2 タビサの身に起きたこと
名指しされなかったトリスタンを含め、四人が向かったのはアーネストの執務部屋だ。
二週間、主人が不在だった執務机には先ほどまで処理をしていたように書類とコーヒーカップが置かれている。トリスタンが代わりにここで仕事をしていたのだろう。
アーネストは従業員たちに応接用のソファに座るように言う。
席順は上座にアーネストとエウフェミア、下座にトリスタンとタビサだ。なぜ自分がトリスタンではなくアーネストの隣に座らされたのか。エウフェミアは少し戸惑った。しかし、アーネストがトリスタンに状況報告を求めたことでようやく意図を理解する。
「この二週間、何か変わりはなかったか?」
「ええ。特段大きな問題は起きませんでしたよ。うちの従業員は優秀ですからね。若様一人いないぐらいで仕事を滞らせる人なんていませんよ。ただ、アポイントメントを取っていたハフィントン侯爵夫人には『若様はペンもとれないほどの高熱に見舞われ寝込んでいる』と説明しているので、お詫びの手紙を書いてほしいっス」
「あのご夫人には手紙とそれなりの贈り物を用意しときゃなんとかなるだろ。特に問題ねえな」
部下の報告に満足したのだろう。次にアーネストはタビサを見る。彼女はずっと俯いたままだ。
「タビサ。故郷に戻ってから何があったのか、説明できるか?」
◆
タビサの身に何が起きたのか。おおむね、シリルから聞いていた通りだった。
故郷インズ村に帰り、家族も近所の人もタビサを大歓迎した。そして、準男爵の館はクビになったものの、既に帝都で新しい職を見つけたこと。そこで働いた賃金を持ち帰ってきたことを伝えるとそれはそれは喜んでくれた。
タビサの不名誉な噂はインズ村まで届くことはなく、またそのことでインズ村が不利益を被るようなことはなかったらしい。準男爵は屋敷から盗人を追い出し、その評判を周囲に広めただけで溜飲を下げてくれたようだ。タビサはそのことに安堵した。
しかし、これで全て丸く収まったわけではない。インズ村が抱えている根本的な問題は水不足と、それによる不作だ。大金を持ち帰ったとしても、そもそもピアーズ山脈周辺は物資不足に喘いでいる。いくら銅貨があっても買えないものはいくらでもあった。
だから、タビサは帝都から持ってきた祈雨のお守りを飾った。
それは彼らにとってはいつもしている当然の風習。しかし、物資不足により、祈雨のお守りの材料にできる布地さえも今はない。そのため、家族は喜んでくれた。
これで少しでも雨が降ってくれれば。——そんな期待を抱きながら、兄弟と並んで眠る。そうして、朝を迎えると、当たり前のように雨が降っていたのだ。
ここ最近のピアーズ山脈近隣では一ヶ月に一度雨が降るかどうか。突然の雨に家族も村人も喜んだ。そうして、『きっとタビサが帝都から持ってきてくれたお守りのおかげ』と笑い合った。寮の先輩であるエフィがお守りを作るのに分けてくれたのは元は上等な布だ。こんな布でお守りを作ったことは一度もない。だから、きっと精霊様が喜んでくれたのだ。タビサはそんな風に無邪気に喜んでいた。
それから、連日雨は降り続いた。
これだけ急に雨が降ると土砂災害も心配になってくるが、雨は時には小雨になったり、降り止んだり、こちらの気持ちを察するかのような塩梅で振り続けた。その光景は干害に苦しまされる以前、タビサが幼い頃に見ていた頃のように見えた。
そんな風に雨が降り続いていると、その話を聞いた近隣の村人達がインズ村に集まってきた。水不足が解消されたのはインズ村周辺だけで、他の集落はまだ雨が降らないことに悩まされているらしい。そこでタビサは家族と村人と話し合って、お守りを彼らに分け与えることにした。
その時のタビサは、まだ事態を深刻に受け止めていなかった。
幼い頃から精霊に深い信仰を持っていた彼女にとって、多少の不思議な出来事は『精霊サマの恵み』で済んでしまうものだった。だから、お守りを分けた周辺の村でも雨が降り始めたと一報が入ったときも『それはよかった』と自分ごとのように喜んだ。
そして、そろそろ帝都に戻る為に準備をしているときに精霊庁の官吏がやってきたことで、ようやく事態の深刻さを理解したのだった。
彼らはタビサに『祈雨のお守りを作ったのはお前か』と訊ねた。あまり深く考えずにタビサはそれに頷いた。そして、半ば無理矢理その地方にある精霊庁の庁舎へ連行され、あれやこれやと詰問されたと云う。そこで、ようやくタビサはあのお守りに水の精霊術がかけられていたことを知った。
『何か心当たりはあるか?』
そう問われたものの、タビサには本当に心当たりはない。ただ、思い出せる限り、事実を伝える。そうして、官吏達は精霊術をかけた張本人がエフィだと見当をつけた。
(なぜ、エフィさんが?)
