2 シリルの依頼
「私の力、ですか?」
「エフィさん。あなたは精霊貴族の縁者の方ですね?」
突然、核心を突かれ、エウフェミアは心臓を掴まれたような感覚に陥る。慌てて否定したくなるのを、アーネストの言葉を思い出し、なんとか平静を装う。
「どうして、そのようなことを……?」
「隠さなくても結構ですよ。後輩のタビサさん。彼女から話は聞いています」
そう言って、シリルは官吏が持ってきた台に乗った物を示す。そこにあったのはエウフェミアとタバサが二人で作った祈雨のお守りだった。
「こちらを作ったのはあなたですね?」
「…………はい」
「良かった。それであれば、エフィさんには感謝申し上げたい。このお守りのお陰で我々の長年の懸案事項の一つであったピアーズ山脈近隣の干害が解消できそうなんです」
エウフェミアは全く話を理解できなかった。
ピアーズ山脈近隣。つまりはインズ村周辺のことだろう。そこがずっと日照り続きという話はタビサから聞いている。
しかし、お守りのお陰で水不足が解消されそうということも、そもそもそのことでエウフェミアに感謝したいというのも意味が分からなかった。
助け舟を出すように話に割って入ったのはアーネストだ。
「確かに、ここニ、三週間でピアーズ山脈近隣で以前のような降雨が戻ってきているという話は俺も知っています。新聞記事で読みましたよ。ですが、それとその布切れにどういった関連性が?」
「この祈雨のお守りには水の精霊術がかけられているんですよ」
エウフェミアはもう一度台に置かれたお守りを見つめる。
「我々、精霊庁は各地で起きる災害や異常に関する情報を収集しています。大きな自然災害の裏には必ず精霊が関わっていますから」
困惑の最中もシリルの説明は続く。意識がお守りに向いてしまいそうになるのを堪え、彼の話に耳を傾ける。
「そして、災害や異常を唯一解決できるのも精霊です。そのため、我々精霊庁は精霊貴族の方々にその解決を依頼し、人民と大地の平穏を長く維持してきました。しかし、ここ数年は水の大精霊様のお力が安定せず、水害、干害の被害が相当数報告されているんです」
その中の一つがピアーズ山脈近辺の干害らしい。精霊庁は定期的にガラノス家に依頼をし、雨を戻そうとしているが、毎度一時的に少量の雨を降らせることしか出来ていないのだという。
それが二週間ほど前から突如、雨が戻ってきた。一時的ではなく、継続的にだ。こんなことは精霊術でなければありえない。そこで、シリルたちは該当地域を調査したらしい。そこで分かったのは、雨が降った地域にはどこもエウフェミアとタビサで作った祈雨のお守りが飾られていたということだ。
シリルはお守りを手に取り、微笑む。
「タビサさんはとてもお優しい女性ですね。『お守りが雨を呼んでくれた』と故郷の村だけでなく、周囲の村にも分けてあげたそうですよ。お陰で多くの方が救われ、我々も彼女に辿り着くことができた」
――そうして、彼らはエウフェミアに辿り着いたのか。
祈雨のお守りに精霊術がかけられている謎は残るが、どうして精霊庁がエウフェミアに接触してきたのかは分かった。
シリルはじっと見つめてくる。まるでこちらを観察しているようだ。
「あなたは精霊貴族の縁者であり、水の精霊術を扱える――間違いないですか?」
その問いに答えることができなかった。なぜなら、その答えはイエスであり、ノーだからだ。
エウフェミアは精霊貴族、ガラノス家の人間だ。しかし、精霊術は使えない。しかし、その情報を今相手に伝えるのは良くないように思う。アーネストは言っていた。自分の情報は相手の情報と引き換えに、だ。
どう答えるか悩み、質問に答えず、逆に問うことにした。
「もし、そうだとしたらどうされるのですか?」
しかし、そう訊ねてから、これは認めたも当然ではないかと不安になる。
シリルはどこか弾んだような声で返す。
「そうなのであれば、是非ご協力いただきたい。先程もお伝えしました通り、現在水の大精霊様のお力はとても不安定な状態です。災害が起き、それから対処するのではイタチごっこにしかならない。根本的な解決のため、エフィさんには水の大精霊様のお心を鎮めてほしいのです」
