完全に僕の推測なんだけど」と前置きをした。
「君が大精霊の恩寵を得ているのは間違いないと思う。そうじゃないと、あそこまで空虚の根に近づいて無事だったわけがない」
それだけの説明ではエウフェミアには理解できなかった。首を傾げると、そのことが伝わったようで補足をしてくれる。
「大精霊から恩寵を受けると、その肉体と命運に加護を受ける。簡単に言うと、死ににくくなるんだ。病気にはなりにくいし、怪我だってしにくい。一般人に比べるとかなり運にも恵まれる。そういう自覚はない?」
確かに記憶するかぎり過去、病気になった記憶はない。ハーシェル商会で風邪が流行ったときも、エウフェミアは皆の看病を引き受けたのに風邪が移ることはなかった。
「ええ。昔から病気にはまったくならないわね。怪我は、……するようなことはほとんどないからよく分からない」
「怪我をする状況っていうのは誰かに襲われるとか、自分から危険な行動をしないかぎり、運がかかわってくるからね。不注意とか、偶然での怪我はしづらくなってる。空虚の根に近づいても平気なのは、その加護のおかげだよ。大精霊の紋章を授かった精霊術師なら他の人間に一時的に似たような加護を与えることはできるけど、普通はそうもいかない」
大精霊の恩寵というのは日常生活ではあまり関係してこないと思ったが、意外なところで恩恵があったのかと感心する。
「だから、君の体は、もともと水の大精霊様に守られていた。でも、八年前……精霊会議に参加したときに、別の誰かに“上書き”されたのかもしれないね」
「でも、他の六人の大精霊の恩寵を受けても色は銀にはならないでしょう?」
恩寵があるから空虚の根に近づいても平気だった。色が青じゃなくなったのは別の大精霊の恩寵。そこまではおかしくないが、結論は変わらない。他の六人の大精霊の色は別のものだ。
ノエは頷く。
「そうだね。他の六人の大精霊では銀にはならない。でも、もう一人忘れてはいけない存在がいるだろう?」
「……もう一人?」
エウフェミアが首を傾げていると、ノエはため息を吐いた。
「万物の創造主。――生命の精霊様だよ。忘れたのかい?」
「――……!」
それはまさに青天の霹靂だった。この世界にもう一人だけ存在する、大精霊に匹敵する――いや、より上位の存在。
――かつて何もなかったこの世界に最初に生まれたのは精霊だった。一人が寂しいと思った彼は同族である精霊たちを生みだし、共に世界を創った。
「もし、エウフェミアが生命の精霊様の恩寵を受けたっていうなら、ある程度説明がつく。大精霊様が精霊たちを従えているように、大精霊様の主は生命の精霊だ。生命の精霊に認められた存在だから、あらゆる属性の属性の精霊たちが視え、無条件に愛されていた。……と考えば、説明のつく事が多い。どっちにしろ、精霊たちが視えなくなった理由は説明がつけられないんだけどね」
確かにその説明は多くの不明点を解消できる。しかし、世界の真の創造主たる生命の精霊の名が出てきたことには困惑が強い。エウフェミアは感情のまま、反論を口にする。
「でも、生命の精霊様は眠りにつかれてしまったでしょう?」
――『創世記』の物語の最後。
大精霊たちは眷属である他の精霊たちも生んだ。そして、生命の精霊は人間や動物といった多くの命を生んだ。
しかし、その反動で生命の精霊は力を使い果たしてしまったのだ。眠りにつく直前、彼は七人の大精霊に告げた。
『私は力の多くを使い切ってしまった。これからの世界をお前たちが見守ってくれ』
こうして、世界は七人の大精霊に託された。それが、『創世記』の終わりだ。子供でもみんな知っている。
「生命の精霊様は亡くなられたわけじゃないよ。深い眠りについているだけ」
ノエは静かに答える。
「そもそも『無色の城』は生命の精霊様の眠る場所に築かれたんだ。たから、精霊会議に参加したエウフェミアが生命の精霊様と何かしらの形で接触しててもおかしくない。あそこには生命の精霊様の祭壇もあるしね」
エウフェミアは再び言葉を失った。ノエの説明に何も言い返せなかったからだ。




