23 羨む気持ち
結論からいえば、エウフェミアにボードゲームの才能はなかった。
最初にアーネストが言っていたようにルールは複雑であった。それぞれの駒の役割、動かし方。色ごとに分かれている盤上の範囲効果。結果、アーネスト相手に――向こうも手心は加えてくれただろうが――惨敗であった。
「初めてだし、こんなものじゃない?」
そう慰めの言葉をかけてくれたのはノエだ。エウフェミアはふらりと立ち上がる。
「……少し、外の空気を吸ってきます」
そうして、部屋を飛び出す。廊下の突き当たりには外へと繋がる扉がある。エウフェミアはそこからバルコニーへと出た。
エウフェミアがモロニー駅に到着したのは夕方前。それから一時間ほど経ち、空は夕方から夜へと変化しつつある。
橙と紺が混じり合った空を眺めながら、小さく溜息をつく。後ろで小さく開閉音がした。
ゆっくりと後ろを振り返ると、当たり前のようにアーネストがいた。扉を閉めると、彼は口角を上げる。
「意外だったよ。お前もああいうゲームに興味があったなんてな」
冗談めかした声かけにエウフェミアは返事を出来なかった。バルコニーの向こうへと視線を戻す。
正直なところ、人がゲームをしているのを見て、自分もしたいとはそれほど思わない。
ハーシェル商会寮管理人だった頃、よく同僚たちが食堂でカードゲームをしているのを見かけた。混ぜてもらったこともある。しかし、相手に心理戦を仕掛け、出し抜き、勝利することが楽しいとは思えなかった。結局、ゲームをやったのはその一度きりだ。
だが、アーネストはそんなことを知らないだろう。彼はよっぽどのことがなければ寮に寄り付かなかった。この話を誰かが会長の耳に入れたとも思えない。
アーネストが隣に並ぶ。
「強くなりたいってなら、特訓してやってもいいぜ。俺に勝つのは――まあ、無理だが。そこら辺の奴らを負かせるようにならしてやれるぜ。もちろん、お前もそれなりの努力は必要だが」
「――違います!」
あまりに見当違いな気遣いに、思わずエウフェミアは叫んでいた。
驚いたようにアーネストが目を見開く。それを見て、やはり変なところで彼は鈍感だと思った。
エウフェミアは大きく息を吸う。
「どうしてあんなにノエと仲良くなっていらっしゃるのですか? 出発前はあんなにノエに警戒されてたのに」
「どうしてって」
アーネストは困惑したように説明を始める。
「アイツを呼びつけたのは俺だし、今後のことを考えりゃ関係性を良くしとくに越したことはねえだろ。確かに最初警戒されてたが、アイツもそんな小難しいタイプじゃねえだろ? こっちの接し方さえ間違えなきゃ、簡単に心を開いてくれたよ」
彼の主張におかしいところは何一つない。おかしいのはエウフェミアの方だ。それは分かっている。
アーネストが背を屈め、こちらの顔を覗き込んでくる。怪訝を通り越して、心配そうな表情に見える。
「どうしたんだよ、さっきから。向こうでなんかあったのか?」
エウフェミアは視線を逸らす。
きっと、こちらの心情は説明しないと理解してもらえない。しかし、今の心情を明かすことへの恥ずかしさもある。アーネストは自分のことを特別と言ってくれた。醜い本音を吐露して、失望されてしまうのが恐ろしい。
それでも、本心を口にする決心をしたのは、そんな自分さえも受け入れてほしいというわがままからだ。
「どうして、あんなにノエのことを褒めたのですか?」
顔をあげる勇気はない。それでも、気持ちを吐き出す。
「今まで誰かのことを褒めるなんて滅多にされなかったではありませんか。私のことだって、料理の腕前さえ誉めることはほとんどしてくださいませんでした。――なのに、何でノエのことはあんなに簡単に『筋がいい』って」
普段、『悪くない』『まあまあ』程度しか言わないアーネストにとって、『筋がいい』は最大級の褒め言葉だ。こんな長く一緒にいるのに、エウフェミアも直接的な褒め言葉を言われた記憶はほとんどない。
「……必要があれば俺だって他人のことを誉めることはあるさ」
なぜか返ってきたのはどこか苦しそうな声色だった。エウフェミアは追及をやめない。
「ノエを誉めることは必要なことなのですか? 私を誉めないのは必要ないからですか?」
アーネストを見ると、彼は頭を抱えていた。それから、怒ったように怒鳴りだす。
「――別に俺が誰を褒めようが褒めまいがどうでもいいだろ! 俺は認めてねえヤツを雇おうと思わねえし、お前のことを評価してるって話はお前の家でしただろ!」
