19 誤解
「一度、場所を変えよう」とノエに言われ、エウフェミアたちは移動を始めた。
道を外れ、森の中をしばらく進むと、小さな沢が現れた。清らかな水が音を立てて流れ、周囲は苔むした岩に囲まれている。
そこには今朝、ノエが持っていったトランクが開かれて置いてあった。その中にはびっしりと瓶が並んでいる。少しだけ空いたスペースがあり、そこに入っていただろう瓶もトランクの近くに置かれている。
興味を引かれ、瓶に近づく。瓶は透明な液体で満たされている。おそらく水だろうか。
それを見て、エウフェミアは納得する。道理でトランクがあんなに重そうだったわけだ。
「これって、空虚の根の銷却に使うもの……なのよね?」
「そうだよ。中に入っているのは霊水。水の精霊を引き寄せやすい特別な水だよ。——ほら。そこに座って」
ノエはトランクを閉じ、椅子代わりになるように立てる。「失礼します」と、エウフェミアはあまり体重をかけないように気をつけながら腰かける。ノエは近くにあった岩に座り、難しそうな顔をする。
「精霊について教えるって言ったけど、どこから教えればいいかな……。本当なら時間をかけて話すことなんだけど」
ぶつぶつと独り言を言うノエを黙って見守る。そうして、彼は「そうだね。まず、君が持っている誤解を訂正するところから始めた方がいいかな」と話を始めた。
「特定の属性の精霊に好かれると他の属性の精霊には相手にされなくなる。これはこの間話したね。これは僕たちガラノス家の人間も同様だ」
「でも、私は」
「そう。君はそのセオリーには当てはまらない。一回そのことは横に置いておくよ。多分、君はイレギュラーな存在だから。まずは精霊術師の常識を知ってほしい」
——イレギュラー。
その言葉に納得と安心を覚える。一人前の精霊術師であるノエにそう言ってもらえたことで、いくら説明がつかないことに説明がついたからだ。
「まず、精霊術を扱うには、二つの要素がある。一つ目は、“精霊にどれだけ好かれているか”。二つ目は、“祈りを精霊に伝える力”。」
ノエは指を立てる
「“精霊にどれだけ好かれているか”というのは、先天的なものだね。精霊たちは好きな相手の言うことに素直に従ってくれる。これは生まれながらのもので、本人がどう望んだって努力で変えられるものじゃない。逆に“祈りを精霊に伝える力”。これは後天的に伸ばすことができるものだね。“祈り”って言われているけど、実際には“命令”なんだ。強い命令には精霊たちも従ってくれる。一人前の精霊術師になるのに人によって必要な年数が違うのはこの二つの要素のせいだよ。精霊に好かれやすい者、そして、祈りを精霊に伝える力が強い者は一人前になるのが早い」
「ノエはどっちなの?」
早くても一人前になるのに五年かかるところを更に一年短縮した彼はどうなのだろう。
ノエは少し考えてから答えた。
「多分だけど、両方。……そう思ってる」
「多分?」
「精霊にどれだけ好かれているのか。僕はそれを自覚できないからね。すごく小さい頃にグレイトス様に会ったことがあるらしいんだけど、その時に『とても精霊に好かれている。いい精霊術師になる』って言ってもらったことがあるんだって。だから、多分僕は精霊に好かれている。でも、より高度な精霊術が使えるよう、人一倍は努力をしていたつもりだ。何も頑張ってないとは言われなくないかな」
そう言い切る姿は自信に満ち溢れていた。
ノエは努力家なのだろう。そして、その結果得た実力に誇りを持っている。エウフェミアは、彼の努力とその結果がとても素晴らしいものに思える。同時に、その発言の中に何か違和感を覚える。
しかし、それが何なのか考える前に、ノエが説明を再開する。
「それで、ここまでが普通の精霊術師の話。で、大半の精霊術師にとっては無関係だけど、当主を目指すにはすごく大事なことが一つある」
「……それは何なの?」
伯父ではなく、父が先代当主であった理由。それをエウフェミアは――というより、アーネストは水の大精霊に特別に愛されることだと仮定した。
「エンヴリマを授かれるかどうかだよ」
「エンヴ……?」
