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【本編完結】精霊術師になれなかった令嬢は、商人に拾われて真の力に目覚めます  作者: 彩賀侑季
六章 生命の目覚めと裁きの炎

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35 新たな時代


 今、エウフェミアが一人きりであればその場に崩れ落ち、きっと泣いていたことだろう。しかし、そんなことは許されない。


 エウフェミアは生命の精霊(プシュケー)の恩寵と大精霊の紋章(エンヴリマ)を得た。新しく誕生した八人目の当主と言えるだろう。他の当主もいる場で、個人的な事情で泣き崩れるわけにはいかなかった。


「……彼は、私の命の恩人でした」


 感情を殺し、ヨウスカルの問いに答える。


「イシャーウッド伯爵家に嫁いだ後、私は家を追い出されてしまいました。誰も通らない廃道に置き去りにされて……、それを助けてくれたのがイグナティオスでした。当時はアーネスト・ハーシェルと名乗っていました。精霊術師として皇帝に認めていただくまでは、彼の経営する商会に置かせてもらっていました」


 エウフェミアとアーネストが恋人同士というのを知っているのは限られた人間だけだ。少なくともノエはエウフェミアがアーネストに想いを寄せていたことさえ知らない。


 ヨウスカルをはじめ、他の当主たちもその説明に納得したようで、それ以上の詮索はなかった。


「イグナティオスはアーネスト・ハーシェルとして生き延びておったのじゃな」


 カフェ家当主はそう呟くと、とある提案をする。


「どうじゃろう? あの子のことはもう放っておくというのは」


 エウフェミアは目を瞠る。すかさず、ミルティアディスが口を挟む。


「彼は右の眼(デクシア)なのですよ」

「そうじゃ。だから、生命の精霊(プシュケー)様に右の眼(デクシア)の所有者を別の者に変えられないか、聞いてみることはできないかのう?」


 それは生命の精霊(プシュケー)大精霊の紋章(エンヴリマ)を持つエウフェミアに向けられた頼みだった。


 喉がひどく渇く。咳払いで誤魔化してから、エウフェミアは訊ね返す。


「……生命の精霊(プシュケー)様に、ですか?」

右の眼(デクシア)でさえなくなれば、あの子は精霊術とは無関係の普通の子に戻れる。……今回の騒動もゲオルギオスへの復讐心からじゃ。他の者への敵意は感じなかった。放っておいても、七家の誰かに害をなすことはないじゃろう」


 ヨウスカルの意見は正しいように思う。イグナティオスは恩寵を取り戻すことを――七家の一員となることを望んでいない。右の眼(デクシア)を失えば、精霊との接点も切れる。今ダフネが一人で背負っている精霊の眼(オプタルモス)の責任を他の誰かと共有し合えるようになるのだ。


 ダフネにとっても。七家にとっても。そして、イグナティオスにとっても。それが一番最善の方法に思える。――しかし、それでも、エウフェミアは簡単に頷けなかった。


 イグナティオスは精霊貴族の社会を拒絶し、アーネストとしての死を選んだ。エウフェミアとの関係も断った今、唯一、二人を繋ぐのは彼が持つ生命の精霊(プシュケー)の右眼だ。その細い糸を、自らの手で断ち切る決断は、どうしても即座には下せない。


 やっとのことで出した回答は――苦し紛れの先延ばしだった。


「……ヨウスカル様のおっしゃることはもっともです。ただ、当人が不在の状況で私達が簡単に決めていいものでもないでしょう。まずは一度、イグナティオスを捜索してみましょう。そのうえで見つからなければ、……生命の精霊(プシュケー)様にお伺いを立ててみます」


 そう言って、エウフェミアは立ち上がる。


「申し訳ありません。……まだ、生命の精霊(プシュケー)様を目覚めさせた疲れが取れきっていないようです。席を外してもよろしいでしょう?」


 結局、重要事項は話し終えたと、当主の会議はその場でお開きとなった。エウフェミアは居館の上階の部屋に戻る。控えていたノエの母に一人になりたいと伝え、部屋を出ていってもらう。


 ベッドで横になりながら、エウフェミアは考える。


 右の眼(デクシア)の件について、もっともらしい理由で取り繕ったが――自分でも、その理屈には無理があるとわかっていた。


 イグナティオス当人は精霊貴族に戻る気はない。長の一人としては、当人の意思を無視しても右の眼(デクシア)を七家の内に取り戻す判断を下すべきだ。


 エウフェミアのあの発言をおかしいと思った人はいないだろうか。いたとして、エウフェミアとイグナティオスの関係を疑う者や、エウフェミアの資質を疑う者は――。


 そこまで考えて、もうすべてが嫌になった。今はもう、エウフェミアは一人きり。子供のように声を上げて泣いても、誰にも見られない。聞かれない。感情を爆発させても許される。


 ――でも。


 ゲオルギオスから家族の死の真相を聞いた後のことを思い出す。傷心から自邸に引きこもっていたエウフェミアにアーネストは会いに来てくれた。優しく抱きしめて、慰めてくれた。――どれほど、エウフェミアが泣き叫んでも彼が会いに来てくれることはないのだ。




 ◆




 翌日、『生命の間』に八人の当主が集まった。そこで大精霊たちを呼び出す。


 エウフェミアたちの呼びかけに生命の精霊(プシュケー)と六人の大精霊たちが姿を現す。唯一火の大精霊(フォティア)だけはまだ頭に血が上っているという理由で不在だった。――彼女に呼びかける大精霊の紋章(エンヴリマ)を持つ者がいないとという事情も、無関係ではないかもしれない。



