19 旧『赤の砦』
リーヴィス公爵領は帝都より北部に位置する。広大な杜仲を所有し、火霊石の採掘地が十カ所以上ある帝国で最も火霊燃料を生産している一族である。その領地は『赤の砦』ともほど近い。
鉄道と馬車でリーヴィス公爵邸までやってきたエウフェミアたちを出迎えたのは若い令嬢だった。茶色の巻き髪の少女はケントの妹エミリーと名乗った。
「びっくりしたのよ。突然、ボロボロの格好でビオン様が現れるから」
彼女はそう説明しながら、屋敷の奥へと案内してくれる。
「お兄様に相談したら、迎えをよこすからそれまで匿っておいてくれって。ちゃんとお兄様の指示通り、誰にもこのことは話してないわよ。お父様とお母様も出かけててよかったわ。二人がいたら、きっとすぐにエリュトロス精霊爵にお話しちゃったでしょうから」
エウフェミアはその説明に違和感を持つ。その疑問をエミリーにぶつける。
「エリュトロス精霊爵にお話すると、何かまずい状況なのですか?」
「あら。お兄様に聞いてないの?」
彼女は不思議そうに首をひねる。
「ビオン様がおっしゃってたのよ。エリュトロス精霊爵には絶対居場所を教えないでほしいって。何でもエリュトロス精霊爵から逃げてきたんですって」
その説明にエウフェミアは言葉を失う。すぐ後ろのシリルと顔を見合わせる。彼も信じられないといった様子だった。
目的地に到着したのか、エミリーは足を止める。それからすぐ側の扉を勢いよく開いた。
「ビオン様。お迎えがいらっしゃったわよ!」
窓の開いた穏やかな日の差し込む寝室。その窓際の置かれた安楽椅子にビオンが座っていた。こちらに気づいた彼は安堵したような笑みをもらす。
「エウフェミア」
立ち上がったビオンにエウフェミアは駆け寄る。『保護した』『ボロボロの格好』という説明からひどい状況を想像していたが、特に怪我をした様子はない。借り物なのだろう。少しぶかぶかな服も綺麗そのものだ。
「ビオン。何があったの? ケント様から知らせを聞いて、すごく心配したわ」
「心配かけてごめん。でも、俺は大丈夫。……ちょっと、閉じ込められそうになっただけ」
エウフェミアは息を呑む。
ビオンはただナイセルの問題解決のために調査をしていただけのはずだ。それが閉じ込められそうになるのは一体何が起こったのか。
こちらの表情を見たビオンが一度目を伏せる。それから、「ちゃんと一から説明する」と真っ直ぐにこちらを見つめて言った。
◆
一週間前。モロニー駅で別れた後、宣言通りビオンはエリュトロス家の精霊術師に話を聞きに行ったのだという。なるべく父親からは縁遠い、中立的な立場の人間を選んだ。
しかし、父親から遠いとなるとエリュトロス家の中核からも遠くなる。三人ほど会ったが、誰も有益な情報を持ち合わせていなかった。
ビオンが四番目に会いに行ったのはタレスという中年男性だ。ビオンからすると親と同じくらいの歳の男。とある地方の大きな街で火の精霊たちの番をしている彼は、突然の来訪にもかかわらずビオンを歓迎してくれた。
一通り事情を説明したが、タレスもナイセルを復活させるための方法は知らなかった。しかし、ライノットの話を聞いた彼はこんなことを言い出したのだ。
『ライノットが死火山になったのは千年前なんだろう? なら、旧『赤の砦』を調べてみてはどうだ?』
『――旧『赤の砦』?』
『そう。今の屋敷は七百年前に新しく作られたんだ。その前はもう少し南にあったんだ。地殻変動か何かで移動せざるを得なくなったと聞いたな』
その話はビオンも初耳であった。エリュトロス家の歴史について父親に教わっていたが、一度も説明されたことがない。
疑問に思いながらも、タレスの話を聞く。
『ライノットに関して何かしら資料が残ってる……かは分からんが、俺が知ってるのはそんなことぐらいだよ。役に立てなくてすまんな』
その情報をもとにビオンは旧『赤の砦』へと向かった。山の谷間に半分廃墟と化した赤い石造りの建物があったのだという。
そこまで語ると、ビオンは一度黙り込んだ。
部屋にはエウフェミアとビオンの二人きり。シリルやエミリーには退出してもらっている。精霊に関するものでも話せない話題はない。
エウフェミアは話を促すように質問をする。
「旧『赤の砦』で、何があったの?」
「……分からない」
しかし、返ってきたのはそんな回答だった。
ビオンは本当に混乱しているようだった。手を口元に当てながら、話す。
「屋敷に入る前は廃虚だと思った。でも、中に入ったら違ったんだ。すごく綺麗だった」
「綺麗?」
