34 変革の兆し
エウフェミアの提案は、従来の精霊貴族の常識では到底受け入れられないものだっただろう。ほとんどの人間が多かれ少なかれ驚きの表情を浮かべる。
「皇宮にですか?」
その中でも反発が強かったのはミルティアディスだった。
「確かに制度上は我々七家は帝国に組み込まれています。ですが、それは秩序のためです。我々七家だけでは各地で起きる問題を把握しきれません。国に属しておくことが人民のためなのです。そうでなければ、この世界は災いだらけになってしまいます」
エウフェミアは精霊庁の資料室の記録と、アキレウスから教わった話を思い出す。
皇宮では『七家の任命したのは初代皇帝』とされているが、七家では『生命の精霊が大精霊たちに七家の祖である七人を選ばせ、初代皇帝に力を貸した』と伝わっている。
(そもそも、これがとてもちぐはぐな話よね)
制度上は七家は皇帝に従う立場だ。だが、実際は違う。七家の精霊術師たちは『自分たちが精霊術を扱えるのは大精霊に認められたから』と思っており、精霊を従えるその強大な能力ゆえに皇宮におもねる必要がないのだ。
もちろん、七家の多くは使命感を持ち、純粋な熱意で任務にあたっているだろう。しかし、制度上帝国に属しながらも、皇帝でさえ七家に一切口出しができないという現状が問題なのだ。
「制度上とおっしゃいますが、私たちは実際には帝国に属する民の一人ではありませんか? あなたが食べるパンの小麦を作ったのは誰ですか? あなたが着ている服の生地を織ったのは誰ですか? ……七家には特別な力があり、責任があり、特別な地位を与えられるのに相応しい方々であることは間違いないでしょう。ただ、そのうえで外部から――いえ、他の六家からも干渉が許されない現状がよくないと申し上げているのです。その結果が、グレイトス・ガラノスとその家族の死を招き、九年間もゲオルギオス・エリュトロスの罪が秘匿され続けることになったのではありませんか?」
エウフェミアの指摘に誰も反論できなかった。――言ってみれば、エウフェミアは七家の制度の歪みから生まれた被害者の一人だ。そんな立場の人間の言葉を否定はできないだろう。
唯一、近い立場にあるイオアンニスが口を開く。
「では、エウフェミア様は七家がどのようにあるべきだとお考えですか?」
「――まずは『誓約』の撤廃を。七家が互いに干渉し合えない。そのルールをなくしましょう」
エウフェミアの提案にそこまで沈黙していたヨウスカルが困惑した様子で反論する。
「じゃが、そもそもお互いに干渉し合わないというのは大精霊様が決めたことじゃ。我々が勝手に決めていいことでは――」
「大精霊様がそのように定めたのは生命の精霊様が眠りにつかれたからでしょう? 生命の精霊様はもうすでにお目覚めになりました。大精霊様たちのルールももういらないはずです。……もちろん、『誓約』を撤廃する前に大精霊たちにお伺いを立てる必要はあるでしょうけれど」
そこで言葉を一度区切る。エウフェミアは他の当主たちの顔を見回す。
困った顔のヨウスカル。何か言いたげだが押し黙るミルティアディス。オドオドした様子のキュロス。どこか楽しげな表情のニキアス。難しい顔のままのカロロス。静かにこちらを見つめるイオアンニスとカティア。そして、遠くからそわそわと会議の様子を見守るダフネ。
エウフェミアは彼らに語りかける。
「過去に起きた出来事を変えることはできません。ですが、お互いに協力し、過去を乗り越え、より良い未来を目指すことはできると思います。そのために力を合わせていきませんか?」
広間が静寂に包まれる。それぞれの参加者が提案内容を胸の内で反芻しているようだった。――沈黙を打ち破ったのは能天気な声だった。
「賛成! 賛成ー! 僕は彼女に賛成だよ」
元気よく手をあげたのはニキアスだった。ミルティアディスが非難するような視線を向ける。
「ニキアス殿」
「僕も『誓約』とか煩わしいと思ってたんだよね。いいじゃないのかな? ミンナデキョウリョク!」
