14 憤りの理由
キトゥリノ精霊爵の要求を受け入れ、ノエは離れへと移動した。当然シリルやエウフェミアたちも一緒だ。
歩いて五分ほどの場所にある離れは、主屋に比べるとこじんまりとしている。しかし、ここだけで生活できるように厨房もバスルームもある。部屋数はゲストルームを含め四つ。グレッグとジェシーが同室になることで、数はちょうど足りる。
エウフェミアはジェシーやグレッグと建物内のチェックを終えると、居間に戻った。暖炉の前のソファにはノエとシリルが座っている。
「どうだった?」
シリルの問いにグレッグが答える。
「キトゥリノ精霊爵のおっしゃるとおり、温水器は壊れていました。それを除けば問題ありません。どの部屋も掃除が行き届いていて、ベッドも問題なく使えます」
使っていないにも関わらず、ウォルドロン子爵は普段から手を入れているのだろう。キトゥリノ精霊爵の言ったとおり、こちらでの生活も問題なさそうだ。
ノエはソファの背に寄りかかり、笑みを浮かべる。
「なかなかいいんじゃない? これくらい手狭な方が、目も行き届く。他家の顔色を窺う必要がないという点でも、むしろ最上の環境さ」
「素敵な考え方です」
前向きな捉え方にエウフェミアは笑顔で賛同する。しかし、精霊庁の三人はなんとも浮かない顔だ。特にシリルは沈痛な面持ちをしている。
「……このような事態になってしまい、申し訳ありません」
どうやら、彼はノエが離れに追いやられたことにひどく責任を感じているらしい。少年は息を吐く。
「君たちの事情に理解を示さないほど僕の器は小さくないよ。それにこれは叔父上の不徳によるものでもある。この八年で精霊庁からガラノス家への信頼は地に落ちた。今も昔も表立った問題を起こさず、帝国に献身するキトゥリノ家側につくのは当然のことさ」
紅茶の用意をしていたエウフェミアは気になる言葉に一瞬、手を止める。しかし、割って入るのはよくないと思い、口をつぐむ。
二人の前にカップを置く。その頃には話は空虚の根に変わっていた。
「空虚の根の場所はどこか分かってる?」
「キトゥリノ精霊爵の話では、大体この辺りだそうです。ここから北に四キロメートルのところ。周囲二キロメートルは立入禁止区域としています。元々は水源地でしたが、二十年ほど前から枯渇しています」
テーブルの上にはウォルドロンの地図が置かれている。シリルが書き込んだ空虚の根が発生したとされる場所を見つめ、ノエが口を開いた。
「明日、僕一人で空虚の根の調査に行ってくる。一度自分の目で確かめてみたい」
「私達も同行します」
即座に返したシリルに、ノエはどこか不憫そうな視線を向けた。
「悪いけど、僕じゃ一般人に降りかかる空虚の根の悪影響を抑えることはできないよ。そんなことができるのは七家の当主だけだ。ボクほど優秀な精霊術師であっても、できないことはある」
「それでもついていくのをお許しください。何もせず、ここで待っているわけにもいきません」
「――シリル。君は少し冷静になったほうがいいよ」
少年は自分より年上の官吏に言い聞かせるように言う。
「空虚の根銷却は精霊術師の領分だ。精霊庁には手が余る。今回の君たちの仕事は僕たちのサポートと、空虚の根銷却後に現地を確認することだ。それ以上のことをしようって言うのはでしゃばりだよ。結果を出したいっていう気持ちは分かるけど——」
そこで一度、ノエは我に返ったように言葉を切る。それから誤魔化すように続ける。
「とにかく、明日は僕一人で行く。君たちはいつ僕が帰ってきてもいいように居間を暖めて、食事の準備をしておいてくれよ」
◆
翌朝、ノエは宣言どおり一人で出発した。遠くなる背中をシリルはじっと見つめる。彼の横顔はどこか悔しそうだった。
エウフェミアは昨日言われたように食事の準備をする。いつ戻ってくるか分からないため、事前に作っておいて、温めてすぐ出せるものがいい。そう思ってスープを作り、パンと果物を一緒に出すことを決める。
支度を終えたエウフェミアが居間に戻ると、そこには火の番を任されたジェシーしかいなかった。
シリルの姿を探し、離れ中を探した後、玄関を出る。その近くに茶髪の青年が立っているのを見つけ、安堵の息を漏らした。
「シリル様。こちらにいらっしゃったのですね」
彼はこちらを振り向いたが、すぐにまた視線を戻す。その先にあるのはキトゥリノ精霊爵が滞在している主屋だ。
「どうされたのですか?」
その問いかけにシリルは答えない。なんとも言えない沈黙が流れる。
他の話題も思い浮かばず、エウフェミアは黙って官吏の青年を見上げる。しばらく経って、唐突にシリルは口を開いた。
「エフィさんもノエ様も、不公平だとは思わないんですか?」
「…………何がでしょう?」
「片や立派な広々とした屋敷が与えられ、片や小さな離れに押し込まれている。その状況をです」
正直なところ、エウフェミアは屋敷の広い狭いはまったく気にならない。だからこそ、離れを褒めたノエの意見に賛同した。しかし、シリルはそうではないらしい。
主屋を見つめるその目は、悔しさと屈辱、そして怒りを滲ませていた。エウフェミアは努めて笑みを浮かべる。
「離れだって十分ですよ。生活するには十分な設備が揃っているではありませんか」
「……そういうことではありません。その扱いの差は『お前たちの価値はその程度だ』と言われているのと同じなんですよ」
――そういうものなのだろうか。
エウフェミアにはすぐにその意見に賛同も納得もできなかった。しかし、少し考えてから、確かに一理あるのかもしれないと思った。
もし、ノエが本当に重要な人物と思われているのなら、ネイサンはキトゥリノ精霊爵を説得しようと試みてくれただろう。しかし、妥協点を探すことなく、彼は精霊爵の要求を受け入れた。ノエより精霊爵を優先したのだ。
ただ、二人の立場には違いがある。
ノエは精霊爵ではなく、さらに伯父――現当主が過去に水の大精霊の件の虚偽報告、そして今回の空虚の根銷却任務の放棄といった不祥事を起こしている。それを思えば、待遇に差が出るのも無理はない。
しかし、シリルはそのことに納得していない。ノエを蔑ろにされて怒っているわけではないように思う。そういう価値観の人ではないことは既に分かっている。
少し考えて、エウフェミアは彼の怒りの原因に思い当たった。
「……シリル様は、ご自身も軽んじられていると思われたのですか?」




