13 石はどちらの手に
魚捕りに夢中になっているとあっという間に小一時間ほど経った。
籠には小ぶりだが二十匹近く魚が入ってる。大半がエウフェミアが捕った魚である。一時間で三匹しか捕れなかったトリスタンが疲れ切った顔で呟く。
「……エフィさん、漁師も向いてるんじゃないっスか?」
「慣れればこれくらい簡単に取れますよ」
「いやいや。僕もここにはよく魚を捕りに来てましたけど、あんな方法じゃまったく捕れませんよ。慣れの問題じゃないですって」
「水の精霊に愛されてるってことじゃねえのか?」
エウフェミアは驚いてアーネストを振り返る。まさか、彼の口からそんな言葉が出ると思わなかったからだ。
アーネストは平然とした態度で「あるいは」と、煙草を持った手でトリスタンを指さす。
「トリスタン。お前に釣りの才能がないかだ」
「そんなこと言うなら若様もやってみてくださいよ!」
「嫌だよ。めんどくせえ。そもそも、こんだけありゃ今日どころか明日にも回せるだろ。これ以上捕っても腐るだけだぞ」
アーネストはトリスタンに魚の入った籠を持たせると「ほら、さっさと歩け。戻るぞ」とせっつく。
キムはトリスタンを気遣うようにそのすぐ後ろをついていく。アーネストは残りの魚釣りの道具を回収すると、動かないエウフェミアに声をかけた。
「おい、帰るぞ」
「……はい」
エウフェミアはゆっくりと歩き出す。その様子を見て、アーネストは面倒くさそうに頭を掻いた。
「なんだ。さっきのが気に障ったのか?」
そういうわけではない――そう口にできなかった。
彼の先ほどの発言は他人の気分を害するようなものではない。他人を褒めるための比喩表現だ。アーネストはエウフェミアの魚捕りの才能を褒めてくれた。それが分かっていても、何かが引っかかる。
苛ついたようにアーネストは言う。
「ガラノス家は水の大精霊の恩寵を受けてんだろ。水の精霊に好かれてたっておかしくねえじゃねえか」
「……でも、私は違います。水の大精霊様の恩寵を失っておりますから。精霊術師の能力がないというのはそういうことです」
彼には最初会ったときに、エウフェミアに精霊術師としての能力がないことは伝えている。エウフェミアは自身の髪を見る。白に近い灰色だ。
「この髪も瞳も元々は青色でした。それが今は……くすんだ灰色です。恩寵を失えば色を失うんです。今の私はただの……」
――ただの何なのだろう。
もう精霊術師じゃない。精霊貴族でもない。
普通の下層階級の労働者だ。それは間違いがない。ガラノス邸から出て行ったこと。イシャーウッド家から離縁されたこと。そのどちらもエウフェミアは受け入れている。ハーシェル商会のあの寮が自分の居場所だと思っている。
――それなのに、精霊に関することだけはどうしても割り切れない。
彼はうんざりしたように眉間にシワを寄せる。
「別に精霊に愛されてようが、そうじゃなかろうが死ぬわけでもねえだろう。どうでもいいだろ」
きっと、アーネストの言うことは正しい。それでも、その言葉にエウフェミアはハッキリと怒りを覚えた。
何か言い返したい。その思いは強いのに、ハッキリとした言葉というもので表すことができない。それがひどくもどかしかった。
しばらく沈黙が流れる。じっとこちらを見ていたアーネストがぼそりと言う。
「アンタにとってはそうじゃないんだな」
我に返って顔を上げる。
アーネストが荷物を地面に置き、代わりに河原の小石を拾いあげる。こちらに近づき、握った両手をエウフェミアの目の前に突き出した。
「右手か左手。どっちかに石が入ってる。当ててみろ。当てたら、今日の運勢は人生の中で類を見ないほど最高だ。外したら今日は逆に人生で最も最悪な日だ」
運勢という曖昧な言葉を、何より現実を重んじるアーネストが口にするなんて、まるで彼らしくなかった。戸惑っていると、「いいから、選べ」と回答を急かされる。
「……では、こちらで」
エウフェミアは右手を指す。しかし、アーネストは掌を開いてはくれなかった。
「――よっ、と」
両手を一度重ねてから、――あろうことか小石を川に投げ捨てた。エウフェミアは呆然と小石が川に落ちていくのを見つめる。
「ええと、ええと」
アーネストがこちらを向き直る。
「さて、問題だ。石はさっきまでどっちの手に握られていた?」
その質問に困ってしまう。元々どちらの手に石が握られていたのかエウフェミアには見えなかった。正直に答える。
「…………分かりません」
「そうだな。その答えは俺しか知らねえ。だが、俺は答えをお前に教えてやるつもりはない」
その言葉に本当に困り果ててしまった。それでは今のやり取りはなんだったのだろうか。トリスタンなら文句を言いそうな場面だ。
「だから」と、彼は続ける。
「お前が好きな方を選べ」
――それは視界がひらけるような感覚だった。
エウフェミアはただアーネストを見上げる。
「他人の気持ちなんてな、当人に聞かなきゃ分かんねえ。聞く手段がない以上、もうその答えを知る方法はねぇんだよ。勝手に嫌われていると思うのはお前の勝手だが、それでいちいち凹むようならそもそもの考え方を変えろ。相手は自分のことを好いてると思え」
彼の言いたいことは分かる。しかし、同時に無茶苦茶だとも思った。
「ですが、先ほども伝えましたとおり、私は水の大精霊様の恩寵を失っていて」
「――ああ、もうめんどくせぇ女だな! テメエは!!」
アーネストは怒鳴る。
「お前の幼い頃の友達は――精霊たちはそんなことくらいでお前のことを嫌いになる薄情な奴らなのか?」
脳裏に思い浮かぶのは幼い頃、一緒に遊んだ精霊たちの姿だ。
孤島に家族四人で住んでいたエウフェミアには人間の友人がいなかった。兄は四つ年下の妹が好きな遊びは子供っぽすぎて、付き合ってはくれなかった。だから、精霊たちはエウフェミアの唯一の友達だった。
気まぐれなところもあったけれど、困ったときにはいつも助けてくれた大事な存在だった。そんな彼らは今、エウフェミアのことを嫌っているのか。その答えはもう分からない。それでも――。
「…………違うと信じたいです」
「じゃあ、信じろ。そんな馬鹿みたいなことをグダグダグダグダ悩むのはやめろ。時間と思考の無駄遣いだ。さあ、石はどっちに入ってた?」
彼の手にはもう何もない。それでも、エウフェミアは答える。
「…………右手です」
「よかったな。今日のお前の運勢は最高だ」
アーネストはニヤリと笑うと、釣り道具のところへ戻る。それから思い出したかのようにこちらを振り返り、ぶっきらぼうに言い放った。
「それと、もう一つ。お前の髪の色はくすんだ灰色じゃない。――銀色って言うんだよ」




