32 夜明けの記憶
――それは夢とも現実ともつかぬ、不思議な体験だった。
気がついたとき、エウフェミアはベッドに眠る自分自身を見下ろしていた。それは『生命の間』で九年前の記憶を見たときと同じ。違うのは眠っている自分は今の自分であることだ。
窓の外を見えば、灰色の城壁や森が見える。どうやら、ここは『無色の城』の一室らしい。外はまだ薄暗く、日が昇る前のようだった。
エウフェミアが眠るベッドの横には青い髪の女性の姿がある。確か、彼女はノエの母親だったはずだ。『青の談話室』で紹介を受けた。
ずっと側にいてくれていたのだろう。その目は半分以上閉じられ、小さく船を漕いでいる。そして、とうとう耐えきれなくなったのか、彼女は目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。
ノエの母の膝にかけられていた布がゆっくりと床に落ちる。――少しして、ひざ掛けを拾い上げる者がいた。
それはアーネストだった。彼はひざ掛けをヘッドボードにかけると、ベッドに腰かける。それから、じっと眠るエウフェミアの顔を見つめる。
(会長。会長――!)
エウフェミアは心の中で叫ぶ。必死に手を伸ばすも、今の自分には手が届かない。なんとか目覚めたいと祈っても、ベッドの上の自分が目覚めることはない。
それからどれくらい時間が経っただろう。身動ぎ一つしなかったアーネストが、エウフェミアに手を伸ばす。その髪を優しく撫でる。――そして。
眠るエウフェミアの上に覆いかぶさるように顔を近づけ――静かにその唇に口づけた。
それは、長いようで短い時間。アーネストはゆっくりと体を起こすと、ベッドから立ち上がる。
「…………じゃあな」
そう一言残し、彼は静かに部屋を出ていった。――その光景を目撃した者は誰もいなかった。
◆
「会長――!」
エウフェミアはベッドから飛び起きた。そのすぐ隣で、「わあ!」と悲鳴が上がる。
「び、びっくりした。突然驚かせないでよ、もう!」
そう抗議してきたのはノエだ。すぐ横には彼の母親の姿もある。エウフェミアははとこの少年に詰め寄る。
「会長は――イグナティオスはどこ!?」
なぜか、その問いにノエはどこか気まずそうな顔をした。それから、「順番に説明するよ」と近くの椅子に座った。
「まず――どこまで覚えてる?」
「……燃えていた『生命の間』が元通りになったところまで。エリュトロス精霊爵は――ヘクトールさんは無事なの?」
「安心して。二人とも元気だよ」
ノエの答えに安堵の息を漏らす。
「いや、元気ではないか。ゲオルギオスはすっかり抜け殻みたいになっちゃって、静かなもんだよ。ヘクトールの方は『ゲオルギオス様は』『ゲオルギオス様は』ってうるさいけど。同じ部屋に閉じ込めといたほうがよかったかな? まあ、僕にその権限はないんだけどさ」
彼の話によれば、この二人――と後もう一人ヘクトールの協力者だったその息子――は、『無色の城』の一室に別々に拘禁しているらしい。エウフェミアが目覚め、今後の方針が決まるまでの一時的な処置らしい。
その説明に疑問を抱き、訊ねる。
「……私が目覚めるまで待ってたの?」
「そう。生命の精霊の大精霊の紋章を授かった人間抜きで当主の会議はできないからね」
エウフェミアは瞬きをする。ノエは自分の胸元を指さす。
「自分の精霊石。見てごらん」
そうして、言われるがまま、胸元から精霊石を取り出す。
それは記憶するかぎり、透明な宝石――だったはずだ。しかし、今は全体に不思議な模様が刻み込まれている。
(これが、大精霊の紋章……?)
大精霊に認められた者の精霊石に刻まれるもの。当主の証とも言える代物だ。
エウフェミアが呆然と精霊石を見つめていると、それを視界に入れないように配慮してか、そっぽを向いたまま、ノエが早口で言う。
「一応言っとくけど、見たのは不可抗力だからね! 母上が君を着替えさせるときに、たまたま――」
「そういえば、水の大精霊様は誰かに大精霊の紋章を授けてくださったの?」
精霊石を服の下に戻しながら、エウフェミアは訊ねる。正統な当主不在が九年も続いたガラノス家にとって、そしてエウフェミアにとっても、重要なことだ。
すると、ノエがにやりと口元を緩ませた。こんな風に喜びを隠しきれないような笑い方ははじめて見る。
「もしかして――!」
エウフェミアは期待から顔を輝かせる。ガラノス家次期当主を自称していた少年は待ってましたとばかりに宣言した。
「それはもちろん、この僕に決まってるだろ!」
「――と、お父様もでしょう? 自分が当主になったかのような言い方はするものではないわ」
母親にたしなめられ、ノエはバツの悪そうな顔をする。数度瞬きを繰り返してから、エウフェミアは確認をする。
「お父様って……イオアンニスさんのことですよね? イオアンニスさんがガラノス精霊爵になられたのですか?」
「はい。水の大精霊様は主人、そして、息子に大精霊の紋章を授けてくださいました。大変ありがたいことです」
ノエの母は微笑む。息子の方はどこか不満そうに鼻は鳴らす。
「父上ももう精霊術師としてはいい歳だからね。すぐに僕に当主の座を譲ることになるだろうね」
「そんなことばっかり言ってるうちは、あの人も引退したくてもできないわね。もう少し大人になりなさい」
微笑ましい親子の会話に、エウフェミアはくすくすと笑いをこぼす。それから、一番気になっていることを話題にする。
「それで、イグナティオスは? 今、どうしているの?」
すると、ノエは母親と一度顔を見合わせる。それから、渋々と言った様子で口を開いた。
「彼にも聞きたいことが色々あったからね。聞き取りをしたかったんだけど、エウフェミアが目覚めるまでは何も話さないって言うからと空き部屋に閉じ込めてたんだよ。世間話には応じてくれたし、扱いに不満を言わない。聞き分けのいい囚人だったんだけど……」
そこで一度言葉を区切る。
「今日の朝、様子を見に行ったらもぬけの殻だった。どうやったのか、部屋の鍵が開けられててさ。城中全部探したけど、どこにもいなかった。最後に目撃されたのは昨夜だ。……夜のうちに逃げたんだろうね」
エウフェミアは言葉を失った。
――イグナティオスがいなくなった?
それより、気になるのは目覚める前の記憶だ。結局あれは夢だったのか。それにしては、今いる部屋は目覚める前に見た部屋とまったく一緒だ。周りを見回し、――ヘッドボードにひざ掛けがかかっているのを見つける。
そこから視線が外せない。その間もノエは話し続ける。
「そのイグナティオスの件も含めて、全当主で話し合いをしたいんだってさ。だから、エウフェミアが起きるのを待ってたんだよ。――今さらだけど、体調は大丈夫? 気分が悪いとかない? 目覚めたばかりで申し訳ないんだけど、会議に参加できそうかな? もちろん、食事と身支度を整えた後でいいんだけど」