そんなタビサの疑問を解消する者は誰もおらず、タビサは官吏たちに連行される形で帝都まで戻った。そして、一日ほど皇宮に拘置され、「もう戻っていい」と一方的に言い渡され、ハーシェル商会に戻ってくることができたのだ。
「——というのが、タビサさんに聞いた話っス」
そう言って話を締め括ったのはトリスタンだった。
タビサは言葉を詰まらせてばかりでほとんど話せなかったため、代わりに事情を把握していた彼が説明してくれたのだ。
今聞かされた話はあらかじめ知っていたが、タビサの視点で語られるといかに苦労したのかが分かる。
自分のせいで大変な思いをさせてしまった。申し訳なく思いながら、タビサを見る。しかし、彼女は俯いたまま、未だこちらを見ようともしない。それが彼女の苦労を窺わせるようで、余計心苦しく思う。
「……それから」
トリスタンは言いにくそうに、話を続ける。
「今の話は従業員全員も知っています。僕もエフィさんがガラノス家の関係者ってことまでは話さざるを得ませんでした」
「まあ、当然だな。必要な情報共有だ」
先ほど再会したハーシェル商会の皆の顔を思い出す。エウフェミアが原因であることは分かっているのに、それでも心配してくれるなんて。心の中でそっと感謝をする。
その時、急にタビサが立ち上がった。そのまま、テーブルを回り、こちらのすぐ横に来るとその場に跪いた。
「ホントウに、申し訳ありませんでした!」
突然のことにエウフェミアはろくに反応ができなかった。
「タビサ。立て」
アーネストが命令するが、タビサは聞かない。彼女は両手を合わせながら、謝罪を続ける。その顔色は真っ青で、今にも泣きそうだ。
「ワタシ、何も知らなくて、そのせいでエフィ様に大変な目に合わせてしまいました。いえ、そもそも、ガラノス家の血筋の方に対して無作法な真似ばっかりして、あろうことかワタシが失敗した時の尻拭いまでさせてしまい、ホントウに申し訳ありませんでした。お許しくだせェ!」
「……タビサさん」
タビサの言葉にエウフェミアは戸惑う。しかし、すぐにその反応は当然のことかもしれないと気づいた。
帝国は階級社会だ。精霊貴族は上流階級の中でもさらに上位に当たる。以前、トリスタンが『精霊貴族の方々は我々労働階級の人間からしたら雲の上の上の方々』と言っていたのを思い出す。その上、タビサは精霊に対して信仰心も厚い。遜った態度を取るのも当然だろう。
しかし、エウフェミアは『仕方ない』とそのことを受け入れるのが嫌だった。
この間まで一緒に楽しく働いて。一緒に祈雨のお守りを作って。それなのに、こんな風に距離を取られてしまうのは悲しい。
エウフェミアは立ち上がる。そして、タビサの前に膝をつく。彼女の手を握る。
「タビサさん、顔をあげてください」
不安そうな表情ながらも、タビサはゆっくりと顔をあげてくれた。エウフェミアは笑顔を作る。
「私、タビサさんにも感謝しています。確かに私はガラノス家の血を引いていますが、ずっと能力がないと言われ続けていました。……だから、今回のことで私のも精霊術が使えることが分かって嬉しかったです」
そもそも今回の騒動が起こるなんてタビサにも予想できなかったことだ。彼女が自分を責める必要はない。——そして。
「でも、やっぱり私は私です。ハーシェル商会のエフィです」
そのことは自信を持って言える。
「今はもう貴族の一員ではありませんし、様なんて言われる立場じゃありません。そんな風に畏まらないでほしいです。今まで通り、先輩のエフィとして接していただけませんか?」
こちらの素性を知った上で今まで通りにしてほしいなんて言うのはエウフェミアのわがままだろう。それでも思いを伝える。
タビサの目からポロポロと涙がこぼれる。
「……エフィさんはホントウにお優しい方です」
そうして、彼女はその場に崩れ落ちる。わんわんと泣くその体を抱きしめる。泣きながら、彼女は何かを言う。それは嗚咽混じりで非常に聞き取りづらかったが、きちんとエウフェミアの耳に届いた。
――ワタシの故郷を、救ってくれて、ありがとうございます。




