22 幸せになる方法
送別会のときも、以前遊びに来たときもそうだったが、商会の皆は酒盛りが好きだ。エウフェミアの誕生日パーティーではあるが、余興も終わり、ある程度時間が経つも主役のエウフェミアそっちのけで盛り上がり出す。
しばらくゾーイやタビサと談笑していたエウフェミアだが、話が一区切りついたところで立ち上がった。二人に告げる。
「会長と少しお話してくるわ」
アーネストとの関係性を知っている二人はエウフェミアの発言に何か言ってくることはない。ゾーイは「いってらっしゃい」と酒の入ったグラスを軽く振り、タビサはそっと耳打ちをしてくる。
「確かに誕生日パーティーを企画したのはワタシですけど、ワタシにエフィさんの誕生日を教えてくれたのは会長なんですヨ!」
タビサの密告に思わず笑みをこぼす。それから、そっと食堂を飛び出した。
事務所の鍵はかかっていなかった。階段を上がり、アーネストの執務室の扉を叩く。
「――入れよ」
すぐに返ってきた返事に従い、エウフェミアは扉を開く。アーネストが開いた窓の側で外を見上げている。近づいて、その隣に立つ。
「夜の空もお好きなんですか?」
「――いや」
アーネストは苦笑を返す。
「真っ暗で面白みがない。星の配置を覚えるのは暗記みたいで面白いけどな。どれも似たりよったりだろ」
そう言って、彼は星を指さし、名前を口にする。
「あの緑の星がヴィタリス。その右下がエンペリア。あっちの赤い星がセレンティス。さらにあっちの青い星がフェルディナーレ。――覚えられるか?」
「……え、ええと」
「覚えられねえだろ。覚える必要もないだろうけどな」
そう言って、アーネストは窓を閉める。その姿を見つめながら、エウフェミアは問う。
「ですが、会長は覚えていらっしゃいます」
「…………別に覚えたくて覚えたわけじゃねえよ。夜眠れなくて、目が覚める。そんなときにはやれることがほとんどない。だから、外に出て星を見るんだよ。そうやって朝が来るのを待つんだ」
カーテンを閉めると、アーネストはソファへと移動する。エウフェミアもその後を追い、その隣に座る。
「そういえば、ゾーイに聞きました。商務庁高官のダインリー公爵の後ろ盾を得られたそうですね」
それは少し前にゾーイが言っていた『すごいこと』の答えだった。
商務庁は帝国の商業、経済政策を直接監督する立場だ。ダインリー公爵は商務庁で三本の指に入る有職者だそうだ。公爵が支援する商会はいくつかあるらしいが、設立からまだ数年の新興の商会がその後ろ盾を得るというのはかなり異例なことらしい。
公式に支援を得られることが決まったことを先ほどゾーイが「やっと言える」と笑って教えてくれた。アーネストやゾーイ、それ以外の皆もこの件でしばらく忙しくしていたらしい。
「おめでとうございます。お忙しくされてたのはそのためだったんですね」
すると、アーネストはどこか気まずそうな表情を浮かべる。
「……悪かったな。ろくに連絡もよこさなくて」
「いえ。私の方もこんな状況でしたから、気になさらないでください」
お互い慌ただしい状況だったわけだ。しかし、それももうすぐ終わるだろう。
「先日、生家に行ってきました」
エウフェミアはぽつりぽつりと話し出す。
「精霊会議への参加の許しを伯父様にいただくためです。昔はすごく偉大で素晴らしい方だと思っていましたが……久しぶりにお会いしたら、全然そんな気持ちは蘇ってきませんでした。怖いとも思いませんでした。――それと、伯母様にもきちんとお礼が言えたんです。思っていたことが伝えられて本当によかったです」
そこまで一方的に話し、ふと伯母の質問を思い出す。
「どうしたら、人は幸せになれるのでしょうか?」
「ずいぶんと哲学的な質問だな」
アーネストは斜に構えた態度だ。エウフェミアは説明が足りなかったと補足する。
「その、伯母様に今、私は幸せなのか聞かれたんです。でも、今、私は幸せなのか分かりませんでした」
視線を落とし、ぎゅっと服の裾を握りしめる。
「もちろん、不幸ではありません。幸せと感じる瞬間もたくさんあります。……ですが、――私はハーシェル商会にいた頃、あの場所にいられることが幸せでした。でも今は、そういう無条件の安心と言いますか、そういう気持ちはなくなってしまっていまして」
そこでエウフェミアは話すのを止めた。
言いたいことが上手くまとまらない。これ以上、言葉を重ねても、気持ちを伝えられないと思ったからだ。しかし、アーネストはそこを上手く汲み取ってくれた。
「それは今のお前の状況が不安定なものだからだろ」
彼はそう断言すると、足を組む。
「精霊術師として認められて、以前より地位は高くなった。でも、その立場を維持するには、自分で自分の価値を証明し続けなきゃならない。手助けしてくれる奴はいるだろうが、その立場を代わってくれる奴はいない。そりゃ、不安にもなるし、疲れもするだろ」
