26 ボランティア
ナイセルに火の精霊を呼び戻す。そのための儀式の前に人工河川の問題を解決する必要がある。
エウフェミアはダフネたちを連れて、今度は人工河川へと向かう。最初の調査にも同行できなかったため、実際に川を見るのは今回がはじめてだ。
ノエがいると教わって向かった場所には大きな川が流れていた。その川辺にノエとシリル、それから数人の官吏の姿を見つける。
「ノエ! シリルさん!」
声をかけると、二人は振り返る。そして、エウフェミアの後ろにいるニキアスを見て、ノエは表情を強張らせる。
「やあ! 久しぶりだね! 元気だった?」
エウフェミアにしたのと同じように明るくニキアスは挨拶をする。それを受けて、ノエも笑う。その笑顔は多少ぎこちない。
「どうも、ウォルドロン以来だね。こんなところで会うことになるなんて思いもしなかったよ」
「ねえ、ところで今何をしてるのかな? 川遊びか何か?」
「……本気で言ってるわけじゃないよね? ニキアス。エウフェミアから説明は聞いているだろう?」
ニキアスは瞬きをする。それから、不思議そうに首を捻った。
「どうして、キミはボクのことファーストネームで呼んでくれるのかな? 皆『キトゥリノ精霊爵』って呼ぶのに」
「そう呼べと言ったのは君じゃないか!!」
「えー? そうだったかな? 覚えてないなぁ」
「ノ、ノエ。とりあえず落ち着いて」
そんなやり取りがありつつも、エウフェミアはどうにかその場を収め、お互いの状況を報告し合う。
ノエたちはまだ河川の水害対策の最中らしい。河川の調査を行い、補強工事を行う。そして、ノエが水の精霊たちに地底へと向かわないように精霊術をかける。今はその準備中なのだという。
「精霊術をかけるだけならそれほど大変じゃないんだけどね。補強工事が必要な場所を探すのに時間がかかってるんだ。なんせ、もう水を流してしまってるから目視で見つけるのが難しかったから、なんだけど」
ちらりとノエの視線がダフネに向く。言いたいことは伝わったのだろう。少女は頷く。
「私も、手伝うわ。兄さんも――ね。もう、変なことは言わないでね」
そうしてキトゥリノ兄妹も加わり、話が進んでいく。人工河川の問題もなんとかなりそうだ。
(――後は)
まだ考えるべきことは残っている。エウフェミアはふと思い出して、シリルに訊ねる。
「そういえば会――アーネスト様はどうされています?」
ここにアーネストの姿はない。ブロックハート侯爵との連絡係となっていたはずだが、今は侯爵邸にいるのだろうか。
すると、シリルはどこか呆れたように答えた。
「ブロックハート侯爵邸に詰めてますよ。連絡係と言いながら、本人が顔を出したことはないです。一体何をしているのやら」
エウフェミアは少し考えてから、ノエに声をかける。
「ノエ。私はブロックハート侯爵邸に行ってくるわ。ここはおまかせしてしまっていい?」
河川の件は水の精霊術師であるノエの専門だ。エウフェミアが残る必要もないだろう。
「うん、もちろん」
了承を得て、エウフェミアは今度はグレッグと二人でブロックハート侯爵邸へと向かう。先日来たときと違い、邸内は妙に慌ただしい。人の出入りが多く、使用人たちも忙しそうに走り回っている。
執事に案内されてエウフェミアたちが向かったのは書斎だ。そこには中央の執務机に座りながら、妙に縮こまって青い顔をしているブロックハート侯爵と、我が物顔でソファにふんぞり返っているアーネストの姿があった。
(こ、これはどういう状況なのかしら)
侯爵は紙にずっとペンを走らせ、アーネストは書類とにらめっこしている。どちらにも話しかけづらい空気だ。
どう声をかけようか様子を窺っていると、書類に目を通していたアーネストがこちらに気づいた。
「これはこれは! エウフェミア様ではありませんか!」
侯爵の前だからか、妙に軽薄な態度を取られる。戸惑うエウフェミアに対し、ニコニコと笑顔でアーネストは言う。
「わざわざこんなところまでどうなさったのですか? ブロックハート侯爵に何かご用でしょうか?」
名前を出された侯爵がビクリと肩を震わせる。
エウフェミアは不安そうにこちらを見つめる屋敷の主と、演技がかった態度を変えない偽物の官吏を見比べる。それから、そっとアーネストの手を握った。
「…………場所を移しませんか?」
一瞬、彼の表情が素に戻る。それから、また笑顔を浮かべて「分かりました」と答えてくれた。
書斎を出たアーネストは近くの使用人を捕まえ、応接室の使用を求めた。エウフェミアはグレッグに部屋の前での見張りを頼むと、部屋の中に入る。そうして、ようやくアーネストは無愛想な表情に戻った。
「――で。何の用だよ」
「侯爵邸で何をなさっているんですか?」
質問に答えず、こちらからも質問を重ねる。どこか面倒そうに頭を掻くと、アーネストはソファに座った。
「まあ、ちょっとしたボランティアだよ」
「ボランティアですか?」
「そもそも、何でブロックハート侯爵が人工河川を引こうとしたか分かるか?」
それは農地を開発するため――という答えではきっと足りないのだろう。考えてみたが、答えを出せるほどの情報をエウフェミアは持っていない。首を横に振る。
「いいえ」
「ブロックハート侯爵領は資源に乏しい地域だ。土壌は痩せており、人口も少ないため生産力が低い。唯一の主要産物である火霊燃料も、火霊同盟の価格協定があるため収益性を高められない。このままでは領地の税収が低迷し、侯爵家の財政基盤が弱まる一方だ。そこで侯爵は人工河川を引いて農地を拡大し、新たな収入源を得ようとしたというわけだ」
その説明でブロックハート侯爵が人工河川を引いた背景は理解できた。エウフェミアは「そうだったのですね」と相槌を打ち、次に疑問を投げる。
「それがボランティアとどう関わるのですか?」
「侯爵の考えは悪くねえ。結果的に柱である火霊石の採掘量減少を招いてしまったが、抜本的な改革が継続的な領地運営には求められる。――が、侯爵は財政盤の立て直しのためにまだやってないことがある」
それは何なのか。エウフェミアが聞く前に、アーネストは答える。
「簡単に言えば――支出の見直しだ」
エウフェミアは瞬きをする。領地経営という難しい話から、自分にとっても身近だった話が出てきたからだ。
ハーシェル商会寮管理人の頃、エウフェミアは寮用の財布を預かっていた。毎月の予算――つまりは収入があって、その範囲内で支出を抑える。それは誰にとっても身近な概念だ。
「お貴族様ってのは大体外聞を気にする。見栄を張りたがる。下々には金を大盤振る舞いしたがるもんだ。まあ、そのおかげで俺達は美味い飯を食らえてるわけだが――だか、それも懐事情に余裕があるのが前提だ。財政が逼迫してるなら、財布の紐を固くすることも覚えなくちゃなんねえ。――とりあえず今やってるのは支出の洗い出し。あとは、食品や日用品なんかを卸してる商人がとんでもなくぼったくってたから、代わりに別の商人を呼んで相見積もりをさせてる。本当はうちの商会か、仲良くやってるこの辺りの地元の商会に連絡してほうが相応の条件で取引成立させられるんだが、さすがに俺がここにいると知られるわけにはいかねえからな。片っ端から呼ばせてる。まともな商人がいることを願うばかりだな」
その説明にエウフェミアは納得する。侯爵家の財政基盤の立て直しなんて、アーネストのように経営の才能があるからこそできることだろう。




