7 失ってはいなかったもの
結局、エウフェミアはその日一日を資料室で過ごした。一通り、関係しそうな書物に目を通し、昨日作戦会議をした応接ソファでその内容をアーネストに報告した。
「なるほど。恩寵を失った者は髪と瞳、精霊石の色を失い、精霊術が使えなくなると」
「はい。なので、伯父様がおっしゃってたことは本当のようですね。ですが、系譜には私の名前が残ってたのがよく分からなくて」
「いや、系譜の件はあまり考えなくていいだろう。単純にガラノス精霊爵が精霊庁に報告してなかった。それだけのことだ」
「——確かに、そうかもしれませんね」
そう言われて、エウフェミアはあっさり納得してしまった。
そもそも大精霊の恩寵を失った者が一族から追放するのが決まりだ。それにも関わらず、伯父はエウフェミアを屋敷に残し、あまつさえイシャーウッド伯爵家に嫁にまで出していたのだ。恩寵を失ったことを公にしていれば、そんなことはできなかっただろう。元夫もそのことを知らなかった様子だった。
「今の話で気になるのは二つだな。まず、精霊術を使うのに必要なは精霊石って石。次に、恩寵を失うと髪や瞳と石の色も失われるって記述だ」
「精霊石というのは父から貰ったネックレスの石のことだと思います」
「俺もそうだと思う」
父から貰ったあのネックレスは互いの間にあるテーブルに置かれている。アーネストはネックレス――精霊石に手を伸ばす。
「これはいつ貰ったものだ?」
「十歳の誕生日です」
「これを貰ってから、精霊の恩寵を失うまで期間は空いていたか?」
記憶を辿りながら答える。
「はい。誕生日から精霊会議までなので二ヶ月ほどですね」
「なら、この石を貰ったとき、色は何色だった?」
その質問で、エウフェミアも気づく。
「最初から透明でした」
「——ってことは『恩寵を失うと髪と瞳と精霊石が色を失う』って記述と矛盾するな」
「……これは、どういうことなんでしょう」
エウフェミアはネックレスに視線を落とす。その透明な宝石に答えを求めるように指先でそっとなぞった。
「この辺りはレイランドの坊っちゃんに聞き出すしかねえな。そもそも、お前の髪と瞳の色がガラノス家のものと違うことはアイツも分かってるわけだしな。その辺について聞いても問題はねえだろ」
「そう、ですね」
シリルは資料室から客室に送ってくれた際、明日は祭壇の間を案内すると言っていた。聞く機会はあるだろう。
アーネストは精霊石をテーブルに戻ると、もう一つの気になる箇所の話を始める。
「後は精霊術を使うにはこの石と祈りがあればいいって話だが、……祈雨の守りの制作したとき、そういったことをした心当たりはあるか?」
正直なところ、心当たりはあった。そのことを話している中で思い出した。意を決して、そのことを話す。
「お守りを作った後に、タビサさんと一緒に祈ったんです。水の精霊様、雨を恵んでください――と、心から願いました。そのとき精霊石は持っていませんでしたが、場所はタビサさんのお部屋だったので、直線距離だと数メートルも離れなかったと思います」
タビサの部屋とエウフェミアの部屋は隣同士だ。ネックレスの入ったトランクはクローゼットにしまってあった。部屋の間取りを考えれば、せいぜい三、四メートルほどのところに精霊石はあったはずだ。
――それに。
エウフェミアは言葉を続ける。
「精霊術を使う際、その対象は光ります。目を閉じて祈ったとき、何かが光ったように思いました。目を開けたときには元に戻っていたので気のせいだと思っていたのですが、……あれは精霊術の反応だったのかもしれません」
「なら、やっぱり守りに精霊術をかけたのはお前だ。お前には水の精霊術師としての能力がある。だが、何かしらの理由で八年前に髪と瞳の色が変わり、精霊が見えなくなった。お前に精霊術師としての能力が残っていたことを知っていたのか知らなかったのかは分からねえが、伯父はお前に『精霊術師の能力はない』と教え、それを信じ込ませた。……そういうことじゃねえのか?」
ここに至ってはもう、認めざるを得ないように思う。昨日アーネストが言ったようにエウフェミアには精霊術師の能力がある。祈雨のお守りに精霊術をかけ、雨を降らせたのは自分自身なのだ。
こちらを窺っていたアーネストが口を開く。
「複雑そうだな」
「……はい」
エウフェミアは胸の前でぎゅっと手を握る。
「お父様達の死とともに私は全てを失いました。そう思っていました。でも、そうじゃなかった。そのことはとても嬉しいです。……でも、全てを失ったと思っていた八年間を取り戻すことはできませんから」
もし、エウフェミアが最初から精霊術師としての能力が残っていることを知っていればどうなっていただろう。唯一両親が遺してくれたものとして、その能力に縋っていたかもしれない。そして、精霊術師として大成することを望んだ。そんな可能性もあった。
「過去をやり直したいか?」
アーネストの問いに、少し考えてから首を横に振った。
「今も私はこれまでの八年間をなかったことにしたいとは思っていません。……それでも、もしもを考えてしまいます」
あの八年がなければ、今自分はここにはいない。ハーシェル商会に雇われることもなかっただろう。もしかしたらという別の過去を夢想しても、そうあってほしかったとまでは思わない。
アーネストは「そうか」と呟くと、興味をなくしたように話題を移す。
「それで、他に目ぼしい情報はなかったのか?」
「はい。資料室にあるほとんどが過去に起きた災害や異常気象についての調査内容や、精霊術師への依頼に関する報告書でした。精霊術の使い方や大精霊様の心を鎮めるような方法については何も見つかりませんでした」
「あくまで精霊庁の仕事は精霊貴族へ依頼をするところまでだからな。当然のことか。後はお前でなんとかするしかない」
「そうですね」
ここからはエウフェミア自身で乗り越えないといけない。
アーネストはしばらく何も言わず、煙草の箱を手に取る。中には最後の一本が残っていた。
「……」
それに火をつける。
「もし、お前が水の大精霊を鎮める自信がないなら、今回の依頼をなかったことにするために知恵を捻ってやってもいい」
エウフェミアは何度か瞬きをした。まじまじとアーネストを見つめる。
「どうする?」
それはふざけているようにも、意地悪を言っているようにも見えなかった。真剣な表情に、アーネストが本気であることが分かる。――しかし、エウフェミアは静かに首を振った。
「いえ、私は水の精霊術師としての職務を全うします。ガラノス家に生まれた者として、その役目を放棄したくはありません」
もうすでにガラノスの姓は名乗れなくなったとしても、エウフェミアにはその血が流れている。そして、一族として立派に役目を果たしていた両親に恥じないように生きたい。
「それに会長がここまで手助けしてくださいましたから。……精一杯頑張ってみます」
こちらの意思の強さが伝わったのだろう。アーネストは「そうか」と僅かに笑った。




