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【本編完結】精霊術師になれなかった令嬢は、商人に拾われて真の力に目覚めます  作者: 彩賀侑季
六章 生命の目覚めと裁きの炎

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29 静かな怒り


 床を見つめるゲオルギオスの表情にはただ絶望だけが浮かぶ。


 それは自身が犯した殺人の罪を否定できないからか。あるいは、それとは別に七家の制度を悪用するというこれ以上ない当主としての禁止行為をしていたことが明らかになったからか。――もしかしたら、その両方かもしれない。


「お主の主張はよく分かった」


 ヨウスカルがゆっくりと口を開く。


「じゃが、儂らには分からぬことがまだまだある。どうやってお主は生き延びた? この九年間何をしておった? 恩寵のない身でどうやって『無色の城(ここ)』に入り込んだ?」


 投げかけられた最後の質問にだけ、イグナティオスは反応する。


「……さっき今の俺はただの凡人って言った。まあ、あれは嘘だな。恩寵は失ったが、()()はまだ残ってる」


 そう言って、彼が指差したのは自身の右目だ。


「――右の眼(デクシア)


 それはこの場にいる誰もが知っている言葉だった。


「アルテミシア・ガラノスが死んでから火の大精霊(フォティア)の恩寵を失うまでの間に授かった。一度授かれば、恩寵を失っても右の眼(デクシア)までは奪われないらしい。生命の精霊(プシュケー)様は寛大なお方だな。まあ、この目があれば精霊術で隠された道を進むのは簡単だったよ。案外便利なんだぜ、これ」


 それから、イグナティオスは青のマントを脱ぎ始める。その下はシャツにズボンとかなりの軽装だ。


「このままの姿じゃ目立つからな。ちょうど城の近くの川でこれを見つけたんだ。今日はガラノス家の人間がうようよしてたからな。紛れるにはうってつけだった」


(――もしかして)


 エウフェミアは会議の前にテオドラがマントをなくしていたことを思い出す。そのとき、ノエがイグナティオスに近づいてきた。


「いい加減返して!」


 ノエは怒ったようにイグナティオスの手から青のマントを奪った。矜持ある水の精霊術師にとって、それを部外者が着るのは許しがたいことだろう。


 少年はそのまま、人差し指をイグナティオスに突きつける。


「僕のことも騙してたんだね!!」

「――何のことだ?」

「てっきり、エウフェミアが君を勝手に連れてきちゃったのかと思って庇ってあげてたのに――嘘だったなんて」

「別に俺は何も言ってねえだろ。お前が勝手に勘違いしただけだ」

 

 少年はわなわなと怒りで震えている。それを無視し、イグナティオスは何かを探すように自分の胸やズボンのポケットを叩く。


「それと、ダフネ・キトゥリノだが――アイツを攫ったのは俺だ」

「――は!?」

「アイツだけは顔を隠しても俺の正体を看破する可能性があった。先に騒がれても面倒だからな。実際、顔を合わせてすぐに俺がイグナティオスってことも、右の眼(デクシア)ってこともバレたよ。俺のせいで何か騒動が起きるのは分かりきってたからな。保護も兼ねて、空き部屋に隠してきたんだ」


 そうして、煙草とライターを見つけた彼は煙草に火をつける。煙たそうにノエは手を振りながら、訊ねる。


「じゃあ、さっき僕に『ニキアスに渡せ』って手渡してきた封筒は――」

「ダフネ・キトゥリノの居場所を示した紙と、その部屋の鍵が入ってた」

「だから、中身を確認してすぐ飛んで行っちゃったんだ……」


 この場にニキアスが不在の理由にも納得する。


「僕に『当主たちと一緒に『生命の間』へ向かえ』って言ったのも、全部分かってのことだったんだ」

「火の精霊たちが二人が『生命の間(ここ)』に向かったって教えてくれたからな。……まあ、ソイツがここで起きたことを思い出したってのは予想外だったが」


 そうして、イグナティオスはこちらに視線を向けた。――それは彼がこの部屋に現れてから初めてのことだった。


 ゲオルギオスを論破している間も、過去のことを語っている間も。彼は何度もエウフェミアの名前を口にしたが、こちらを見ることは一度もしなかった。まるで存在を無視するかのように。


 だから、こうして目が合うのは嬉しいこと。そのはずなのに、エウフェミアはまったく喜べなかった。――彼が自分に向ける視線が妙に冷たいものだったからだ。


 黒い瞳には、感情も温かみもなかった。ただの物を見るような、空虚な眼差し。


「……か」


 名前を呼ぼうとして、やめる。そもそも今の彼のことを何と呼べばいいのだろう。分からない。


 そのとき、再び上階が騒がしくなる。少しして階段を降りてきたのはダフネを抱いたニキアスと、イオアンニス他数名の生命術師に連行されるヘクトールだった。彼の腕は縄で縛られている。


「兄さん! いい加減降ろして!」

「ダメだよ! また、勝手にどこか行かれちゃ困るんだから!」


 怒るダフネに対し、ニキアスは上機嫌だ。ニコニコと笑っている。それから、ダフネはイグナティオスに気づくと、大声をあげる。


「エウフェミア! そいつがイグナティオスよ! 右の眼(デクシア)でもあるわ! 気をつけて!!」


 彼女にとってはイグナティオスはエウフェミアの家族の敵であり、自分を誘拐した危険人物だろう。その反応は当然でありながら、今の場においては空気が読めていないようにも見える。


 ノエが呆れたようにため息をつく。


「もうその話はいいよ。もう全部分かったから」

「え? もういいってどういうこと?」


 状況が分からず、ダフネは混乱している様子だ。それから、イオアンニスは当主たちに報告をする。


「領分を侵すことをお許しください。彼は左の眼(アリステラ)に被害を加えようとしたため、捕らえました。エリュトロス精霊爵に処遇をどうするかお伺いしたかったのですが……」


