27 泣いている
エウフェミアはアーネストの向かいのソファに座る。
「会長が何をなさっていたかはよく分かりました。……ですが、少し意外です」
「何がだ?」
「ブロックハート侯爵のお手伝いをなされるなんて。会長は侯爵のことあまりよく思っていらっしゃらなかったでしょう?」
以前なら「優しい」で片づけていたこと。しかし、アーネストへの理解が深まると、少し違和感を覚える。
実際、その指摘にアーネストは視線を逸らした。先ほどまでの饒舌さと打って変わり、口ごもるように言う。
「……まあ、そうだな」
その反応を不思議に思いながらも、エウフェミアはそれ以上の追及はやめた。彼がブロックハート侯爵家の財政立て直しに協力するのはいいことだ。
エウフェミアは微笑む。
「会長のお力があれば、ブロックハート侯爵家の財政状況も好転するでしょうね。商才に長けていらっしゃいますから」
「――それで、そっちの状況はどうだ? ダフネ・キトゥリノの協力は取り付けられたのか?」
明らかに話題を変えられたのはエウフェミアも気づいた。しかし、そのことには触れない。最初からその話をしに侯爵邸に来たのだ。こちら側で起きたことを説明する。
「まあ、首尾は上々ってところか」
一通り話を聞き終えたアーネストはそう呟いた。エウフェミアも頷く。
「あとは人工河川から水の精霊が溢れている問題を解決すれば、もう一度ナイセルに火の精霊を呼び戻す準備は終わります。残りは火の精霊を呼び戻す際、それぞれがどう役割を分担するかですが――」
そこでエウフェミアは一度言葉を切る。怪訝そうにアーネストは言う。
「役割分担も何もノエが水の精霊たちの制御、ダフネ・キトゥリノが地底の溶岩の川の監視、お前が火の精霊を呼び戻す。それで終わりだろ」
「いえ」
リーヴィス公爵邸でのビオン、そして『赤の砦』でのエリュトロス精霊爵とのやり取りはまだ誰にも共有していなかった。
エウフェミアは真っ直ぐにアーネストを見つめる。
「私はナイセルに火の精霊を呼び戻すのに、ビオンにも役割を与えたいのです」
そうして、エウフェミアはエリュトロス精霊爵とビオンの親子関係の問題について共有する。
ビオンが未だ一人前として認められていないこと。その原因は精神的なもの――主に、エリュトロス精霊爵による威圧的な教育方針の結果によるものである可能性が高いこと。そして、そのせいでビオンはエリュトロス精霊爵に強い恐怖心を抱いていること。
話を聞くうちどんどん眉間のシワを深くしていたアーネストは、話を聞き終えるとソファにもたれかかり、天を仰いだ。腕で顔を覆う。
「よその家の親子事情なんて、死ぬほどどうでもいいだろ……」
「ですが、放ってはおけません」
エウフェミアは力説する。
「エリュトロス精霊爵も本当はビオンのことを愛していらっしゃるんです。でも、そのことをきちんと伝えられていないと言いますか――誤解は解いておきたいではありませんか。ビオンのこれからのことを考えれば、火の精霊術師として一人立ちすることは重要なことでもあります」
アーネストはその体勢のまま、しばらく何も言わなかった。それから、深々と息を吐き、体を起こした。
「好きにしろよ」
どこか呆れたように彼は言う。
「別に俺はお前が決まってるって言うから手を貸してるだけで、どうナイセルの問題を解決するのかはお前の要望を受け入れるさ。ビオン・エリュトロスに役割を与えたいって言うんなら与えりゃいい」
「ありがとうございます」
エウフェミアは笑みを浮かべてから、もう一つ大事なことを伝える。
「それと、エリュトロス精霊爵がこうおっしゃっていました。『死にかけた休火山を生き返らせるうえで一番重要なのは火の精霊を呼び戻すことではない。呼び戻された勢いで火の精霊たちが山を噴火させないように、火の精霊たちを制御すること』――だと」
「……なるほどな」