その言葉に、エウフェミアの思考は一瞬止まる。
――そんなこと出来るわけがない。
エウフェミアは精霊術が使えるというのはシリルの勘違いだ。大精霊の心を鎮め、国中の異常気象を止めるなんて大層な真似、尚更出来るわけがない。
その言葉が喉元まで出る。しかし、声に出さなかったのはアーネストの言葉を覚えていたからだ。
『なら、相手が信用に足る人間か見極めろ。その上で自分の価値の高さを知らしめるんだ』
『自分で自分の価値を貶める必要はねえんだよ』
本来、精霊術師の教育は十歳から始まる。
エウフェミアも、本当なら精霊会議後に父から精霊術師に必要なことを学んでいくはずだった。しかし、家族の死によって精霊術について何も知らないまま育ち、イシューウッド家に嫁ぐためにあの家を出た。
父の生前、精霊術師に関して教わった数少ないことの一つはその役割についてだ。大精霊たちは世界を創り、今も世界を守り続けている。しかし、ふとした拍子に精霊たちの数の偏りが起き、異常事態が起きてしまうことがある。そうしたときに精霊たちに働きかけ、それを鎮めるのも精霊術師の仕事なのだと父は言っていた。
シリルの要求である水の大精霊を鎮めることは水の精霊術師にとって義務と言っていいはずだ。この依頼を断るということは、その義務を放棄することに等しいのではないだろうか。
つまり、水の精霊術が使えないということを宣言することも、この依頼を断ることも、そのどちらも自分の価値を貶めることに繋がりかねない。そうなると残った選択肢は一つだけだ。
(ハッタリでもいい。相手にそう思わせさえすればいい。堂々と振舞う。不安を気取らせない)
そう助言をくれたアーネストは今隣にいる。しかし、今彼には頼れない。自分で対処するしかないのだ。
エウフェミアは心を定めた。シリルを見つめ返す。
「シリル様は私にそれが出来ると思っていらっしゃる、ということでよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
精霊庁の官吏は最上の笑みを浮かべる。
「直接精霊に働きかけるのではなく、祈雨のお守りを使った間接的な方法でありながら、あなたは多くの精霊たちに働きかけることができた。これはあなたが水の精霊術師として、素晴らしい能力をお持ちだということの何よりの証明です。きっとあなたなら水の大精霊様のお心を癒やすことも叶いましょう」
「…………分かりました」
エウフェミアも笑顔を返す。――それが引きつったものに見えないことを祈りながら。
「私に出来るかぎり、最大限力をお貸しします。その代わり、二つ条件をお出ししてもよろしいですか?」
一瞬、ほんの一瞬だけ、シリルの眉が動いた。まるで何かを警戒するように。しかしそれはすぐに消え、完璧な笑みがその痕跡を塗り潰した。
「なんなりと。どのようなことをお望みですか?」
「一つは知識です」
本来得られるはずだった精霊に関する知識。永遠に知ることがないと思っていた情報を目の前の青年は持っている。
エウフェミアは知らないことを知りたい。過去にまつわるものだって、その一つだ。
「精霊庁の方々が持つ、精霊に関する知識を教えていただけませんか?」
官吏は一瞬だけ視線を彷徨わせた。
「そうですね。本来守秘義務に関わる内容ですが、……精霊術師であるあなたにはお伝えしても構わないでしょう」
しかし、あっさりとこちらの要望を了承する。エウフェミアは胸をなでおろしながらも、もう一つの要求を伝える。
「それと、成功の暁には相応の報酬はいただけますか?」
正直、こちらはエウフェミアにとってそれほど重要なものではない。しかし、『ただ働きはしない』ということを分かりやすく伝えられる方法がこれしか思いつかなかった。こちらもシリルは快諾する。
「ああ、それはもちろん。帝国のため、人民のため、尽力していただく方に無償奉仕などさせては精霊庁の名がすたります。ご要望はそれだけですか?」
「はい」
少し考えて他に思いつかなかったため、エウフェミアは頷く。すると、「では」とシリルが静かに立ち上がる。彼はどこか満足げに微笑んだ。




