41 見つけたもの
マルガリタに連れられ、エウフェミアは図書室へと向かう。
部屋には本棚がずらりと並び、そこに収まりきらない本が床にまで積み重ねられていた。
それを見て老婆は困ったように呟く。
「まあ、私がいなくなってからこんなに増えてしまったのね」
「……マルガリタ様がいた頃はこんなになかったのですか?」
「ええ。あの一角だけでした。ああ、相変わらず整理が苦手なのね。いつも、本は分類して置くように言っていたのに」
確かに本棚にはジャンルや本の大きさなど関係なく、無秩序に本が詰められている。――それを見てエウフェミアはまた、トリスタンがアーネストは整理整頓と掃除が苦手と言っていたのを思い出した。
少しだけ胸に込み上げるものを感じながらも、エウフェミアは気持ちを切り替えて本の山に向かう。背表紙を一つ一つ確認し、日記らしきものがないかを探す。
しかし、なかなかそれらしきものは見つからない。エウフェミアは小さくため息を吐く。――思い出すのはかつてイグナティオス自身が言っていた言葉だ。
『っても、死んだ人間の真意なんて知りようがねえだろ』
まだ彼が家族殺害の犯人と思っていた頃。イグナティオスの真意を知りたいと言ったエウフェミアにアーネストは言った。
『もし何か屋敷に手がかりが残ってたら、エリュトロス精霊爵たちが見つけてねえわけないだろ。そんなもの、なかったってことじゃねえのか?』
(……確かに、エリュトロス精霊爵の不利になるようなものが残されていたら、とっくに処分されているわよね)
もう一度周りを見回す。散らばる本。乱雑な棚。しかし、一カ所だけ何も置かれていないスペースがある。その理由を考えて、そこが本を読む定位置だったのではないかと思い至る。
積んである本を避け、エウフェミアはそのスペースに立つ。そして、その場にしゃがみこんでみた。
(……ここで本を読んでいたのかしら)
『生命の間』で見た十四才のイグナティオス。彼がここで本を読む姿を想像する。
そのとき、彼はどんな表情をしていたのだろうか。まだ、その頃の彼の人物像が思い描けていないエウフェミアにはうまくイメージできない。
ふと、エウフェミアはそこから正面を見上げる。――そうして、やっと、その存在に気づいた。
「マルガリタ様」
思わず元住人の名を呼ぶ。部屋の反対側で同じように手がかりを探してくれていた彼女が来てくれる。
「どうなさいましたか?」
「あれって――」
エウフェミアは正面を指さす。そこにあったのは――大きな天窓だ。
その向こうに広がるのは真っ青な空だ。どこか、水の大精霊の色にも似た色。この屋敷に入ってから一度も見ていない青色がそこにはあった。
「この部屋は元々物置だったのを図書室にしたんです。私もイグナティオスも日差しで本が傷んでしまうって知らなかったんですよ。後で知った時には遅かったんです」
マルガリタは苦笑する。
「でも、それでよかったのかもしれません。イグナティオスはここから空を見るのが好きでしたから。……きっと、あれから変わっていなかったのね」
その言葉にエウフェミアは何も返せなかった。なぜか、涙があふれそうになる。
そう、変わっていない。今もイグナティオスは青空が好きだ。湖畔で一緒に空を見上げたことを思い出す。
今と変わらないあの人が、ずっと昔にここにいた。――ようやく、幼いイグナティオスとアーネストの姿が重なったように思えた。
◆
結局、図書室にも手がかりらしきものは見つからなかった。時間が経っていたこともあり、エウフェミアたちは一度ビオンと合流することを決める。
奥の子供部屋に向かうと、困った顔のビオンに出会う。
「何か見つかった?」
「いいや、何も。……そっちは?」
エウフェミアは首を横に振る。
「……手がかりはもう、何も残ってないのかしら」