その説明を聞いて、エウフェミアも腑に落ちる。
「なるほど、そうだったんですね……!」
自分でも理解できていない気持ちを理解してくれたことに感動する。すっきりとした気分になると同時に、別の不安も覚えてしまう。
「ですが、それはつまり、私が精霊術師であるかぎり、私は幸せになれないということですか……?」
ハーシェル商会にいた頃のような幸福感。立場が変わったことでそれが失われたというなら、この道を進むかぎり、エウフェミアはもうあの頃のような気持ちを抱くことはないということではないか。
アーネストは無言でしばらくこちらを見つめてから、正面へと視線を向けた。
「そんなことはないさ」
それは彼にしても珍しく、根拠のない楽観的な発言だった。
「お前はちゃんと幸せになれるよ。今はまだ不安定な足場もいつか固まる日が来る。お前の立場を代わってくれる奴はいなくても、お前の気持ちを理解し、支えてくれる奴は絶対に現れる。何があっても絶対的にお前の味方でいてくれる……そんな存在がいれば、不安を覚えることもなくなるさ」
それは希望に満ちた言葉でありながら、エウフェミアが寂しさを覚えるには十分なものだった。手を伸ばし、アーネストの腕の裾を握る。
「会長はそうなってくれないんですか?」
気持ちを理解し、支えてくれる人。それは間違いなく目の前の恋人だ。何があっても絶対的な味方でいてくれる。そうとも信じている。
しかし、今のアーネストの発言はそれが自分以外の誰かであることを前提にしていた。彼の考えは知ってはいるが、そのことを突きつけられるたびに胸が苦しくなる。
非難の気持ちを込めて、じっとアーネストを見つめる。すると、彼は嗤った。
「何だ。プロポーズのつもりか?」
「そっ――そういうわけではありませんけれど」
プロポーズという言葉につい顔を赤らめた。それから、どこか楽しそうに笑う恋人を見て、あることを思いつく。
「決めました」
エウフェミアはアーネストの手を握ったまま、立ち上がる。怪訝そうにこちらを見上げる彼に言い放つ。
「勝負に勝った権利。それに使います。――私と結婚してください」
アーネストはあんぐりと口を開ける。それから、慌てたように叫ぶ。
「待て待て! それはさすがに反則だろ!!」
「勝負を持ちかけたのは会長です。何でも聞いてくださるんですよね?」
エウフェミアは満面の笑みを浮かべる。アーネストは眉間にしわを寄せ、冷や汗をかいている。やり手の彼を封じ込められたことに少し気分が良くなってくる。
しかし、アーネストも簡単には引き下がらない。
「結婚は家、あるいは相互の意思で決めるものであってな」
「ご存じのとおり、私は家族がおりません。家の意思は関係ありませんから、お互いの意思があれば問題ありませんよね? 私は会長のことが好きです。会長も私のことを愛してるとおっしゃってくださったではありませんか?」
「……身分差だってある。今はまだ正式に貴族になったわけじゃねえが、生命の精霊の恩寵のことを考えれば爵位を与えられるのも時間の問題だ。俺は一介の商人。どう考えたって釣り合わないだろ」
「確かにそうですね。私は会長以外と結婚するつもりはありませんが、周りが気にする可能性がありますね。何か対策を講じる必要があるかもしれません」
そう答えてから、改めて思いを告げる。
「冗談を言ってるわけではありません。本気ですよ。……ずっと、一緒にいてほしいんです。私の絶対の味方で居続けてくれませんか?」
アーネストは何かを言おうとしたが、それ以上反論を並べることはしなかった。諦めたように項垂れる。
「…………分かった」
「では――!」
「ただし、条件がある」
どうやら、まだアーネストは抵抗するつもりらしい。何でも言うことを聞くという勝者の権利に条件を持ち出すほうが反則ではないかと思いながらも、エウフェミアは訊ねる。
「なんでしょうか?」
「少し考える時間をやる。……精霊会議が終わってからもう一回、聞く。もう少し考えろ」
――もう一回考えても、気持ちは変わらないのに。
そう思いながらも、先ほどの発言が思いつきであることは否定できない。アーネストを納得させるためにも少し時間を置くのは必要なことかもしれない。
「分かりました」
渋々ながら、エウフェミアは頷く。アーネストが額の汗を拭う。
それから、しばらく他愛もない話をしていた二人だったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。日付が変わる頃、再び馬車を走らせ、エウフェミアは皇宮へと戻る。
「じゃあな」
「はい。おやすみなさい」
別れ際もアーネストはいつも通り素っ気ない挨拶だった。人気のない路地裏から精霊術を使い、皇宮の塀を越える。
こうして、アーネストからのサプライズは終わりを迎えたのだった。