 イオアンニスは聖堂でうずくまる男に視線を向ける。


「ゲオルギオス様!」


 主の異変に気づいたヘクトールが声を上げる。そして、ゲオルギオスに駆け寄ろうとし、他の精霊術師たちに止められる。ヨウスカルが許可を出す。


「よい。行かせてやれ」


 解放されたヘクトールは腕を拘束されたままにも関わらず、一目散に主のもとに駆け寄る。そしてその隣に膝をついた。


「ゲオルギオス様大丈夫ですか! ゲオルギオス様……っ!」


 呼ばれた主はゆっくりと腹心を見る。小さく「ヘクトール」と呟いた。ヘクトールは今度は少し離れたところのイグナティオスを睨みつけた。


「貴様! なぜ、生きている!!」

「それは九年前の話か? それとも、()()の話か?」


 イグナティオスは冷静に訊ね返す。


「川に落ちてもイオエルの力があったからな。下流に流されるまでは溺れずにすんだ。岸にたどり着いたのを偶然近くの集落に住む男に助けられたんだ」

「下流近くの集落は全部回った!! 誰もお前を見た者はいないと言った!!」

「ああ。俺を助けた男の家にもアンタは来たよ。でも、その男は嘘をついたんだよ。そんな子供は知らないってな。……家の奥には高熱で苦しむ俺がいたのに」

「――馬鹿な。引き渡せば、金貨五千枚を支払うと言っていたんだぞ!」

「……いたんだよ」


 彼は沈痛な面持ちで目を伏せる。


「一生遊んで暮らせるほどの金より、今にも高熱で死にそうな子供の命の方が大事と思うお人好しの馬鹿がな」


 そして、イグナティオスは煙草の吸殻を灰皿にしまう。――その後に続く言葉はエウフェミアにとって、決して看過できないものだった。


「昨日の件は――最初から、アーネスト・ハーシェルは死ぬ予定だったんだよ。走らせていた馬車が誤って転落してな。アンタに追いかけられて、予定より手前の地点で馬車を転落させる羽目になっちまった。おかげでトリスタンとの別れがろくにできなかったじゃねえか。どうしてくれるんだよ」


 エウフェミアは目を見開く。


 最初からアーネスト・ハーシェルは死ぬ予定はだった。トリスタンとの別れがろくにできなかった。


 不安に突き動かされ、エウフェミアはイグナティオスに駆け寄り、その腕を掴む。


「それはどういう意味ですか」


 イグナティオスはこちらを振り向く。向けてくるのは不快そうな目だ。不機嫌そうな顔はよくしていたが、それとも違う。――まるで、侮蔑のような視線に、思わずたじろいだ。


()()()()()()()()()()()()()()()


 イグナティオスは淡々と答える。


「昨夜馬車が崖から転落してな。運悪く荷物に手持ちのライターの火が引火。馬車は全焼。中からは一人の焼死体が見つかる。――大変だったんだぜ。俺と似た遺体を用意するのは」


 動けずにいるエウフェミアの手を、イグナティオスは乱暴に振り払う。それから、ヘクトールに近づき、その横に膝をつく。


「ヘクトール。アンタに聞いておきたいことがある。――エウフェミア・フロマを狙った襲撃犯はアンタの手の者だな」


 エウフェミアは息を呑む。イグナティオスの正体がアーネストである以上、彼は襲撃犯ではありえない。なら、本当の襲撃犯は別にいることになる。――そして、それはエリュトロス家の人間でしかありえない。アリバイが全員にあるのであれば、誰かが嘘をついていたのだ。


 ヘクトールは図星を突かれたように、視線をそらす。イグナティオスは息を吐いた。


「確かアンタの息子は俺と一つ違いだったな。息子にやらせたか? それとも、他の奴か? ……まあ、誰でもいいよ。アンタが首謀者ってことが分かれば、それで十分だ」


 イグナティオスは立ち上がる。そして、ゲオルギオスを見下ろし、地の底より低い声で言った。


「ヘクトールの偽証を許したな」


 それは燃え盛るような激しい怒りではない。静けさの奥底に煮えたぎるような激怒だ。


 ゲオルギオスは呆然とイグナティオスを見上げる。ヘクトールが反論した。


「――違う! あれは私の独断で、ゲオルギオス様は何も知らなかった!!」

「アンタは分かっていたはずだ」


 イグナティオスはヘクトールを一瞥もしない。


「俺は精霊石(ペトゥラ)を持ってない。精霊術は使えない。だから、どうあっても俺は犯人にはなり得ない。なのに、アンタは俺を犯人とすることを許した。身内の罪を明らかにしようとしなかった。それはアンタ自身の罪だよ」


 彼は右手で顔を覆う。感情を落ち着かせるように大きく深呼吸をし、顔をあげる。その表情には、その瞳には明らかな憎悪が浮かんでいた。


「九年前、アンタは俺の大事なものを奪った。そして、また俺の一番大事なものを奪おうとした。――さあ、その罪の代償を払ってもらおうか」


 エウフェミアは背筋がゾクリと震えるのを感じた。そして、思い出す。ダフネから聞いた、工房の火の精霊が言っていた言葉を。


 ――『イグナティオスが怒ってる』。


 イグナティオスはポケットから取り出した瓶の液体を床にまく。エウフェミアは叫ぶ。


「待って――!!」


 しかし、その声は彼の心には届かなかった。怒りと憎悪に取り憑かれた男は火をつけたライターを床へ放る。


「『無色の城(ここ)』にいるんだろ。来てくれ。――火の大精霊(フォティア)


 そうして、炎は天高く燃え上がった。




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