30 八年越しの再会
それから、ビオンはいつか来るだろうエウフェミアとの再会に心躍らせた。――そんな時間は長くは続かなかったが。
そろそろ呼ばれてもおかしくない。それだけの時間が経っても、一向に父親は戻ってこなかった。ビオンが火の大精霊に謁見するのに当主が同行するのが通例のはずなのに。
不思議を通り越し、不安を覚え、ビオンが部屋をウロウロしているとようやく父親が姿を現した。しかし、その見た目は明らかにおかしかった。
火の精霊術師の赤いマントは一部が焦げ、いつも完璧の整えられている髪も乱れている。肩を押さえ、痛みからか顔は青白く、息もあがっていた。
ビオンは驚きと恐怖を覚える。そんな息子にゲオルギオスは告げた。
「ガラノス家当主一家が死んだ。精霊会議どころではなくなった。今迎えを呼んでいる。お前は先に屋敷に帰れ」
淡々と事務的な説明。しかし、その内容にビオンは衝撃を受ける。すぐさま、父のマントを掴む。
「エ、エウフェミアも?」
父は一瞬怪訝そうな顔をするが、それから思い出したように「ああ、あの娘か」と呟いた。
「死んだのはガラノス家の当主グレイトス。それと妻のアルテミシア、息子のイオエルだ。グレイトスの娘は行方不明だ。今、近隣を捜索している」
エウフェミアは死んでいない。しかし、続く説明は決してビオンを喜ばせるものではなかった。
――エウフェミアが行方不明。
もっと詳しく話を聞きたかった。しかし、ビオンはすぐに馬車に乗せられ、『無色の城』を出ることとなった。
その後、数日遅れで帰ってきた父からエウフェミアが見つかったことを報告された。そして、今年十歳になった子供たちの大精霊との謁見は来年の精霊会議でのやり直しを告げられた。
『それって、エウフェミアも来年精霊会議に来るってこと?』
弾むように訊ねると、父はまた怪訝そうな顔をしながらも肯定してくれた。
その一年。ビオンは励んだ。変わらず、父は厳しい。それでも、来年エウフェミアに再会できると思えば前向きになれた。少しばかりは成果も出た。家族を失ってもしかしたら彼女は落ち込んでいるかもしれない。今度は自分が励まそうと思った。
しかし、次の年の精霊会議でビオンはエウフェミアと再会する事が出来なかった。
大精霊の紋章を授かった精霊術師二人を失ったガラノス家からは多くの人間が水の大精霊との対面のために集まった。それは『青の談話室』に入り切らないほどだ。父の目を盗み、廊下にいた一人の水の精霊術師の男に話しかける。
『あの。今日はエウフェミアも来ているんですよね?』
七家は互いに不干渉の誓約がある。それ故に話しかけるのもそれ相応の理由がなければならない。それを破ってまで声をかけた相手は、不思議そうに訊ね返してくる。
『どうしてエウフェミア様のことを知っているのかな?』
『ええと、――友達なんです』
そう呼んでいいか分からない。だが、それ以外にうまく説明できる言葉をビオンは知らない。
『また会おうってお別れしたんです。だから』
『――少年』
その男はビオンの肩を叩き、視線を合わせるように屈み込んだ。それから、迷うように言葉を絞り出す。
『……エウフェミア様は今誰ともお会いになれる状態ではないんだ。つらい出来事があって、心に大きな傷を負ってしまったんだ。今はまだそっとしておく必要があるんだよ。彼女が元気になるまで少し待っていてあげてくれ』
エウフェミアにはまだ会えない。その事実は少しビオンを落胆させた。しかし、会う機会はまだある。ガラノス家の男性が言ったようにエウフェミアが元気になるのを待ってよう。そう思いながら、ビオンは『赤の談話室』に戻る。
この年はエリュトロス家も火の大精霊との謁見が許される歳の子供が他にもいた。彼らとともに部屋で待っていると、父が戻ってくる。そうして、ビオンは父とともに火の大精霊に会うため、謁見の間へと向かう。
その最中、父は始終難しい顔をしていた。
『どうなさったんですか?』
ビオンが訊ねると、少し間を置いて父は答えてくれた。
『ガラノス家の新しい当主が選ばれなかった』
それはつまり、水の大精霊が誰にも大精霊の紋章を授けなかったということだ。
『ガラノス家からはほぼすべての術師が参加したと聞くが――残念だ。仕方なくグレイトスの兄を当主代理にすることにしたが、仮初めとはいえまるで当主の座に就くに相応しくない男だった。ガラノス家から優秀な精霊術師が生まれるまではあと一体何年かかるのか』
辟易した様子で頭を押さえる父に、ビオンは言う。
『それこそ、エウフェミアがいるではありませんか』
彼女は今年の精霊会議を欠席している。水の大精霊との対面もまだのはずだ。なら、彼女が新しいガラノス家の当主となってもおかしくないだろう。
いや、血筋だけを言えば彼女ほど水の大精霊から大精霊の紋章を授かるに相応しい人物はいないだろう。なんたって先代ガラノス家当主の娘なのだから。
期待に満ちたビオンの言葉を、しかし、否定された。
『ああ、グレイトスの娘か。それこそ無理だろう』
父は鼻で嗤うように言う。
『精神に異常を来した人間では、大精霊の紋章を授かるところか精霊術師になることも無理だろう。あの娘は一生屋敷の中で生活することになるだろうな』
――その後のことをビオンはあまり覚えていない。
しかし、確実なのは父が望むような振る舞いは出来なかったこと。そして、大精霊の紋章を授かることができなかったことだ。
これ以降、父の教育の厳しさは激しさを増した。しかし、ビオンは以前のような意欲は持てなかった。息子のその様子に更に父は激昂し――そんな繰り返しだった。
そのうち、ビオンはあの日エウフェミアと出会ったときの気持ちがどんどんと摩耗していく。父の自分を否定する言葉がまるで真実のように思え、自分は精霊術師としては落ちこぼれなのだと思いこむようになった。
年齢が上がり、こちらも父に攻撃的な言葉を向けることで自衛することを学んだが――それだけだ。この八年間、ビオンは何も成長することができなかった。
きっとこのまま一人前にもなれず、ビオンは一生を終えるのだろう。そんな諦めの中、親友のケントが一通の招待状を持ってきてくれた。
「たまにはちょっと変わった遊びでもして、楽しもうぜ。気晴らしになるぜ」
そう言われて参加した仮装舞踏会。しかし、ビオンにはまるで面白さが理解できなかった。明るく華やかな空気感に馴染めず、バルコニーに逃げる。――そこで、彼女と再会したのだ。
最初、エリュトロス家の仮装をしていた彼女の正体に気づけなかった。それでも、彼女の優しさに明るさに惹かれるのが分かった。昔会った青い髪の少女とよく似ていると思った。
そして、その女性がエウフェミアだと分かって、ビオンは本当に嬉しかった。
彼女と再会できたことも。彼女が美しく優しく強い女性として成長していたことも。そのすべてが嬉しかった。
その反面、自身の成長のなさが恥ずかしくもあった。今の自分は決して彼女の隣に立てる人間ではない。そのことを分かりながらも、彼女の隣に立とうとした。
――でも、それじゃダメなんだ。
彼女の隣りに立つのは強い男でなければならない。強さというのは父のことを言うのではない。彼女のようにしっかりとした意志を持ち、それを曲げないこと。それが今のビオンに必要なものだ。




