煙草
本編後のお話です。ボチボチ書いていければと思います。
エウフェミアがそのことを指摘したのは、エルドンを出発した後のことだった。
「煙草、買わなくてよかったのですか?」
駅へと向かう馬車の中。唐突な問いに面食らいながらも、イグナティオスは皮肉げに笑った。
「何だ。喫煙者に戻ったほうがよかったか?」
「そういうわけではありませんが」
むしろ、体に悪いならもう二度と吸わないでほしいと思っている。しかし、彼が元々ヘビースモーカーであることをエウフェミアは知っている。
「トリスタンさんに言われても、ずっと吸われていたでしょう? ……ここしばらくは煙草が手に入る状況ではありませんでしたが、エルドンではそうではありませんでした。どうして買われなかったのか、不思議に思ったのです」
『無色の城』へ向かうにあたり、イグナティオスは必要なものをエルドンの街で買い揃えた。しかし、そこにはハーシェル商会会長時代の必需品であったタバコは含まれていない。
もちろん、イグナティオスが小屋で生活している間、まったく煙草を吸っていなかったのはエウフェミアも承知している。煙草は嗜好品だ。あの村では手に入らなかったのかもしれない。
(もしかしたら、煙草を吸う気力も失っていただけかもしれないけど……)
しかし、生きる気力を取り戻した今、昔のように煙草を求めてもおかしくないのではないか。エウフェミアからすると至極当然な疑問だったが、それを聞いたイグナティオスはこれ以上なく顔をしかめた。
「お前もトリスタンも禁煙のツラさが分からねえからそんなことを言うんだ」
「――え?」
まるで子供のような口ぶりに、エウフェミアは首を傾げる。イライラした様子でイグナティオスは続ける。
「煙草なんて中毒性の塊だぞ! 一回始めて、中毒になったら簡単にやめられねえよ。体に悪いなんて、吸ってるこっちが一番分かってるんだ」
「なら、何で吸ってらっしゃったんですか……?」
「言っただろ。一度始めたらやめられなくなったって」
記憶を辿り、思い出す。
あれは水の大精霊を鎮めるために皇宮に滞在していたときのことだ。禁煙の離脱症状で苦しむアーネストが、『何故煙草を吸っているのか』というエウフェミアの問いにそう答えた。
エウフェミアは瞬きを繰り返す。――少し意外だ。
「本気でおっしゃってたんですね」
「嘘だと思ってたのか?」
「いえ、他にも理由があるのかと思っていたので……」
その言葉にイグナティオスは黙り込んだ。考え込むように腕を組んでから、答える。
「これでも、悩んでたんだぜ。親父が死んだとき、俺はまだ十九だった。ライバルとなる他の商人からすれば、若造も若造だ。なるべく舐められないようにって考えた。煙草を吸い始めてのもそのうちの一つだ」
その話は以前にトリスタンからも聞いた。エウフェミアは静かに耳を傾ける。
「商会が大きくなってからは必要性は減ったが、……まあ、ガラの悪い成り上がりの商会会長ってキャラクターを分かりやすく表せるだろ? 理由もなかったし、ストレス解消にもなるし、惰性で続けてただけだよ。無理やり禁煙せざるを得ない環境を作る。――そういう意味では隠遁生活はちょうどよかったかもな」
間近で色々な活力を失った彼を見ていたエウフェミアとしては、とてもではないが『ちょうどよかった』とは思えない。
しかし、禁煙が成功したのは喜ばしいことだろう。エウフェミアは笑みを作る。
「もう、ご自分の体を痛めるような真似はやめてくださいね」
イグナティオスはその言葉には何も答えず、無言で視線を逸らした。その反応に思わず、エウフェミアは視線に力を込める。
「イグナティオス」
「極力。努力はしよう」
「……イグナティオス」
「そんな抽象的な要求に『はい』なんて言えねえよ。煙草はもう吸わねえ。――それは約束する」
そう言って、イグナティオスは目を閉じてしまった。エウフェミアは小さくため息を吐く。
生きることに前向きにはなってくれた。しかし、元の性格や考え方まですぐに変わるものではないかもしれない。イグナティオスの中では依然として、自分自身を大切にするという意識は薄いのだろう。
(まずは一歩一歩。少しずつね)
急激な変化を期待するのは良くない。一旦そう結論付けることにした。




