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【本編完結】精霊術師になれなかった令嬢は、商人に拾われて真の力に目覚めます  作者: 彩賀侑季
六章 生命の目覚めと裁きの炎

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31 生命の目覚め


「やめておけ」


 それは奇しくも、仮装舞踏会(マスカレード)で貧相な男を助けようとしたときにかけられたのと同じ言葉だった。


 しかし、その表情は違う。あのときは仮面越しでも分かるほど苦々しい顔をしていたが、今はただ恐ろしいほど無表情だ。


 問答をしている暇はない。反対の腕も使って、なんとか彼の手を剥がそうとするがビクリともしない。エウフェミアは叫ぶ。


「離してください!」

生命の精霊(プシュケー)を起こそうと考えるのか。……まあ、この状況じゃ、火の大精霊(フォティア)を止める方法はそれしかねえからな」

「……っ!」


 その言葉に、エウフェミアは思わず息を呑んだ。


 こちらの考えは見透かされているらしい。それが彼の観察眼によるものなのか、それとも右の眼(デクシア)の能力なのかは、エウフェミアには分からなかった。


 いくら暴れても、イグナティオスは離してくれない。涙を堪えながら、エウフェミアは目の前の男に問うた。


「本当に、エリュトロス精霊爵を見殺しにするおつもりですか!」

「そうだよ」


 男は即答する。


「ゲオルギオス・エリュトロスは火の大精霊(フォティア)の炎に焼かれ、塵に帰る。……愚かな人間の、愚かな生き様の最期って考えりゃ、上等なもんだろ」 


 エウフェミアは何も言えなかった。それはイグナティオスの言葉が正しいと思ったからではない。彼の瞳の闇の深さに気づいたからだ。


 ナイセルの問題解決に奔走していた頃。彼の心の闇を垣間見た。しかし、その深さまでは見えなかった。――ここが、暗闇の底だ。


 ゲオルギオスにより、彼は不遇な人生を歩まされた。しかし、その境遇や、今までのその心情に思いを馳せる時間はない。


 エウフェミアはイグナティオスを睨む。


「あの方は既に恩寵を取り上げられています! 七家の規則に則るなら、既に罰は受けたはずです! 生命を奪う理由はないでしょう!?」

「七家の規則なんて興味ねえ」

「わ、私はこんなの間違ってると思います!」

「お前の気持ちなんてどうでもいいよ」


 反論は簡単に一蹴された。イグナティオスは背を屈ませ、こちらに顔を近づけてくる。


「俺は規律を重んじてこうしたわけでもねえし、お前の希望に則って行動してるわけでもない。俺は俺の意思でこうしたいと思った。それを曲げるつもりはない。……諦めろ。お前の負けだ」


 いつだってアーネストはエウフェミアの意思を優先してくれた。背中を押してくれた。その彼が、今は諦めろと言ってくる。そのことが悲しくて、苦しい。


 ――アーネスト・ハーシェルは死んだ。


 その言葉の意味はまだ分からない部分も多いけれど、それは事実なのだろうと思った。彼はアーネスト・ハーシェルという仮面を捨てたのだ。


 遠くで悲鳴が響いた。エウフェミアは弾かれたように視線を向ける。


 ヘクトールの腕が燃えている。彼は主人を守ろうと火を払っていた。しかし、それも限界が近いのだろう。


 エウフェミアは叫ぶ。


「こんなの間違ってます!」


 彼が何と言おうと、こんなのはおかしい。


 ずっと、家族の死の真相を知りたかった。一度は犯人の死により、すべてを明らかにすることができないと諦めかけた。今度こそ本当のことが明らかになった。でも、その結果、真犯人が大精霊に裁かれる。そんな結末を望んでいたわけではない。


「エリュトロス精霊爵がこんな形で罰せられることも、――何より、あなたがこんな風に手を汚すことも! どちらもおかしいです!」


 これまで一切の感情を見せなかったイグナティオスの眉間に、わずかに皺が刻まれる。エウフェミアはすかさず言い放つ。


「湖で、約束しましたよね。『勝負に負けた方が勝った方の言うことを一つ何でも聞く』と!」


 あれは今より平穏な時間を過ごしていたとき。デートをした湖畔で、気まぐれのように彼が持ちかけてきた勝負。その勝負にエウフェミアは勝ち、まだその権利は使われていない。


「その権利を使います。――この手を離してください!」

「…………今、それを持ち出すか」


 イグナティオスはどこか引きつった嗤いを浮かべる。


「あれはアーネスト・ハーシェルとした話だろ。俺にしたって無効だ」

「でも、約束したのはあなた自身です」


 先ほどから彼はまるでアーネストを別の人間のように表現するが、それは違う。確かにハーシェル商会会長というのは仮面の一つだったかもしれない。だが、その仮面を被っていたのは目の前の彼自身だ。


