20 再訪
エウフェミアはビオンを安心させるために笑顔を作る。
「事情は分かったわ。とにかく、ビオンが無事でよかった。今後のことも話し合いたいのだけれど、それはまた明日にしましょう。今日はゆっくりして」
肉体的な疲労は回復したかもしれないが、エウフェミアに話をしたことで精神的な疲労はまた溜まっただろう。そう思い、エウフェミアはこちら側の状況説明は明日に回すことに決める。
しかし、立ち上がったエウフェミアの腕をビオンが掴む。彼はすがりつくようにこちらを見上げる。
「やっぱり駄目だ、エウフェミア。父さんは信用できない」
その言葉にエウフェミアは何も言えなかった。積もりに積もったビオンの父親への不信感。それが爆発したように見えた。
「ナイセルの件を解決したって本当のことを教えてくれるとは思えない。むしろ、知られたくないことを知ろうとしてるって消そうとしてくるかもしれない」
確かにエリュトロス精霊爵は気難しい人だが、そんな理由でエウフェミアを殺そうとはしないだろう。それは杞憂だと笑ってみせたかったが、ビオンの必死さを見るとそうはできない。
「これ以上、父さんに関わるのはやめよう。……今度こそ、エウフェミアが死んでしまう」
エウフェミアはしばらく考えた。
ビオンの身に起きたこと。ここしばらく考えていたエリュトロス精霊爵への疑問。その答えがここで出ることはない。
膝をつき、ビオンと目線を合わせる。エウフェミアは優しく問いかけた。
「ビオンはエリュトロス精霊爵のことが怖い?」
ビオンは答えず、俯いた。その様子は幼い子供のように見える。それを見て、エウフェミアは思いを強める。
――この二人の親子関係は歪だ。
少なくともエウフェミアの知る親は――エウフェミアの両親は優しく自分と兄を慈しんでくれた。もちろん、叱られることはあった。でも、それは躾の一環だ。なぜ、それをしてはいけないのかを理解できるまできちんと説明してくれた。
親と子は決して一方的に服従させるだけではないし、子が親を怖れるだけというのはおかしい。エウフェミアはそう信じてる。
そして、エリュトロス家に――エリュトロス精霊爵に何か秘密があるのは間違いないだろう。それがエウフェミアの家族の死に関係するものなのかは分からない。ただ、このままではいけないことも分かる。
エウフェミアは覚悟を決め、ビオンを真っ直ぐに見据えた。
「ビオン。『赤の砦』の場所を教えて」
その言葉にビオンは目を見開く。その瞳は驚愕と恐怖で揺れる。
「エリュトロス精霊爵と一度話さないといけないことがあるの。前は道順が分からないようにカーテンで目隠しをされていたから……。私一人でもエリュトロス精霊爵に会えるように、屋敷の場所を教えてほしいの」
エウフェミアの持つ精霊爵への疑問は当人に問わなければ永遠に答えが出ることはない。そして、この疑問はナイセルの問題を解決し、エウフェミアの家族の死の真相を教えてもらったとしても解決するものではない。
しかし、ビオンはエウフェミアの頼みを拒絶する。
「駄目だ、そんなこと。そもそも、『赤の砦』は火の精霊たちに守られてて、エリュトロス家の人間以外にはたどり着けない」
「でも、私は生命の精霊様の恩寵を得ているわ。何とかなるかもしれない。駄目なら精霊爵にもう一度お手紙を書くわ。今度は手紙を送り返されるなんてことはないと思う」
既にエリュトロス精霊爵はエウフェミアに対面している。ナイセルの件と絡めれば、謁見の許しを得るのは難しくないことのように思える。
決意の固さが伝わったのだろう。ビオンは絶望したように項垂れる。
「なんで。もしかしたらひどい目に遭うかもしれないのに」
「――ビオン。エリュトロス精霊爵は火のような人ね」
エウフェミアがエリュトロス精霊爵の姿を思い出す。火の大精霊の恩寵を受け、大精霊の紋章を授かった男。
「とても恐ろしい。何を考えてるか分からない。こちらが油断したらあっという間に燃やし尽くされてしまうかもしれない」
彼はまさに火を体現した人物なのかもしれない。だが、――いや、だからこそ、それだけではないはずだ。
エウフェミアはビオンの手を握る。
「でも、火は恐ろしいだけではないでしょう。寒い夜には体を温めてくれるし、暗闇の中では行く先を照らしてくれる。……遠くから怖がってるたけじゃ、何も分からない。怖くても、近づいて、本当のことを見つけなくちゃ」
ビオンは顔をあげる。まるで救いを求めるようにこちらを見上げ、それから小さく「分かった」と答えた。
◆
エリュトロス精霊爵は多忙なはずだ。だから、外出していてもおかしくない。しかし、幸運なことにエウフェミアが『赤の砦』に到着したとき、彼は屋敷にいた。
誰の案内もなく、一人で門を叩いたエウフェミアを見て、ヘクトールは険しい表情を浮かべる。
「……ここまでどうやって、いらっしゃったのかな」
「ビオンに場所を教えてもらいました。火の精霊たちも私を来客と認めてくれているようです」
エウフェミアは笑顔で答える。
「エリュトロス精霊爵に取り次いでいただけないでしょうか? ビオンのことでお話があります」
門前払いをされてもおかしくない状況だ。しかし、エリュトロス精霊爵に従順な腹心は「少し待ちなさい」と言って扉の向こうに消える。それからしばらくして後、「ついてきなさい」とエウフェミアを中へ招き入れてくれた。
以前と同じ道順を辿り、当主の部屋へと向かう。前回と違ったのはエリュトロス精霊爵が執務机の横に立って待っていたことだ。
「また貴様か」
うんざりした表情でゲオルギオスが呟く。エウフェミアは微笑む。
「大事なお話をしに参りました」
「ナイセルの件なら、私から話せることはない」
「そうではありません。ヘクトール様にはお伝えしました。ビオンのことです」
エリュトロス精霊爵が睨むようにこちらを見つめる。様子を探るような反応に、少しだけエウフェミアは安堵をした。――交渉の余地があると思ったからだ。
「まず、ビオンは無事です。旧『赤の砦』から脱出した後、リーヴィス公爵邸まで歩いて向かったそうです。特に怪我もしておりません。ご安心くださいませ」
「…………ビオンから何を聞いた」
「旧『赤の砦』に誰かが住んでいた痕跡があったとだけ」
それだけ答えて、エウフェミアは本筋に話を戻す。
「それで、ビオンのことです。エリュトロス精霊爵にどうしても聞いておかないといけないことがあります」
エリュトロス精霊爵は眉間にしわを寄せる。その反応は当然かもしれない。向こうはエウフェミアが旧『赤の砦』のことを聞きに来たと思ってもおかしくない。
しかし、エウフェミアはその話をしに来たわけではない。
「エリュトロス精霊爵は、ビオンが一人前の火の精霊術師になるのに何が足りないとお考えですか?」
彼が息子のことをどう思っているのか。ただ、それを聞きに来たのだ。