ビオンは頭を悩ませている。エウフェミアは改めて子供部屋を見回す。
捜索した後の乱雑とした部屋。子供用の小さな机。服がはみ出たクローゼット。そして、奥にあるベッド。その横にはサイドテーブルがある。――ふと、そこに置いているランプに目が止まった。
エウフェミアはサイドテーブルに無言で近づく。そして、精霊術でランプに火を点ける。
「エウフェミア、どうしたの?」
ビオンの問いにエウフェミアは答えない。意識を集中させる。――すると、途端にランプの周りを舞う火の精霊たちの姿が見えた。火が与えられたことで彼らは舞い出す。
『見てみろ! マルガリタだ。久しぶりに見たな』
『イグナティオスはどこだ?』
『マルガリタが帰ってきたと知ったら喜ぶわ』
火の精霊たちは口々に話し出す。エウフェミアは意を決して、話しかける。
「ねえ、あなたたちに教えてほしいことがあるの」
その言葉に精霊たちは反応を示さない。好き勝手に話し続ける。
『イグナティオスも最近見ていない気がする』
『一体どこに行ったのかしら』
『いつも夜、こうしてランプをつけて話しかけてくれていたのに』
『また、色んな話をしてほしいのに』
精霊たちの寂しそうな声。彼らにとっては九年という時間はそれほど長いものではないのだろう。
それまで静かに様子を見守っていたビオンが口を開く。
「火の精霊たちから話を聞こうとしてるの?」
「え、ええ」
エウフェミアは振り返る。
「彼らなら何か知ってるかもしれないと思って」
「……精霊って、そういう質問にも答えてくれるの?」
「わ、分からないわ」
精霊たちは簡単なコミュニケーションは取れる。しかし、必ずしも問いに答えてくれるわけでもない。興味のない質問には答えてくれないし、そもそも答えを知っているとは限らない。
ビオンはランプへと視線を向ける。しかし、その目は正確に精霊たちの場所を追えていない。大精霊の紋章を持たないため、当然――そこまで考えて、エウフェミアはおかしさに気づいた。
「――待って」
それは誰に対して発したものだろう。急に鋭い声を上げたエウフェミアに、ビオンは弾かれたようにこちらを向く。それに気づかず、エウフェミアはしゃがみこみ、ランプに顔を近づける。
「イグナティオスが話しかけてくれて――お話をしてくれたって言った?」
『ええ、そうよ』
答えてくれたのは一人の精霊だ。彼女は赤く燃える身体を揺らす。
『イグナティオスは物知りなの。いつも、人間の世界の面白い話を聞かせてくれたのよ。マルガリタには秘密でね』
その言葉にエウフェミアは絶句した。
確かにイグナティオスには精霊たちが視える。しかし、それは九年前、先代の右の眼が亡くなったことで得た能力だ。旧『赤の砦』で暮らしていた頃に精霊を視る能力などなかったはずだ。
(――『精霊術師の中でも、精霊が視える者は限られている』)
それはウォルドロンでノエに教わった常識。普通の精霊術師は精霊の存在を感じられても、その姿をその目に映すことはできない。
その例外はたった二つだけ。その一つは生命の精霊から眼を授かった精霊の眼の二人。それと大精霊の紋章を持つ、大精霊に認められた者だけ。
――そして、ノエはこうも言っていた。
『大精霊の紋章を授かる人の中には、十歳を迎える前に大精霊に認められている場合がある。そういう人は生まれつき精霊が視えるんだ』
なら、精霊の眼でもなく、火の大精霊との謁見もなく、火の精霊が視えていたイグナティオスは――。
エウフェミアはビオンを振り返る。かつて、ゲオルギオスにビオンの幸せについて問いたとき、返された言葉が蘇る。
『大精霊の紋章を授かり、エリュトロス家当主の座に就く以上の幸福は存在しない!』
ビオンは不思議そうな顔でこちらを見ている。エウフェミアは確信した。――これが、ゲオルギオスの犯行理由だ。




