11 三者の思惑
ハーブティーを淹れたエウフェミアは再びノエの客室を訪れた。淹れたてのカモミールティーを口に運ぶと、満足そうにノエは笑った。
「本来の香りを損なわずにお茶淹れられる腕を持つ使用人は重宝すべきだね。この香りを引き出すとは、大した腕だよ。精霊庁の役人は素材の品質を重視するけど、人の才能を見極めるのが下手だからときどき嫌になってしまうよ」
「ご満足いただけたようで光栄です」
味を気に入ってくれたことに安堵する。
シリルが用意してくれたクッキーを茶うけとして出す。少年は好奇心に満ちた目でこちらを見つめてくる。
「君、名前は?」
「エフィでございます」
「家名は?」
いつもの癖で名だけ名乗ったが、精霊庁の人間であれば姓があって当然だろう。使用人といえど、皇宮に参内を許されるのは中流階級以上の人間だ。
「エフィ・フロマです」
「フロマ嬢。君の淹れるお茶を気に入ったよ。明日の朝、目覚めにぴったりなハーブティーを淹れてもらってもいいかな?」
まだ若い少年が大人の紳士のように話すのが面白くて、ついエウフェミアは笑いをこぼしてしまった。口元を手で覆い、それを誤魔化しながら答える。
「ええ。喜んで」
しかし、エウフェミアが持参したのはカモミールティーだけだ。朝飲むのであれば、ペパーミントやレモングラスがいいだろう。そういったものが宿に置いていないか、後でシリルたちに相談してみよう。
ノエは「こっちはまあまあかな」とクッキーを頬張る。テーブルに置かれたカップが空になったのに気づく。
「おかわりはいかがですか?」
「うん。お願いするよ」
ティーポットからカップにもう一杯分、ハーブティーを注ぐ。ノエがゆったりとした時間を満喫するのを見守る。そして、ふと、二人きりになった今が、彼の話を聞く絶好のチャンスなのではないかと気づいた。
――なんでもいい。何か情報を得たい。
少し緊張しながら、エウフェミアは話しかける。
「ノエ様はいつ頃から精霊術師としてお仕事をされているんですか?」
一瞬、眉が不愉快そうに歪む。慌てて謝る。
「気を害してしまったのであれば、申し訳ありません。私はシリル様の部下ではあるのですが、その……働き始めたばかりなのです。何も知らない浅学をお許しください」
何を知らないのは本当のことだ。ノエはじっとこちらを観察するように見ていたが、呆れたようにため息を吐いた。
「まあ、いいよ。美味しい紅茶を淹れてもらったからね。ガラノス家ではこういうのを飲むのは難しいから。そのお礼ということで少しなら教えてあげてもいいよ」
そう言って、彼はカップを置いた。
「まずは基本から。精霊術師の修行は十歳から始まるのが決まりなんだ。そこから一人前と認められ、一人で仕事を受けれるようになるのは早ければ五年、遅いと十年と言われている。僕はたった四年で一人前の証であるこのローブを受け取った。それから大体一年くらいになるかな」
その言葉でノエの年齢が十五であること、人によって修行期間の長さが違うことを知る。
従姉妹のテオドラは去年十八歳だったが、まだローブを貰ってはいなかった。ノエに比べると遅い方ということだろう。
エウフェミアはこちらが思案しているのを気づかれないよう、相槌を打つ。
「ノエ様は優秀なのですね」
「これくらい当然さ。なんせ、僕は――次期ガラノス家当主なんだからね」
さも当然と言わんばかりにノエは言い切った。思わず、疑問が口からこぼれる。
「次の当主はテオドラ様ではないのですか?」
先ほどの質問以上に、その発言は彼の機嫌を損ねたのだろう。不機嫌そうな表情を浮かべられた。慌てて言葉を重ねる。
「ええと、その、ガラノス家の系譜を見たことがあるのです。それで、現当主であるセオドロス様の長子はテオドラ様というのを存じ上げておりまして……だから、テオドラ様が次の当主だと思いこんでいたのですが、違うのですか?」
「……何も知らなければそう思うのは当然かもね」
なんとかノエは機嫌を直してくれたようだ。それから、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出す。
「精霊術師の一族の当主は、能力で決まるんだ」
それは、大精霊に特別に愛されているかどうかのことだろうか。あるいは、まだ知らない別の素質のことなのか。
精霊庁の使用人に詳しい情報は明かせないのだろう。ノエの説明は抽象的なその一言だけだった。
「確かに当主の長子が跡継ぎになることは多いよ。その点についてはテオドラに比べて、僕の方が少し不利かもしれないね。でも、水の精霊術師としての能力は僕の方が勝っている。誰がガラノス家の当主に相応しいかはすぐに明らかになるさ」
彼は余裕を感じさせる動作で足を組む。
「そういうわけだから、大船に乗ったつもりでいてよ。今回の依頼を完璧にこなして、いかに僕が優秀かということを知らしめてあげるから」
そう、ノエは尊大に微笑んだのだ。
◆