「大精霊の紋章。大精霊に認められた証だよ。——君も精霊石は持ってるんでしょ? 十歳になった精霊術師の子どもたちは精霊会議で大精霊に引き合わされる。そこで認められると、精霊石に紋章が刻まれるんだ。その紋章を得た者は大精霊の力を借りれるようになる」
「……それって、すごいことなのよね?」
大精霊のすごさは以前、母から聞いている。しかし、未だその力を見たことがないエウフェミアにはあまりイメージが湧かない。
エウフェミアの言葉に憤慨したように、ノエは声を大きくする。
「もちろん! 規模の大きな精霊術を発動させるのにどれだけ苦労するの思ってるんだい!? 大精霊の紋章を授かったら、さっき言った精霊にどれだけ好かれてるとか、祈りを伝える力の強さとか、本当にどうでもよくなるんだから! ほぼほぼ無条件で大規模な精霊術を扱えるようになるから僕たちがするような修行もしなくてよくなるんだ! それでも、数年修行するのは当主にとって必要なものを学ぶためらしいんだけど――とにかく、大精霊に認められるってのは特別なことなんだよ」
そこまで一気に言い切られる。それから少し落ち着いたのか、ノエは元の大人びた口調で話を続ける。
「それで、大精霊の力が使えるようになると、普通の精霊術師にはできないことがいくつかできるようになる。大規模な精霊術の行使。そして、精霊たちを視認する能力だ」
エウフェミアが、言われたことを呑み込むには時間が必要だった。しかし、ノエはこちらの理解を待たない。
「普通の精霊術師には精霊たちの姿を視ることはできない。僕だってそうだ。存在を感じることはできるけどね。視える精霊術師は特別なんだよ」
混乱からうまく回らない頭を必死に動かす。
幼い頃、エウフェミアの周りにはたくさんの精霊がいた。そして、その姿は自分だけでなく、家族の――母や兄の目にも映っていたはずだ。少なくとも、母にはよく精霊たちと遊んでいて、悪いことをすると叱られていた記憶がある。
エウフェミアはそのことを訴える。
「でも、私も――家族も、父だけじゃなくて母も兄も精霊が見えてました」
「君のお兄さんも大精霊の紋章を授かっていたはずだからね」
ノエはあっさりと言う。
「大精霊様と引き会わされるのは十歳のとき。だから、大精霊の紋章を授かるのは当主、というよりは次期当主だ。大精霊の紋章を授かった子供が一人前になって、当主の座を継ぐ。そして、当主の座を明け渡した先代当主は大精霊様に大精霊の紋章をお返しする。――そうやって、七家の当主は代替わりしてきた。元々、君のお兄さんは次期当主だった。だから、大精霊の紋章を授かっていたはずだ」
「……だから、お兄様にも精霊が見えていた?」
「うん。それと、大精霊の紋章を授かる人の中には、十歳を迎える前に大精霊に認められている場合がある。そういう人は生まれつき精霊が視えるんだ。君のお兄さんが十歳になる前から精霊が視えてたなら、生まれつき水の大精霊様に認められていたのかもね」
兄が十歳の頃、エウフェミアは六歳だ。その頃の記憶はおぼろげにあるが、兄が精霊と遊んでいたかは思い出せない。
エウフェミアは「どうだったのかしら」と首をひねる。ノエが「なんにしても」と話を戻した。
「グレイトス様も君のお兄さんも水の精霊しか視えてなかったはずだよ。大精霊の紋章を授かっても、視えるのはその属性の精霊だけだから」
そう言われてみると、兄が水の精霊と一緒にいたことは印象的に記憶に残っているが、それ以外の属性の精霊といた記憶は残っていない。いつも水の精霊としか一緒にいないこと自体は水の精霊術師の訓練を始めていたことから何も不思議に思っていなかったが、それがガラノス家の人間にとっては当たり前のことだったのかもしれない。
ひととおり理解したものの、胸の中にはまだ引っかかることがあった。
「お兄様もお父様と一緒だったというのは分かったわ。じゃあ、お母様はどうだったの?」
まだ説明を受けていない母のことを訊ねる。ノエは少し間を開けてから答える。
「アルテミシア様は、大精霊の紋章を授かった精霊術師以上に特別だった。
——彼女は、《精霊の眼〈オプタルモス〉》だったから」