彼の言葉にエウフェミアの心が軽くなるのを感じる。次に意見を述べたのはカティアだ。
「私もエウフェミアさんの提案に賛成します。――ヨウスカル様。世界の変化を受け入れましょう。大地はいつもそこにある不変のものですが、その上に生きる草木は成長し、花を咲かせ、実をつけ、どんどん次の代へ移り変わっていくものですよ」
彼女はヨウスカルに優しく微笑みかける。それを聞いた老人は肩を落とす。
「……そうじゃな。お主にそう言われては儂も反対できん」
「エウフェミア様。私も、ガラノス家一同もあなたのお考えを尊重いたします」
ヨウスカル、そしてイオアンニスまでも続いてくれる。カロロスは「当主の方々に従います」と当初からのスタンスを崩さない。残されたのはキュロスとミルティアディスの二人だ。
先に口を開いたのはキュロスだ。
「ぼ、僕も……皆がそれでいいなら、いいかなあ」
最後の一人であるミルティアディスは先に白旗を振ったポイニークーン精霊爵に鋭い視線を送った。
アスプロ精霊爵はしばらく何か考え、何度か口を開きかけてはやめるというのを繰り返した。そして、渋々といった様子で言う。
「……光の大精霊様の意向に従いましょう。大精霊様が誓約を破棄するなら、我々も従うのが道理でしょう」
ひとまず、全当主から合意が得られたことにエウフェミアは安堵した。そして、ヨウスカルが次の議題を口にする。
「それと、――イグナティオスの件についてじゃ」
その名に、エウフェミアの心臓がどくりと跳ねた。しかし、表情に出さないように気をつけながら、ヨウスカルに視線を移す。
「知ってのとおり、イグナティオスは現在行方をくらましてしまっておる。……あの子のことをどうするかじゃ」
「当然、行方を捜すべきです」
即座に意見を出したのはやはりミルティアディスだった。
「彼は右の眼です。精霊の眼としての責任があり、生命の精霊様の右の眼を好き勝手使わせるわけにはいきません」
ヨウスカルはアスプロ精霊爵を見る。その目はどこか悲しそうでもあり、冷たくもあった。
「それで、またあの子を閉じ込めるとでも言うつもりか? ……ゲオルギオスがしたように」
その言葉にミルティアディスは言葉を失ったように黙り込んだ。キュロスやカティアも深刻そうな表情をしている。
過去の精霊会議にも参加してきたカフェ家当主は言う。
「あの子にはずいぶんと悪いことをしてしまった。……その詫びも兼ねて、昨日話をしに言ったんじゃ。これまでのことを聞いても何も答えてくれんかったが、これからのことについては答えてくれたよ。火の大精霊様から再度恩寵を賜われるかもしれないという話をしたら、あの子は一蹴してきたよ。――『興味ない』とな」
エウフェミアは思わず息を呑む。ヨウスカルはそのときのイグナティオスの言葉を正確に教えてくれる。
『アンタらは大精霊様から与えられた恩寵を大事に大事にしているみてえだが、それに一体どんな価値があるんだ? ――俺は火の大精霊の恩寵を得たことで何一ついいことはなかった。火の大精霊がくれてやるって言ってきたってお断りだ。くれてきたって、ゴミ箱に捨ててやる』
皮肉めいた、誰にも媚びないあの口ぶり――彼女がよく知る会長そのものだった。イグナティオスの中にアーネストの影を感じられたことが嬉しくもあり、同時に精霊や術師へ対する強い不信感を感じ、悲しくなる。
「エウフェミア」
ヨウスカルに名を呼ばれ、エウフェミアは顔をあげる。
「ノエから聞いたが……お主とイグナティオスは親しい仲だったそうじゃな?」
その質問に胸が張り裂けるほど苦しくなった。
エウフェミアはアーネストのことを愛していた。プロポーズをしたのも勢いではあったが、本気だった。ずっと一緒にいたいと思っていた。なのに、彼はいなくなってしまった。
『アーネスト・ハーシェルは死んだ』
それは、社会的にアーネスト・ハーシェルという人物の死を意味すると同時に、彼女への決別でもあったのではないだろうか。
――お前の恋人であったアーネスト・ハーシェルという男はもういないのだという。