「……ですが、それもその一回きりです」
「一回言えば十分だろ!」
「…………いいえ」
エウフェミアは静かに首を振る。
「会長はあまり思っていらっしゃることを教えてくださらないから、不安になります。お考えやお気持ちが変わってるのではないか、私に失望されてるのではないか――特別だと、好きだとはおっしゃってくださいましたけど、そんなことを考えてしまいます」
「…………くだらねえ」
吐き捨てるような言葉にエウフェミアはびくりと体を震わす。アーネストはバルコニーの柵にもたれかかると、うんざりとしたような表情を浮かべる。
「変なこと考えすぎだ。思っていることを言わねえことが気持ちが変わったことの証拠ではねえだろ。実際、別にお前に失望したつもりはねえよ」
失望したつもりはない。その言葉にエウフェミアは安堵する。アーネストが視線だけをこちらに向ける。
「で。お前は俺にノエみてえに褒めてほしくてボードゲームを教えろと言ったが、俺に惨敗したわけか」
自分の行動を改めて説明されると、恥ずかしくなってくる。俯くエウフェミアに対し、アーネストは「ようやく理解できた」と納得したように呟いた。
「世の中には得意不得意があるんだから、無理なことはすんな。お前にボードゲームの才能はねえ。興味があるとか強くなりたいとかなら教えるのもやぶさかじゃねえが、どっちでもねえなら無理に覚えようとしなくていい」
それはエウフェミアがボードゲームが下手でもいいという慰めのように聞こえた。同時に慣れないことをするものではないと深く反省する。
エウフェミアはバルコニーの柵に掴まり、大きく息を吐く。
「……子供みたいな真似をして申し訳ありませんでした」
「まあ、別にいいさ。誰かに褒めてもらいたいって気持ちは俺にも分かる」
意外な発言にエウフェミアは瞬きをする。アーネストは空を見上げる。
「親父は誰でも彼でも褒めちぎってたからな。普段から俺だって褒められまくってるのに、他人を褒めてるのを聞いてると『俺も』ってガキみたいな対抗心を抱いたよ」
「会長もそんな風に思われることがあったんですね」
「俺にだって子供時代はあったよ。まあ、ご覧の通り捻くれた子供だったから親父は苦労しただろうけどさ」
どこか懐かしそうな表情を見ていると、彼もまた愛された子供時代を過ごしたのだと簡単に想像がついた。
その横顔を見つめながら、エウフェミアはポツリと呟く。
「……私も、会長に褒めていただきたいです」
それを聞いたアーネストは顔をしかめると、隠すように腕に顔を埋めた。
「…………そういうのは得意じゃねえんだよ」
「存じ上げてます。ですが、言葉にしてほしいです」
アーネストは身動き一つせず、しばらく無言でいた。それから、ゆっくりと顔をあげると、真剣な表情でこちらに向き直った。
「――とにかく、飯が旨い」
それはいつもの彼からすると、ずっとぎこちない話し方だった。
「最初に作ってくれた鶏肉の煮込みも旨かったが、商会でよく出してたシチューも、まあ、好きだった。細かいことも気がつくし、そういうことで苛つかされることはあまりなかった」
アーネストとの接点が一番あったのが寮の管理人時代。そのことを考えれば、話がその頃のものになるのは仕方ないだろう。しかし、エウフェミアからすると不満でしかない。
「……褒めていただけるのは従業員だった頃の私だけですか?」
「まだ要求する気か!」
アーネストが信じられないというように叫ぶ。エウフェミアは慌てて説明を加える。
「その、料理の腕前などを褒めていただけるのは大変嬉しいですが、……ただ能力を認められるだけで、私自身を褒めてもらっている感覚があまりしません」
「――じゃあ、何を褒めれば満足なんだよ」
「私自身のことです。私のこと、好きとおっしゃってくださいましたよね? どういうところが好きと思ってくださってますか?」
アーネストがノエを簡単に誉めることに嫉妬した。しかし、エウフェミアが本当に求めていたのは誉めてもらうことというよりは、自分のことを具体的にどう思っているかということだったのだろう。質問しながら、そのことに気づく。
しかめっ面のまま、アーネストは口に手を当てる。それから、「付き合ってらんねえ」と背中を向ける。
「さっさと戻るぞ。いい加減、状況報告をしよう」
エウフェミアが呼び止める間もなく、アーネストは扉の向こうへと消えていってしまった。少ししつこすぎたと反省する。
そうして、エウフェミアもアーネストの後を追い、ノエの部屋へと向かった。




