28 ビオンの覚悟
人工河川の対策が終わったのが一週間後のことだ。これ以上地底に水の精霊たちが流入することはない。しかし、未だ水の精霊たちが火の精霊たちの動きを阻害したまま。
「この地点をどうにかしないといけないようですね」
エウフェミアは一緒に調査に来たダフネに言う。彼女はこくりと頷いた。しばらく考えて、エウフェミアは宣言する。
「…………ビオンとエリュトロス精霊爵に連絡しましょう。二人が到着次第、ナイセルに火の精霊を呼び戻すための精霊術を行使します」
もしかしたら、時間と共に自然と水の精霊たちが減り、火の精霊たちが山に戻ってくる可能性がある。そのときに迅速に対処できるようにエウフェミアはナイセルの近くの精霊庁管理の施設に詰める。
そうして、ビオンと再会したのは二日後のことだった。
「いつの間にすごく人が増えてるね」
今この施設にはキトゥリノ兄妹やノエも滞在している。彼らと挨拶をすませたビオンはどこか感心するように呟いた。
「ありがたいことね。皆協力してくれることになったのよ」
二週間ぶりに会ったビオンはリーヴィス公爵邸で会ったときと打って変わり、落ち着きを取り戻したように見える。その表情も柔らかい。
エウフェミアはそのことに安堵しつつ、ビオンを施設の一室へと案内する。
その部屋の窓からはナイセルの山が見える。エウフェミアはビオンに部屋にあるソファに座るよう勧め、自信もその向かいに腰かけた。
ビオンに正面から向かい合う。
(……どう伝えるべきかしら)
しかし、未だエウフェミアはビオンにどう話を切り出すべきか答えが出ていなかった。
エリュトロス精霊爵には今回の件でビオンに重要な役割を任せると言った。ビオンもエウフェミアに協力するつもりはある。しかし、今エウフェミアが考えている彼の役割をそのまま伝えても、ビオンは『自分にはできない』と拒絶するかもしれない。
言葉を尽くせば彼を頷かせることはできるかもしれないが、それでは意味がない。エリュトロス精霊爵がしてきたことと何も変わりない。彼自身が心からやりたいと思ってもらう必要があるのだ。
迷った末、エウフェミアは別の話題をすることに決めた。ビオンに笑顔を向ける。
「リーヴィス公爵邸ではゆっくりできた?」
「ああ。途中からケントも戻ってきてくれて――楽しかったよ。昔から公爵家の皆にはよくしてもらってる」
自然にこぼれた笑顔は彼の本心からの言葉に思えた。エウフェミアは質問を重ねる。
「ケント様とは――リーヴィス公爵家の方々とは昔からのお付き合いなの?」
「そう。うちは母さんが小さい頃に亡くなってるんだ。父さんは当主の仕事で家にいないことが多いから、そういうときは他の家に預けられることも多かったんだ。そのうちの一つがリーヴィス公爵邸だった」
ビオンはどこか懐かしそうに言う。
「リーヴィス公爵邸の近くには林があるんだ。たくさんの動物や虫がいて、よくケントと一緒にかくれんぼをして遊んでた。ドロドロになって帰ると公爵夫人が叱ってくれて――リーヴィス公爵邸で過ごすのはすごく楽しかった。……『赤の砦』で過ごすよりもよっぽど」
途中まで明るかったのに、最後の一言だけはとても暗い声だった。
エウフェミアは慎重に質問を投げる。
「……ビオンはもし、精霊術師にならなくてもいいと言われたら、別の道を歩みたい?」
ビオンは目を見開く。瞳が不安に揺れる。
「……それは、俺に精霊術師の才能がないって話?」
「違うわ。そうじゃない」
エウフェミアは前のめりに否定する。言葉が良くなかった。改めて説明をする。
「七家に生まれた子どもたちは精霊術師になる未来しか選べない。……それって幸せなことなのかしら」
子が親の仕事を引き継ぐ。それはある意味当たり前の事だ。この国にそうして世襲される職業は多い。しかし、子が親と違う道を選ぶこともあるだろう。
そうしたとき、他の子どもたちには逃げ道がある。家を出たり、別の師匠を探したり――だが、精霊術師はどうなのだろう。