エウフェミアはアーネストと共に地図と駒を使って最終的なそれぞれの役割を整理していく。そうして、話がまとまり、今度はテーブルに広げた資料を片付けていく。――地図を畳もうとしていたアーネストが手を止めたのはそのときだ。
「ナイセルの問題が解決したら、お前はどうするんだ?」
突然の質問に、エウフェミアは首を傾げた。質問の意図がよく分からなかったからだ。
「ええと」
「……ナイセルの問題を解決したら、エリュトロス精霊爵が八年前に何があったのか教えてくれる。それを教わったあと、お前はどうするつもりなんだ」
エウフェミアは答えに窮した。考えたこともなかったからだ。
アーネストを見ると、無表情ながら真剣な目つきをしている。真面目な問いなのだろう。悩みながら、答える。
「……分かりません。エリュトロス精霊爵が何を語ってくださるのかにもよると思いますし」
「お前が今の道を選んだのは、八年前に家族に何が起きたのかを知りたいからだろ? その目的自体はもうすぐ叶う。そうしたら、お前はどうするんだ? 来た道を引き返すことなんてできないぞ」
重なる追及にエウフェミアは困り果てた。
未来のことなんてまだ分からない。まだ八年前のことを知らない状態でこれからのことなんて決められない。それでも、一つ分かっていることを伝えた。
「エリュトロス精霊爵の語る真実がどんな内容であれ、精霊術師をやめるつもりはありません」
エウフェミアは真っ直ぐ、アーネストを見つめる。
「会長のおっしゃる『王』というのは今もよく分かりませんが、……それでも私には私にしかできないことがあると思います。七家の成り立ちやルールを知って、その中から外れているからこそできることがあると知りました。具体的に何をしたい、何をした方がいいのかはまだ分かりませんが、これから先のためにやれることをやっていきたいと思います」
アーネストが目を細める。そして、視線を床へと落とした。
「……お前はいつも未来を見てるんだな」
どこか苦しそうな、悲しそうな声色を聞いて、エウフェミアはまるで彼が泣いているように思った。でも、その瞳にも頬にも涙の姿はない。
エウフェミアはアーネストに近づき、手を彼の頬へと伸ばす。
「泣いていらっしゃるんですか?」
「……泣いてないよ。見りゃ分かんだろ」
そう言いながら、アーネストは目を閉じる。ほして、頬に触れたエウフェミアの手に自分の手を重ねた。
「……ですが、なんだか苦しそうに見えます」
その言葉と裏腹な行動が彼の本心のように見えて、エウフェミアも苦しくなってくる。
未だアーネストの心の闇は分からない。不躾に踏み入るのも彼を傷つけそうで躊躇われる。
「――会長」
名を呼ぶと、目を開けたアーネストと視線がぶつかる。
「私の立場でこんなこと言うのは厚かましいかもしれませんが……、苦しかったらそうおっしゃってくださってもいいんですよ。私、会長の気持ちを受け止めたいです」
相手を安心させるように、笑みを浮かべる。直後、アーネストとの距離が縮まる。何かがぶつかる音。そして、何かが落ちる音が聞こえた。
気づけば、エウフェミアはアーネストに抱きしめられていた。
その事実に気づいた瞬間、一気に体温が熱くなった。服越しでも相手の身体の体温や硬さを感じる。首筋に息が当たる。腰や背中に回された腕の力は強く、どんどん強まっていくのが分かる。
「か、会長……!」
突然のことに動揺と心臓の高鳴りが止まらない。名前を呼んでもアーネストは何も言わない。――扉がノックされたのはそのときだ。
「どうなさいましたか。物音が聞こえましたが」
扉越しにグレッグの淡々とした声が聞こえた。抱きしめられた際に、テーブルに置いてあった資料の本が落ちたのだろう。エウフェミアは平静を装いながら、返事をする。
「大丈夫です。何でもありません」
エウフェミアが答えた直後、背中に回る腕の力が弱まる。体を離したアーネストが無言で床に落ちた資料を拾い上げる。
「決行日が決まったら連絡してくれ。……それまで俺もやることをやっておく」
すれ違いざまそう言い残し、アーネストは応接室を出ていった。