 そんな中でも大精霊たちの話し合いは行われ、結論はあっさりと出された。生命の精霊(プシュケー)が眠りについたために作られた『誓約』。彼らは主の目覚めによってそのルールの破棄をあっさりと決めた。


 生命の精霊(プシュケー)に大精霊たちが跪く、荘厳で美しい光景。けれどエウフェミアの胸には、不思議なほど冷めた感情しか湧いてこなかった。


 七家の『誓約』の破棄が決まり、次に『無色の城』に精霊庁の官吏たちが呼ばれた。これもまた、異例のことである。複数台の馬車で十数人の精霊庁の官吏がやってくる。


 エウフェミアと七家の当主たちは講堂で彼らに事情説明を行った。


 ゲオルギオスの罪。そして、生命の精霊(プシュケー)の目覚め。それに伴い、正式にエウフェミアを八番目の当主に迎え入れること。皇帝にもそのための爵位を用意してほしいということ。


 厳格で伝統を重んじるエリュトロス精霊爵が人を殺め、それをずっと秘匿してきた。そのことは精霊庁の人間にとってもかなり衝撃的なようだった。最初、誰もが浮足立った様子を見せていた。しかし、事態を飲み込んだ後は「そのための手配が必要。皇宮と連携しなくては」と数人の官吏が『無色の城』を出発していった。


 これまでこの城は一年に一度しか使われない儀式的な場所だった。しかし、これからは定期的に八家の当主が集まり、精霊庁の官吏の出入りも許される実務的な場所になる。


 エウフェミアは中庭で七家の人々と官吏が何か話し合っているのを居館から一人見下ろす。そこに声をかけてきたのはシリルだった。


「エフィさん」


 事情説明を終えてすぐエウフェミアは講堂を後にした。きっと、その後ずっと探してくれていたのだろう。息がわずかに上がっている。


 どこか心配するような視線。それを見ても、心は一切動かされなかった。


「おめでとうございます」


 エウフェミアがそう言うと、シリルは怪訝そうな表情を浮かべた。話を続ける。

 

「おかげさまで私は当主の仲間入りです。それもすべて、シリルさんのおかげ。……お父様にいいご報告ができますね」


 元々シリルがエウフェミアに手を貸してくれたのは、彼が精霊庁で出世するためだ。彼の望み通り、エウフェミアは生命の精霊(プシュケー)大精霊の紋章(エンヴリマ)を持つ、特別な立場になった。きっと、鼻高々だろう。


 シリルは目を見開いたまま、固まった。立ち去ろうと、エウフェミアは背を向ける。しかし、すぐに手を掴まれた。振り返ると真剣な眼差しのシリルがいる。


「エフィさん。どうなさったんですか?」

「何もありませんよ。ええ、本当に。……何も」


 そう、何もない。すべてはうまくいった。家族の死の真相は解明された。犯人も捕まった。精霊術師としてこれ以上ない立場を得た。心配されるようなことは何もない。


 エウフェミアは事務的に質問を返す。


「それより、私に何か用があったのではありませんか? ご用件をお伺いいたします」


 すると、なぜかシリルは怯んだように体を強張らせた。視線を彷徨わせ、覚悟を決めたように口を開く。


「エフィさんに、お伝えしないといけない大事なことがあります。……ハーシェル会長のことです」


 深刻そうな様子に何のことかと思ったら――。大事なことの内容を察し、エウフェミアは拍子抜けした。


「会長が亡くなった件ですね」

「え」

「馬車が転落して、亡くなられたのでしょう? 本人から聞いています」


 こちらの反応がまったくの予想外だったのだろう。本人から聞いている、という言葉で余計に混乱してしまったのか、シリルは頭を抱える。


その様子を見て、エウフェミアは彼には説明しておくべきだろうと思った。近くの空いている部屋へシリルを招く。


 そして、そこでエウフェミアはすべてを語った。九年前の家族の死の真相。その途中で明らかになったイグナティオスの存在とその正体。


 よく知るハーシェル商会会長が、系譜にも刻まれていないエリュトロス家の人間だった。その事実はシリルにもこれ以上ないほどの衝撃を与えたらしい。エウフェミアが話し終えた後も、しばらく彼は呆然としていた。


 これ以上は待っていられないと、エウフェミアは立ち上がる。


「今、七家でイグナティオスの行方を追っています。場合によっては精霊庁にご助力をお願いするかもしれません。そのときはよろしくお願いいたします」


 事情説明の場でも、イグナティオスの存在は精霊庁に伝えていない。その存在が公となれば、ヨウスカルの言うように放っておくことができなくなるからだ。シリルならいたずらにこの事実を吹聴しないだろうと判断して、エウフェミアは真実を伝えた。


 そうして、エウフェミアは部屋を出ようとする。しかし、再び、止められる。ドアノブを回そうとした手をシリルに掴まれたのだ。


「まだ何か」

「――本当にどうしたんですか」


 振り返ったエウフェミアの両肩をシリルが掴んだ。その顔には必死さが滲んでいる。


「さっきから、おかしいです。まったくエフィさんらしくありませんよ」


 ――その言葉に、エウフェミアの中で何かが切れる音がした。


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