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【本編完結】精霊術師になれなかった令嬢は、商人に拾われて真の力に目覚めます  作者: 彩賀侑季
六章 生命の目覚めと裁きの炎

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45 名無しの男


 エウフェミアはゲオルギオスとの面会を終え、ビオンとともに留置塔を出る。建物を振り返った二人は顔を見合わせることもなく、ぽつりと言葉を交わした。


「……まだ、最後にやらないといけないことがある」

「ええ、そうね」


 最後の真実を探す旅。その道中は一緒だったが、最後に向かうところは別々だ。最初から、二人の目的は違うのだから。


「俺は『無色の城』に戻るよ。エウフェミアはどうする?」


 少し考えてから、エウフェミアは答える。


「もう一箇所、行っておきたい場所があるの。それが終わったら、『無色の城』に戻るわ。生命の精霊(プシュケー)様にお伺いしたいことがあるから」

「分かった」


 そうして、皇宮で二人は別れる。馬車に乗ったエウフェミアは、座席に置かれた布を手に取る。


 それはマルガリタが旧『赤の砦』に来たときから大事に大事に持っていたもの。――ヘクトールがイグナティオスを彼女の家に連れてきたときに、赤子を包んでいたおくるみだ。特徴的な模様が織られた布には、イグナティオスという刺しゅうがされている。


 何かの役に立つかもと持ってきてくれたものを、エウフェミアが譲り受けた。ぎゅっとそれを抱きしめる。


「……全部、終わったわけじゃない」


 謎は明らかになった。しかし、エウフェミアが欲しいのは過去の真実ではない。未来の希望だ。


 あの人がすべてを終わらせるなら、もう一度始め直すだけだ。そのための、最後のピースを探しに行く。


(もう少しだけ待っていてくださいね。“会長”)


 静かに決意を固め、エウフェミアは窓の外を見上げた。




 ◆




 青い、青い空だ。一人、ぼんやりと日向ぼっこをしていた男は思う。


(……さすがにこうも毎日だと飽きるな)


 かつて、彼は許されるなら朝から夜までずっと空を眺めて過ごしていたいと思っていた。しかし、実際にその生活が実現すると、もういい加減いいかという気持ちになってくる。なんとも、人間とは自分勝手な生き物だ。


 小屋の前の長椅子で寝そべっていた彼は立ち上がり、伸びをした。それから、天日干し中の薬草の状態を確認しに行く。


(まあ、悪くねえか)


 右の眼(デクシア)で問題ないことを確認すると、薬草を紐で束ねる。


 森の中を歩き、見つけにくい薬草を探す。天日干しをするなどして、使える状態にしたものを近くの村に売りに行く。そこで食料と物々交換してもらい、食いつなぐ――それが、ここ二ヶ月の暮らし方だった。


 それは今までしてきたどの生活とも少し違うものだ。


 マルガリタと暮らしていた頃のような温かさもなく。与えられる本に没頭していた頃のような必死さもなく。父やトリスタンと暮らしていた頃のような賑やかさもなく。ハーシェル商会を切り盛りしていた頃のような忙しさもない。


 もしかしたら、今の暮らしが、一番“自由”に近いのかもしれない。だが、心躍ることはない。ただ、ひたすら、虚しさだけがある。


(…………川の仕掛けでも見に行くか)


 男はため息を吐き、今度は夕食用に仕掛けた網を回収しにいくことにした。


 火の精霊に好かれる自分は壊滅的に魚を捕る才能がない。仕掛け網を使っても、一匹もかからないことも多々ある。


 しかし、幸運なことに今日は魚が二匹もかかっていた。ラッキーだと魚籠に獲物をしまう。それから、川面に視線を向け、少し苦い気持ちを思い出す。


 川にはいくつか思い出がある。


 ゲオルギオスから逃げる際に川に落ちたこと。流れ着いた先で養父に拾われたこと。養父とトリスタンが釣りをするのを遠くから眺めていたこと。――そして、一人の少女が川で魚捕りをするのを見つめていたこと。