世界を創造した大精霊たちの恩寵を受け、国のために、人々のために働く。それは意義のある素晴らしい役目だ。しかし、その仕事の崇高さ故に、別の生き方を選びたいという選択が許されないのではないかと思う。
「私は一度ガラノス家から離れて、市井で生活していたわ。だから、他の生き方があることも知っている。それでも、生まれながら背負った責任のために精霊術師になる道を選んだ。――ビオンはどう? 他の生き方があるとして、それでも今と同じ道を選ぶ?」
ビオンは数度瞬きを繰り返す。そして、視線を落とした。しかし、今までのようにその表情や瞳から不安や恐れを感じることはない。
「……火を見ているととても綺麗だと思う。もちろん、恐ろしさを感じることもある。でも、火に悪い良いもない。俺達がどう扱うかだし、どう接するかだと思っている」
そう呟くと、ビオンは視線を上げる。
「俺は他の生き方を知らない。だから、別の道を知ってればそちらを選んだかもしれない。……でも、逃げるために別の道を選択したくはない。俺は俺の責任を果たしたい」
「……そう、分かったわ」
エウフェミアは立ち上がり、棚から地図と駒を取り出す。それをソファの間に置かれたテーブルに広げた。
「明日、ナイセルに火の精霊を呼び戻します」
そうして、エウフェミアは淡々とこれまでの調査結果を伝える。ナイセルから火の精霊が消えたのは地底の溶岩の川の流れに水の精霊たちが影響を与えているためであること。その原因となった人工河川への対策は終わり、あとは精霊術を使って火の精霊たちの手助けをするだけであること。
「でも、今回火の精霊たちに働きかけるのは山の火口じゃない。――水の精霊たちが邪魔をしている場所よ」
エウフェミアはそう言ってナイセルより南部の地点を指差す。そして、そこに三つ駒を並べた。
「ここで火の精霊術を使って火の精霊たちがナイセルへと向かうのを手助けする。同時にノエに水の精霊たちに働きかけをしてもらうわ。ダフネ様には精霊の眼を使って地底の様子を確認してもらう」
堰き止められている川は、その原因を取り除けばまた以前のように流れ始める。地底の溶岩の川にも同じことが言えるかは分からないが、やってみる価値はあるだろう。――しかし、これだけではすべての問題は解決しない。
「これで火の精霊たちがナイセルに呼び戻せたとしても、気をつけないといけないことがある。それが山の噴火よ」
今度はナイセル山を指差す。
「だから、山に戻ってきた火の精霊たちを落ち着かせる人が必要なの。ビオンにその役割を引き受けてほしい」
山が噴火しないように火の精霊たちを制御する。それは重大な責任を伴う役割だ。
「――俺が?」
「そうよ。私は火の精霊たちがナイセルへ向かう手助けをしないといけない。山には居られないの。だから、あなたに手伝ってほしい」
手伝うと言ってくれていたものの、さすがに想定外だったのだろう。ビオンは驚愕したように、口元に手を当てる。
「そんなの、俺には」
「できない? なんで、そう思うの? ビオンがまだ半人前だから? でも、最初はできないのは誰だって同じよ。半人前でも一人前になれるときが来る。ずっと何もしなかったら、ずっと何もできないままよ」
エウフェミアは立ち上がる。そして、テーブル越しにビオンの手を掴んだ。
「私はビオンに才能がないなんて思わない。弱くなんてない。ただ、まだ力が目覚めていないだけ。――私には火の精霊術のことはあまり分からない。でも、一つ分かっていることもある。それはビオンが自分自身を信じなければ、絶対に力に目覚めることはできないってことよ。エリュトロス精霊爵の言葉になんて負けないで。あなたには力がある。自分を信じて」
ビオンはじっとこちらを見つめてくる。そして、静かに言った。
「……エウフェミアは俺のことを信じてくれる?」
「もちろん」
彼は一度目を伏せる。そして、小さく呟いた。
「火の精霊術を使う上で重要なのは強い意志だ」
それはビオンにとってどういう意味を持つ発言なのかは分からなかった。しかし、次に顔を上げた彼の目には確かな意思を感じた。
「俺、やってみるよ」
そうして、エウフェミアの手を強く握り返してくれた。