ノエがハーブティーを飲み終えると、そのカップを回収し、客室を出た。
ひとまず、ノエと友好的な関係を築くのには成功したように思う。少し離れた場所で様子を見ていたジェシーに近づく。彼と一緒にシリルとグラッグの待つ客室と向かった。
それは昨夜、二人で一緒に夕食をとった場所だ。部屋に入るなり、シリルは立ち上がる。
「いかがでしたか?」
「明日の朝、またハーブティーを淹れるお約束をしました」
安心させるように笑顔を向けると、彼も安堵したように表情を和らげる。
「それでご相談なのですが、私はカモミールティーしか持ってきていないのです。朝の目覚めに相応しいものをご要望だそうで、……この宿にハーブティーはありますでしょうか?」
「確認してまいります」
そう言うとすぐにグレッグは部屋を出て行った。それを見送ってから、改めてエウフェミアはシリルに向き直る。
「シリル様が任された世話役の仕事内容を教えていただけますか?」
その辺りのことをエウフェミアは詳しく聞いていない。シリルの付き従うだけであれば、世話役がやるべきことを理解していなくとも問題なかっただろう。しかし、協力すると言った以上、彼に任された役割をきちんと理解する必要がある。
シリルは逡巡しているようだった。いつも綺麗な笑顔ばかり浮かべている顔に、明らかに迷いが見える。彼はしばらく黙っていたが、意を決したように話し出した。
「本来、世話役の仕事は様々あるのですが……、空虚の根銷却時に任されるのは精霊爵の身の回りのことだけです。現場調査も、問題解決の手伝いも何もできません。精霊爵が仕事に集中できるよう、その環境を整える。それが仕事です」
それは少し違和感を覚える説明だった。しかし、そのことは口に出さない。
シリルは一度言葉を区切り、唇を噛んだ。
「ただ、今回私は世話役以外にも、父から別の命令を受けています。その内容は水の精霊術師の力で空虚の根銷却を為させるよう、取り計らうというものです」
「……それは、本来のお役目と何が違うのですか?」
世話役は精霊爵が空虚の根銷却に集中できるような環境を整える。それと、銷却を為せるように取り計らうの違いがエウフェミアには理解できなかった。
シリルはこちらを窺うようにじっと見つめる。それから、エウフェミアの質問に答えた。
「以前も話したように、空虚の根銷却は精霊爵の役目です。ノエ様は優秀な精霊術師ですが、精霊爵でもなければ跡継ぎでもない。……だから、父はノエ様が空虚の根を銷却できる可能性はかぎりなく低いと考えています」
驚きに目を見開く。ノエが空虚の根銷却を行う。その前提ですべてを理解していたからだ。
「――それは」
「もちろん、そうなった場合のことは考えています。ノエ様が役目をまっとうできないときは代わりに、キトゥリノ精霊爵が銷却を行うことになっています。空虚の根を消さなければ、ウォルドロンの地は世界から消えます。そんなことになってはならない。そのことは父も十分理解しています」
精霊庁が空虚の根銷却に失敗を容認しているわけでないことに安堵する。
「どう転んでも空虚の根銷却は必ずなされるでしょう。ですが、キトゥリノ家の力を借りることになれば、私は父の命を遂行できなかったことになります。――そうなれば、エフィさんに水の大精霊様を鎮めてもらったことで手に入れたせっかくの好機を逃すことになります。私の精霊庁内での立場を良くするどころか、二度と父からチャンスを与えてもらうことはできないでしょう。閑職に追いやられ、わびしい一生を送る羽目になる」
話しながら、シリルは髪をかきあげる。険しい表情から、彼がその状況になることを恐れているのが分かった。
エウフェミアは考える。
(お父様に任された仕事がこなせない。閑職に追いやられる。シリル様はそれが嫌なのね)
彼は幾度となく聞き触りのいい言葉を発してきた。民のために水の大精霊を鎮めたい。エウフェミアの役に立ちたい。だが、そこに彼の本音はなかった。
(きっと、今の言葉がシリル様の本音)
彼が気にしているのは他者ではなく、自分。――彼が動く理由は、他人のためではなく、自分自身のためだった。
ようやく、それがシリルの本質なのだと理解した。
そのことに思うことはある。しかし、今それを表に出したくない。だから、エウフェミアは笑顔を作った。
「――では、そのように努めましょう」
シリルは目を瞠った。彼を勇気づけるために言う。
「ノエ様もご自身で空虚の根銷却を行うおつもりのようでした。レイランド公爵がどのようなお考えでも、ノエ様が使命をまっとうできればシリル様の役目を果たせます。私もお二人に協力したいです。そのためにやれることをやりましょう」
エウフェミアとシリルの物の考え方は違う。ノエにもノエの思惑があるだろう。三者が見ているものは、それぞれまったく違う。
しかし、空虚の根銷却を為したいという想いは同じ。ならば、手を取り合える。そして、協力し合えればきっと目的を達成できると、そう信じることができた。