「一度決めたことを反故になさいますか? あなたはそういう方ではないでしょう?」


 エウフェミアはイグナティオスを真っ直ぐに見つめる。イグナティオスも無機質な瞳でこちらを見据えたまま、視線を外さない。焦燥感に苛まれる中、時間が過ぎるのがとても遅く感じる。そうして、先に口を開いたのはイグナティオスだった。


「…………そうだな。何でも聞くと言ったのは俺だったからな」


 彼は思ったよりずっとあっさりとエウフェミアの手を離した。そのことを喜ぶより、困惑が勝つ。しかし、これ以上、イグナティオスに構っている時間はない。


 エウフェミアは振り返り、祭壇に駆け寄る。そうして、床に手をつく。


「その選択。後悔すんなよ」


 後ろから聞こえた声は冷たいながらも、どこか背を押してくれるような響きに聞こえた。




 ◆




 気がついたとき、エウフェミアは真っ白な空間にいた。立ち上がり、周りを見回す。


(……ここは、どこかしら)


 はじめての場所のはずなのに、どこか懐かしく思う。そんなことを考えていると、人の声が聞こえた。


『待っていたよ。私の可愛い子』


 驚きのあまり、エウフェミアは肩をビクリと震わせる。それから、正面に向き直り、少し先に()()を見つけた。


 それは巨大な鳥のように見えた。体全体を白銀の毛が覆い、背中には翼が生えている。鳥と違うのは彼には足だけでなく、小さな両手もついていることだ。


 エウフェミアはゆっくりとその生き物に近づく。


「……生命の精霊(プシュケー)様、ですか?」

『そうだよ。エウフェミア。私の可愛い子。ずっと、ずっと、君を待っていた』


 その声は耳ではなく、頭の中に響く。声色は三十代くらいの男性のものに聞こえた。


 彼の言葉にエウフェミアは困惑を隠せなかった。生命の精霊(プシュケー)に訊ねる。


「ずっと待っていたとはどういうことですか?」

『私は、私を起こしてくれる人をずっと待っていたんだよ』


 彼は微笑んだ――ように見えた。


『今からずっとずっと昔。私は眠りについた。たくさん力を使いすぎたから、力を回復させるためにね。でも、少し長く眠りすぎたみたいだ。自分一人の力では目覚められなくなってしまったんだよ。だから、代わりに私を起こしてくれる存在が必要だったんだ。それが君だよ。エウフェミア』


 自分が生命の精霊(プシュケー)を目覚めさせるための存在。――それがずっと不思議だった、生命の精霊(プシュケー)の恩寵を得た理由の答えなのだろう。しかし、そう説明されても、すぐにその事実を受け止めきれない。


 生命の精霊(プシュケー)は続ける。


『ずっと君のことを見ていた。私の右眼を通じてね。君の頑張りもね。君が立派に成長してくれて、私は本当に嬉しいよ』


 その言葉に、エウフェミアは自分の目的を思い出す。頭を下げ、生命の精霊(プシュケー)に懇願する。


生命の精霊(プシュケー)様。ここに来たのはお願いがあってのことです。――どうか、火の大精霊(フォティア)様の怒りを鎮めていただけないでしょうか?」


 生命の精霊(プシュケー)はじっとこちらを見つめてから答える。


『外の様子は私の両眼を通じて見えているよ。ずいぶんと大変なことになっているようだね』

「――では」

『不要な血が流れるのは私も望むところではない。……大丈夫。君が私を目覚めさせてくれれば、すべてうまくなそう。さあ、君ならできる。目を閉じて。心に思い浮かぶまま、祈るんだ。君なら私を目覚めさせられる』


 言われるがまま、エウフェミアは目を閉じる。そして、祈った。――生命の精霊(プシュケー)の目覚めを望んで。


 周囲が光りに包まれるのが、目を閉じていても分かる。九年前、中断させられてしまった祈り。それがようやく果たされるのだ。


 遠くで火の大精霊(フォティア)の怒りの声が聞こえる。ヘクトールの叫びが。火が燃える音が近づいてくる。


 そうして、気づいたときにはその音が再び掻き消えていた。目を開けると、そこは祭壇の前。先ほどまで火の海だったはずの『生命の間』は何事もなかったかのように無事だ。


(なんとか、なったの……?)


 それを確認しようと立ち上がろうとした直後、体がよろける。急に鉛のように体が重くなる感覚は覚えがある。能力を使った反動だ。そのまま、床に後ろから倒れる瞬間――誰かの腕が体を受け止めてくれる。


 その相手を見て、エウフェミアは目を見開いた。ポツリと彼を呼ぶ。


「――会長」


 どこか不機嫌そうな表情を浮かべながらも、イグナティオスは今度は反論を口にしなかった。


 言いたいことはたくさんある。聞きたいこともだ。しかし、それ以上の言葉は出て来なかった。以前と同じように瞼が開けていられなくなる。睡魔が襲ってくる。


 エウフェミアはイグナティオスに手を伸ばそうとした。しかし、腕を持ち上げることさえできないまま、深い闇へと意識を手放した。


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