6 新たな依頼
便箋に書かれた文字は荒い。
『精霊庁長官殿へ』
シリルの父宛に書かれた文を読む。
文章自体は手紙の手本のような時候の挨拶から始まり、丁寧に依頼に対しての返答が書いてある。その婉曲な言い回しを読み解いたエウフェミアは、思わず困惑した。
「ええと、その、私には手紙にガラノス精霊爵が自分の代役をウォルドロンへ送ると書いてあるように思えるのですが」
「その通りです。ノエ・ガラノス様がガラノス精霊爵の代わりを果たしてくださるそうです」
ノエという名前をエウフェミアは知らない。親族の誰かなのだろう。
もう一度手紙に目を落とす。その内容は簡単に言えば『自分が出るほどのことではない。他にやる気のある者がいるから、その人物を送る』というものだ。
「ええと、こういった場合、当主以外の方が出てくるのは普通なのですか?」
「いえ。空虚の根銷却は精霊爵自らが執り行われます。例外は跡継ぎとなる方くらいですね」
「その、ノエ……様は次期当主なのですか?」
訊ねながら、エウフェミアは答えはノーだと思った。伯父は長女であるテオドラを自身の後継者にしたがっていた。この一年半のガラノス家の事情を知らないとはいえ、その考えを簡単に変えるとは思えなかった。
シリルは困ったように笑う。
「さて。次期精霊爵が誰なのかは精霊庁が関知するところではありませんから。ただ、ノエ様はまだお若いながら、優秀な精霊術師と聞いていますよ。ああ、もちろん、エフィさんほどではないですが」
褒められたものの、エウフェミアは複雑な気持ちだった。
離別したはずのガラノス家の話を再び聞くことになるなんて思いもしていなかった。そうして、話の内容から彼の用件がまたガラノス家に関連することであることも察する。
「それで、ご用件というのはウォルドロンの空虚の根に関すること、ということなのですよね?」
「理解が早くて助かります。エフィさんには私と一緒にウォルドロンに向かい、空虚の根の銷却を見守ってほしいんです」
「――見守る?」
エウフェミアは驚いた。てっきり、空虚の根銷却を依頼されるかと思ったからだ。
「ああ。今回、私は空虚の根銷却に携わるになりました。しかし、空虚の根の近くに行くというのは普通の人間にとって危険なことです。お恥ずかしながら、不安で不安で仕方ないんですよ」
枕詞どおり、シリルは照れたように笑う。
確かに公爵子息となれば、危険な目に遭うことは早々ないだろう。不安を抱いても当然だ。
「腕が立つ部下を連れてはいきますが、万が一の際はどんなに強い護衛でも対処できません。ですが、大精霊様の恩寵を受けた精霊術師は例外です。精霊術師であれば、空虚の根の悪影響というのは最低限まで抑えられます。そのため、私の護衛のため、ウォルドロンへ同行してほしいのです」
依頼内容は理解した。エウフェミアにできることがあるなら、手を貸したいと思う。——しかし。
「その、帝都からウォルドロンまでは往復でどれくらいかかるのでしょうか? どれぐらいで帝都に戻ってこれますか?」
心配なのはその距離だ。ウォルドロンは帝国の端にある。同じ辺境であってもインズ村のあるピアーズ山脈よりも遥か遠く。地図で見るかぎり、往復に一ヶ月以上はかかりそうだった。
「そうですね。特別な移動手段があるので、馬車より速く往復できますが……帰ってくるまで二、三週間ほどは必要と考えてほしいです」
思ったよりは短いが、それでも十分長い期間だ。エウフェミアには使っていない休暇もあるが、それほど長い期間休むことはできない。助けを求めるように隣の会長に視線を向ける。
「それほど長い間寮を空けるわけには――」
「許可してやってもいいぞ」
それまで沈黙を貫いてきたアーネストが口を開いた。彼は目を開け、目の前の紅茶に手を伸ばす。淡々と言葉を続ける。
「今回きりだ。どうしてもって言うなら休む許しを出してやってもいい。ただし、タビサから了解を取れ。お前が不在の間、アイツが寮の管理をすることになるからな」
強力的と思えるほどあっさりとアーネストが許可を出したことに違和感を覚える。しかし、そのことを訊ねる前に、シリルが満足そうに微笑んだ。
「そう言ってもらえて助かります。前回のように色々と無理な要求をされてはたまりませんから。今日はずいぶんと物分かりがいいですね」
「それで挑発してるつもりか? 無駄な喧嘩は買わん主義だ。——さっきも言っただろ。今回の件にハーシェル商会は関与しない。そういうやり取りはお前ら二人で勝手にやってくれ。うちはあくまで物の売り買いが専門だ。仕事の仲介業務なんてやってねえんだよ」
そう言ってまたアーネストは目を閉じてしまった。本当に今回の件に口出しするつもりはないらしい。エウフェミアは少し考える。
皇宮の一件で、自身に精霊術師としての能力が残っていることは証明された。しかし、未だに謎は残っている。なぜ、自身の髪と瞳が変わり、精霊が見えなくなったにも関わらず、精霊術が使えているのか。その理由は知りたい。それは精霊貴族の知識があれば、その謎を解明できるかもしれない。
そして、何よりウォルドロンに行けば精霊術師に会える。キトゥリノ精霊爵に、伯父一家以外のガラノス家の人間。純粋に彼らに会ってみたいという気持ちは強かった。
決心はついた。顔をあげる。
「そうですね。タビサさんに確認してからになりますが、問題なければシリル様にご一緒します」
「ありがとうございます」
その後、寮に戻りタビサに相談すると、「精霊庁のお仕事はすべて大事なものです! ワタシのことなんて気にしないでください!」と快諾してくれた。
そうして、翌日エウフェミアはウォルドロンへと出発することになった。シリルは「明日、迎えに来ます」と約束し、帰って行った。執務部屋に残ったエウフェミアは改めてアーネストにお礼を言った。
「お休みをくださって、ありがとうございます」
「礼ならタビサに言え。不在の間、給料は出さんぞ。欠勤扱いにさせてもらう」
「ええ。それで構いません」
笑顔を返してから、エウフェミアは決意を伝える。
「私、会長のおっしゃっていたことを少し考えてみようと思います」
「…………あー。どの話だ?」
心当たりがないのか、あるいは複数あるのか。怪訝そうに眉をしかめるアーネストに「本質と真意のお話です」と答える。
「確かに私はシリル様のことをよく存じあげていません。どうしてまた依頼をしてくださったのか、お伺いしてみようと思います」
「聞いても建前しか答えねえと思うぜ」
「それでも聞いてます。そうでなければ、シリル様のことを知ることはできないでしょう?」
あの青年のことはアーネストの方がよく理解しているかもしれない。答えてくれるのがただの建前であっても、本人の口からきちんと聞いてみたい。そう伝えると、アーネストは呆れたような感心したような息を漏らした。
「休暇中の話だ。お前の好きにするといい」
「はい」
エウフェミアは笑みを浮かべる。そして、新しい仕事に思いを馳せ、少しだけ浮かれていた。




