33 隠されていた存在
エウフェミアがビオンとともに『赤の砦』へ到着したのはその二日後のことだった。事前に知らせていたためだろう。今回はエリュトロス精霊爵が出迎えてくれた。その後ろにはヘクトールの姿もある。
「ついてこい」
そうして、二人が通されたのはとある部屋だ。普段使われていないような荷物が置かれ、物置きになっているようだった。
壁にもたれかけられている布に包まれた巨大な絵画。精霊爵がそれを動かすと、その向こうの壁が見える。そこには黒焦げた跡があった。
エウフェミアはビオンと顔を見合わせる。彼も心当たりがないようで、首を横に振る。恐る恐る質問する。
「精霊爵。こちらの焦げ跡は――」
「私の弟、レオニダスがつけたものだ」
エリュトロス精霊爵の弟。その存在はエウフェミアも知っている。しかし、名を聞くのははじめてだった。
精霊爵は淡々と言葉を続ける。
「二つ年下の弟だ。私と同じように先代エリュトロス家当主であった父から教えを受けていた。しかし、レオニダスは不真面目で能力もなく、早々に父に見限られた。なんとか一人前と認められると屋敷を飛び出し、その後は音信不通だ。精霊術師の責務を果たすために当主との連絡手段は残す必要があったのに――すべてを放り出した無責任な男だ」
真っ黒に塗りつぶされ、系譜から消された名前。それはただの文字ではなく、一人の人間を表すものであったことを思い出させる。
「……レオニダス様は、大罪を犯されたのですよね」
その質問にエリュトロス精霊爵は淀みなく答える。
「そうだ。――今から二十二年前。長らく行方が分からなったレオニダスの居場所を突き止めた。私とヘクトールがそこにたどり着いたとき……あ奴は冒涜的な研究にのめりこんでいた」
彼は両手で顔を覆う。その瞳はおぞましいとでも言うように侮蔑に満ちていた。
「あ奴は、レオニダスは、己がすべての精霊術を使える特別な存在に成り上がろうとしていた」
その言葉にドキリとする。すべての精霊術を使える特別な存在。――それはまさにエウフェミア自身を指す言葉だったからだ。
「火の大精霊だけでない。他の大精霊、いや、生命の精霊を含めた精霊すべてを貶める研究だ。レオニダスはその研究の完成は間近だと言った。そして、私にその手伝いをしろとまで言ってきた」
どんどん声が荒くなっていく。それで言葉を区切った精霊爵は近くの棚に手をつき、大きく息を吸う。その背をヘクトールが宥めるようにさする。
少し落ち着きを取り戻したエリュトロス精霊爵が話を続ける。
「……このまま、生かしておくのは危険だと思った。レオニダスの研究はその段階で十分に大罪に値するものだ。本来なら、恩寵を取り上げ、一族から追放するだけで良い。だが、あ奴はその知識だけでも十分脅威となりえた。だから、私が始末した。火の大精霊の力を借りてな」
ビオンはエリュトロス精霊爵の弟のことを聞いたとき『俺が生まれるより前のことだ。それと一族から追放される前に亡くなってる』と言った。それが今語られた二十二年前のことだったのだろう。
弟が大罪を犯した。それは厳格なゲオルギオスにとって、口にはしたくないほど屈辱的なことだろう。エリュトロス家唯一の大罪人のことは分かった。しかし、それがエウフェミアの知りたい情報と結びつかない。
エウフェミアは迷った末に、口を開いた。
「その、レオニダス様のことはよく分かりました。それが、私の父たちの死にどう関係があるのでしょうか?」
直後、ヘクトールが憤怒の表情でこちらを睨みつける。
エリュトロス精霊爵は語りたくないことを語ってくれている。精神的負荷が強いことはその様子から分かる。本来なら、精霊爵の気持ちを優先したい。だが、八年前の精霊会議で何があったのかはエウフェミアにとって非常に重要なことなのだ。
「……その家で、レオニダスは一人ではなかった」
精霊爵はポツリと呟く。
「私とヘクトールに最初に応対したのは女だった。エリュトロス家の人間ではない。だから、てっきり使用人がなにかだと思っていた。――だが、違ったんだ」
彼の赤い瞳は虚空を見つめている。しかし、その瞳は見えない何かを見ているようだった。
「騒ぎに気づいてやってきた女が悲鳴をあげたんだ。そして、レオニダスを燃やす火に自ら――」
「あれは事故だったんです!!」
ヘクトールが叫んだ。彼は主人の正気を取り戻させるように体を揺する。
「いえ、あれは自殺と言っていい! あの女は自分で火に突っ込んだ! 七家の人間でもない! 大精霊の恩寵を受けていない人間が火の大精霊様の炎に燃やされて生き残れるわけがない! ゲオルギオス様がどうにかできることではなかったんです!!」
そうして、精霊爵をその場に座らせるとヘクトールは振り返った。厳しい表情で彼は言う。
「ここからは私が説明しよう。二人が亡くなった後」
「――やめろ」
ヘクトールの言葉を制止したのはエウフェミアでもビオンでもなく、エリュトロス精霊爵本人だった。
彼は床に座り込んだまま、部下を睨む。顔色はまだ青く、額に汗もにじんでいる。それでも、威厳を感じさせる声で命令する。
「やめろ。私がすべて話す」
「ですが」
「それが私の役目だ」
精霊爵はよろよろと立ち上がる。そうして、視線を息子に向けた。
「旧『赤の砦』で人の生活痕は見たな?」
ビオンが頷く。
「あれは子供が生活していた痕だ。二十二年前から八年前まで。私たちが一人の子どもをあそこで暮らさせていた」
二十二年前から。それは先ほど教えられたレオニダスの一件と同じ年号。
エウフェミアは少しずつ、すべてがつながっていう感覚を覚える。
エリュトロス精霊爵は語る。
「レオニダスは一般人の女を妻にしていた。そして、その間に子供をもうけていた。……二人が死んだあと、私たちはまだ生まれて間もない赤ん坊を見つけた。この二人の婚姻は正式なものでにない。しかし、その子供はエリュトロス家の特徴を持った、火の大精霊の恩寵を受けた子供だった。だから、私たちはその子供を手元で育てることにした。――その子供の名がイグナティオス。お前の両親と兄を殺した、犯人の名前だ」
五章はここまでです。
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引き続き、六章を投稿していきます。




