8 仮面の下の顔
食事を終え、二人は店を出る。外はすっかり薄暗くなっている。楽しい初デートの余韻――なんてものはない。
何かと気を遣い、話を振ってくれたアーネストもこちらの様子に何か気づいたのだろう。途中から口数が減っていた。
エウフェミアも場を盛り上げようと話題を振ることはしなかった。会話を楽しむ他のテーブルと違い、二人のテーブルは重苦しい空気が流れていた。
デートも終わり、後は帰るだけ。アーネストはエウフェミアを先に馬車に乗せる。借りた手を離す瞬間、彼は口を開いた。
「悪かったな」
その言葉に、エウフェミアは目を瞠る。謝罪の言葉自体ではなく、その声色が暗く、後悔にまみれているようだったことに驚いたのだ。
こちらを見上げるその表情も暗い。アーネストは自嘲するように笑った。
「せっかく楽しみにしてくれてたのに……つまらなかっただろう。無駄な時間を取らせて悪かったな」
「そんな――」
エウフェミアは否定しようとして、やめた。洞察力のある彼がエウフェミアの気持ちを察していないわけがない。相手に分かる嘘をつくことに意味などないだろう。
「俺は歩いて帰る。商会までそんな距離もねえしな。……じゃあな」
アーネストは力なく手を振ると、踵を返した。その姿が遠くに消えていく――前に、エウフェミアは馬車から飛び降りた。
「会長!」
彼の手を掴み、引き止める。振り返った青年の表情も目もひどく冷たいものだった。
「…………なんだ」
その声色の冷淡さにエウフェミアは一瞬怯む。しかし、意を決して口を開いた。
「確かに今日は思っていたより、全然楽しくありませんでした」
ネガティブな気持ちをこうもハッキリ宣言するのは勇気のいることだった。アーネストは眉一つ動かさない。エウフェミアは言葉を続ける。
「それは、会長も同じでしたよね?」
その指摘に、彼は僅かに表情を強張らせた。エウフェミアは大きく息を吐き、自分の指をアーネストの指に絡める。
「……少し、お話をしましょう。私たちはお互い言葉が足りてないと思います」
◆
文化地区には公園や広場、散歩道もある。エウフェミアは人気の少ない場所を探し、近くの広場に移動した。中央の人のいるところを避け、隅のベンチへと二人並んで座る。
アーネストは顔を覆うように額に手を当て、俯いている。その横顔に静かに問いかける。
「どうして、デートの場としてあの観劇を選ばれたのですか?」
「…………思いついた選択肢で、一番適当だと思ったからだ」
思ったより、すんなりと答えが返ってくる。
「ショッピング、美術館、コンサート。他にも候補はあったが、『薔薇の誓い』は恋愛を主軸とした演劇だ。恋人の初デートとしては悪くないだろ?」
その答えにエウフェミアは困惑する。
「……デートする場所というのは、適当かどうかで決めるものなのですか」
「知らねえよ。俺だってデートプランを考えるのは初めてだ」
吐き捨てるような告白は意外なものだった。女性の扱いも慣れているため、そういう経験も豊富なのかと思っていた。
アーネストは顔を覆う手を下ろす。それから、真正面をじっと見つめる。
「だから、顧客や他に付き合いのあるヤツと会うときと同じように考えてみたわけだが――駄目だな。そもそも、お前の趣味趣向を考えてなかった。俺の方が年上で、経験もあるからリードしてやらねえとと思ってたが、……とんだ自惚れだったな」
その言葉にエウフェミアはすぐになんと返せばいいのか分からなかった。
アーネストの考え方はエウフェミアにはよく分からないところもある。しかし、今の話を聞いて感じたのは彼はまた別の仮面を被ろうとしていたということだ。
普段被っているハーシェル商会会長の仮面。それとは別にエウフェミアの恋人としての仮面。――そう思うと、ひどく悲しくなった。
エウフェミアは手を伸ばし、アーネストの手を掴む。そして、力強く握った。
「適当かどうかや、リードしないとなんて考えなくていいんですよ。私は完璧なデートをしたかったわけじゃありません。あなたと楽しい一日を過ごしたかったんです」
アーネストと一緒なら自邸で過ごすのだって楽しい。でも、一緒に外出するのもきっと楽しい。だから、エウフェミアは今日という日を楽しみにしていた。
しかし、実際のデートプランは見栄えだけ整えたものだった。適当かどうかというだけで決められ、エウフェミアはもちろん、アーネストの好みが反映されているわけでもない。そんなの、お互い楽しめるわけがない。
エウフェミアは笑う。
「会長は何がお好きですか? 私は会長が好きなところに行きたいです」
「……俺が好きなところ」
アーネストは無表情のまま、呟く。そして、そのまま黙り込んでしまった。エウフェミアは静かに答えを待つ。
しばらく、彼の視線は虚空を彷徨っているように見えた。それから、ふと、上を見上げる。
空はすっかり夜の色だ。まばらに星が輝く。それを見つめながら、アーネストはポツリと呟く。
「空」
その言葉にエウフェミアは思わず、首を傾げる。アーネストは続けた。
「青空が見えるところがいい」
デート場所を訊ねる問いの答えとしては、少しズレた答えだ。しかし、アーネスト自身の希望を聞けたことに何よりも安堵する。
「では、ピクニックに行きましょうか」
エウフェミアは両手を叩く。我ながらいい考えだ。
「帝都を離れて、原っぱかどこかでゆっくりと過ごしましょう。私、お弁当作りますよ。会長は何が食べたいですか?」
「……何でもいいよ」
そう言って、アーネストはゆっくりと立ち上がる。それから、こちらに手を差し出してきた。
「お前が作ってくれるなら、何でもいい」
それはどういう意味なのだろう。どういう風に理解すればいいのだろう。なんとなく、気持ちがふわふわとする。
エウフェミアは差し出された手を掴む。すると、アーネストが腕を引っ張り、エウフェミアも立ちあがる。突然のことでよろける体を彼は支えてくれた。
お礼の言葉を伝えようと、エウフェミアはアーネストを見上げる。しかし、その顔を見て、何も言えなくなった。
「……ありがとう」
そう告げる彼の表情は今まで見た中で一番優しくて、穏やかで――でも、少しだけ悲しそうで。目の前の人物が誰なのか分からなくなりそうだった。