 あの頃、男は今ほどの特別な感情をあの少女に抱いていなかった。だから、『よくやるな』とぼんやりと見ているだけだった。


(……もっと、ちゃんと、目に焼きつけておけばよかった)


 今更、そんな後悔が蘇る。ここしばらくはずっとそんなだ。ふとした拍子に彼女のことを思い出し、『もっとこうすればよかった』と思う。勝手に姿をくらましたのはこちらなのに、こんなにも未練がましい自分が、情けなくなる。


(でも、あれでよかったんだ。……こうするのが、アイツの一番の幸せだ)


 一番の望みは彼女が笑っていてくれること。幸せでいてくれること。それが叶うなら何だってする。自分の胸の苦しみなんて、そのための代償としては安いものだ。


 もっとも、優しい彼女はしばらく傷つき、泣いているかもしれない。だが、彼女は一人ではない。助けてくれる存在は大勢いる。そして、いずれ立ち上がる力があると信じている。――もうそろそろ、自分のことは忘れててくれないかと願うばかりだ。


「あー!! いたー!!」


 小屋に戻る途中、近くの村の子どもたちに遭遇する。三人の子どもたちは森道を駆けてきて、イグナティオスの前で立ち止まった。


「薬草のお兄さん。どこ行ってたのー?」

「……川だよ。魚を獲ってた。お前ら何の用だよ。なんか困り事か?」

「違うよー」


 子どもの一人が首を振る。


「お客さん。薬草のお兄さんに会いに来たんだって」 


 その言葉に、何だか予感を感じた。それから、その子供達が普段四人組であることを思い出す。


 男は視線を上げ、彼らが来た道を見る。その向こうから、残りの一人の子供に手を引かれた少女の姿があった。


 長い銀髪が風に揺れ、日の光を受けてキラキラと輝く。彼女はこちらの姿に気づくと微笑む。彼女が近づいてくるまで、男は何も反応ができなかった。


 そこにいたのは変哲もないワンピースと帽子を被った少女だ。その手には大きなトランクが握られている。その姿を見て、彼女が生命の精霊(プシュケー)の恩寵を受けている特別な人間であることも、精霊貴族の一員であることも、誰も気づかないだろう。


 言葉を失う男に、少女――エウフェミアは言う。


「探しましたよ。会長」


 彼女は何も知らなかった頃と同じように屈託なく笑う。言い返したいことはある。しかし、男は何も言えなかった。黙り込んでいるとエウフェミアは子供達を見る。


「案内してくれて、ありがとう。これ、お礼よ」

「わあ! ありがとー!!」


 子供達は飴玉を大事そうに握りしめ、来た道を走って戻る。それを見送ってから、ようやく男は口を開いた。


「……俺は会長じゃない」


 アーネスト・ハーシェルという名前を捨てた。そのことを抜きにしても、既に男は会長という肩書きを失っている。その呼ばれ方は間違っている。


 その指摘に、エウフェミアは不思議そうに瞬きをする。


「では、なんとお呼びすればよろしいですか?」


 その質問に男は顔をしかめた。


 今、男は名乗る名前がない。養父にもらった名を捨てた以上、イグナティオスという名前を名乗るべきかもしれない。


 しかし、エリュトロス家にいた頃の、しかも、古代語で火を由来に持つ名を名乗ることに抵抗がある。そのため、男は名前を名乗らず、唯一接点を持つ村人たちには『薬草のお兄さん』『薬草屋』などと呼ばれている。


 彼女にも村人たちに倣ってもらうか、それとも別の名前を考えるか――。そこまで考えて、ふと、どうでもよくなった。


 男はエウフェミアの横を通り抜ける。


「…………好きに呼べ」


 背後からくすりと笑う声がした。それから、エウフェミアは嬉しそうに「はい、会長」と笑った。


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