「……そんな大昔に使われなくなったようには見えなかった。確かにここ数年は使われてなさそうだったけど、その前は誰かが住んでた。そんな風に見えたんだ」
建物に比べて真新しい家具。クローゼットにしまわれた衣服。ベッドの枕元には使いかけの蝋燭。台所に置かれた食器。――そして、大量の本。十年ほど前に出版されたものもあったという。
「つまり、十年以内の間にそこで生活をしていた人がいたということ?」
「そういう、ことだと思う」
エウフェミアは余計に怪訝に思う。旧『赤の砦』に生活の痕があったことではない。そのことにこれほどビオンが動揺していることにだ。
「それはエリュトロス家の誰かが使っていたというだけの話ではないの? 例えば、エリュトロス精霊爵とか」
「違う」
しかし、その推測をハッキリとビオンは否定した。それまでの自信のなさが嘘のようにだ。
彼はハッキリと断言した。
「あそこで生活していたのは子供だ」
「……子供?」
「服のサイズ。ベッドの大きさ。本も難しいものも置いてあったけど、子供向けの本もたくさんあった。大きくても成人はしてないと思う。他に誰かが暮らしていた形跡はなかった。子供が一人で生活していたので間違いないと思う」
今は使われなくなった古い廃虚。そこに小さな子供が暮らしていた。
その姿を想像し、エウフェミアはようやくビオンの動揺の理由を少し理解できた。どんな理由があれ、そんな場所で子供が一人で生活するというのは異常だ。
エウフェミアが言葉を失っていると、ビオンは神妙な面持ちで話を続ける。
「そのことをすごく不気味に思った。でも、あそこに向かったのはナイセルの件の何か手がかりがないかと思ったからだ。だから、他に何かないか調査を続けた。でも、何もなくて――帰ろうとしたときだよ。ヘクトールがやって来たのは」
ヘクトールというのはエリュトロス精霊爵の腹心の部下だと云う。エウフェミアを『赤の砦』に案内してくれた人物でもあるそうだ。駅舎に迎えに来た壮年の男性の顔を思い出す。
彼はビオンの顔を見ると、ひどく狼狽したそうだ。
『ビオン様、なぜここに』
『ヘクトール。お前こそ、なんでここにいる?』
『それは――』
ヘクトールはビオンの質問に答えなかったと云う。俯いたまま、視線をあちらこちらへ忙しなく動かす。それを見て、ビオンはあることに気づく。
もし、ここに子供が暮らしていた場合。誰の助けもなく生きることは不可能だろう。誰かしら大人の助力は必要だ。
そして、目の前の四十代の男はそれが出来うる人物だ。旧『赤の砦』に誰かが住んでいたのが十年前だとしても、ヘクトールは当時三十代。子どもの世話をすることは十分できただろう。
『ヘクトール。お前は以前からここに出入りをしていたのか?』
その質問に男は答えなかった。代わりに逃げるように来た道を走って戻っていく。
その後ろをビオンも追った。しかし、ヘクトールの足は速く、すぐに距離を離されてしまった。
そうして、ビオンが廃虚の玄関まで戻ったときにはヘクトールは正門の扉を閉ざそうとしているところだった。
慌てて門まで駆け寄るが、その前に扉が閉ざされる。厚い鉄の扉の向こうで錠をかけられる音が聞こえた。
『ヘクトール!』
『お許しください、ビオン様。これもすべてエリュトロス家のためなのです』
門の向こうから悲痛な訴えが聞こえる。
『この秘密をあの娘に――外部に漏らされるわけにはいかないのです。ゲオルギオス様を呼んでいます。それまでここでお待ちください』
そうして、足音が遠ざかっていく。いくら門を叩こうが、鉄の扉はびくりともしない。
閉じ込められたと、ビオンは打ちひしがれたのだという。周りを調べたが、谷間の屋敷から出れそうな場所は他にない。正面の門を開けるしかないのだ。
「そ、それでどうしたの?」
「……強引にだけど、門を壊した」
ビオンは気まずそうに視線を逸らす。
鉄の扉は熱すれば溶ける。ビオンは火の精霊術を使って門をなくし、脱出したのだという。しかし、問題はその後だった。
「ヘクトールは父さんを呼んでくると言った。このことは父さんの耳にも届いてるはずだ。帝都に戻ろうにも、鉄道関係者にも父さんが手を回しているかもしれない。だから、戻れなかったんだ。唯一頼りにできるのがケントぐらいしかいなくて……ここまで歩いてきて、エミリーに助けを求めたんだ」
旧『赤の砦』の正確な場所は知らない。しかし、歩いて数日かかるのは間違いないだろう。エウフェミアはビオンの苦労と、ボロボロだった理由を知った。




