18 ビオンの危機
「相変わらずといえば、相変わらずかな」
ノエはため息をつく。
「こっちでもね、結構騒動になったんだよ。死んだはずのエウフェミアが生きてたわけだからね。叔父上は別人と主張したかったみたいだけど、僕が同一人物だって保証しちゃったから。大人たちは揉めに揉めたらしいよ。でも、結局、うやむやで終わってしまったかな。『エウフェミアの死についてはイシャーウッド伯爵家からそう連絡が来ただけで、自分は何も関与していない。『青の館』にいた頃は廃人のようだったが、何かがキッカケで回復したのだろう』だってさ」
エウフェミアは苦笑する。
叔父がエウフェミアの死について無関係なのは事実だろうが、苦しい言い訳だ。エウフェミアが廃人になっていなかったことはノエから他のガラノス家の人々に伝わっているだろうに。
「元々叔父上は評判のいい人ではなかったけど、それでもグレイトス様に一番血が近いって理由で当主代理の座にいることを許容されてた。でも、今回の一件でわずかに残ってた信頼もなくなったよ。ずっと先代当主の娘のことでウソをつき続けてたんだからね。叔父上は間違いなく、次の精霊会議で当主の座を引きずり下ろされる。水の大精霊様が新しい当主を決めても、決めなくてもね」
「……水の大精霊様が伯父様に大精霊の紋章を授けることはないのかしら?」
「そんなことがあったら、僕は舌を噛んで死ぬよ。ガラノス家の家風は調和。あんな自分勝手な男が当主になるということはその美徳が失われたことを意味するからね」
エウフェミアはクスクスと笑う。それから、話を本題に戻す。
「それで、今回ノエを呼んだのは頼みがあって――」
そうして、ナイセルでの失敗やライノットでの調査、ブロックハート侯爵による河川の工事の話をする。
それを聞いたノエはまた難しい顔をする。
「……火の精霊を呼び戻すのに、水の精霊術師の力が必要ってことか」
「そう。具体的にどうするかって話は、できればシリルさんや会長も入れて四人で話し合いたいわ。本当はビオンにも参加してほしいのだけど」
ビオンと別れてから既に一週間。そもそも戻ってきてもおかしくない頃合いではあるが、連絡はまだない。
そんなことを考えてると、ノエが怪訝そうに言う。
「『会長』?」
その言葉でエウフェミアは二人がプラットホームで顔を合わせただけで、お互い自己紹介さえしていないことを思い出す。
「プラットホームで黒髪の眼鏡の男の人がいたでしょう? 元々私がいたハーシェル商会の会長、アーネスト・ハーシェル様よ」
ウォルドロンでエウフェミアが商会に身を寄せている話はノエにもしている。この説明で伝わると思ったのだが、彼の青い目にはどんどん不信の色が強まっていく。
「精霊庁の人間でさえないのかい? なんで、部外者が火の精霊の問題に首を突っ込んでるの?」
その指摘に、エウフェミアは何も言い返せなかった。
そう。本来、アーネストはこの件に無関係だ。精霊術とは無関係の一般人。ここまで協力させているのが本来おかしいことなのだ。
それでも、エウフェミアはアーネストの必要性を訴える。
「で、でも、会長はとても頼りになる方なのよ。水の大精霊様を鎮める方法を考えついたのだって会長だし、今回の件だって会長がいなきゃここまで解決方法に近づくことはできなかったわ」
「――エウフェミアさ。その会長とやらにどこまで話したの?」
その指摘にエウフェミアは思わず目を逸らした。
エウフェミアがアーネストに話したことは――ほとんど全部だ。精霊術についてのことはエウフェミアが教わったことはほとんどそのまま、アーネストに伝えてしまっている。
最初のシリルの依頼を引き受けたときは必要だったから。ウォルドロンから戻ってきたときは勢いで。そして、ナイセルの件で助けを求めたときは必要と思ったから伝えた。教えてしまった。
ノエは痛そうに頭を押さえる。
「エウフェミア。精霊術の知識は部外者に簡単に教えていいものじゃないんだよ」
「……ごめんなさい」
「――まあ、いいよ。やってしまったことはどうしようもないし」
ノエはひざをついて、「ハーシェル商会会長ねえ」と呟いた。
◆
話を終えた二人はアーネストたちを交えて、今後の話に入る。その前にエウフェミアは改めてノエにアーネストを紹介した。
「ノエ。こちらの方がアーネスト・ハーシェル様よ」
事前に説明していたとはいえ――いや、だからこそかもしれないが――はとこは『部外者』に対して警戒するような眼差しを向ける。
「やあ、どうも」
ノエの返事はそっけない。それに対し、アーネストは意外なことに笑顔を浮かべた。
それは普段の斜に構えたものでも、営業用の作りものでもない。快活そうな、明るい笑みだった。
「はじめまして。アーネストだ。好きに読んでくれていい」
そう言って、アーネストはノエに握手を求める。少年は一瞬、戸惑ったような表情を浮かべたものの、握手に応じる。
「……よろしく」
そうして、四人は今後のことを話し合う。改めてノエへの状況説明からだ。
一度火霊石を使ってのチャレンジに失敗したこと。前例としてライノットという死火山があり、その調査に赴いたこと。ライノットもナイセルも火の精霊かいなくなったのは水の精霊の影響によるものと仮説を立てていること。
一通り説明を行い、エウフェミアは訊ねた。
「ノエはどう思う?」
少し間を空けて、彼は答える。
「悪くない仮説じゃないかな。人工的に川を作れば水の精霊が集まるのは当然だしね。精霊たちが他の属性の精霊に影響を与えるっていうのは考えたことなかったけど、十分考えられることだと思うよ」
ノエはテーブルに広げられた地図を見下ろす。ブロックハート侯爵邸から持ってきたものだ。
「でも、まずは実際に現地を見てみたいかな。本当に人工河川が原因で水の精霊の数が増えてるなら、対策を講じないと他の水害被害が出かねない。話は全部それからだ」
「そうね。そうしましょう」
話がまとまり、次に具体的な手筈を決めていく。扉がノックされ、シリルが対応する。姿を現したのは意外な人物だった。
「グレッグ」
それは帝都に残してきたシリルの部下だった。彼は珍しく緊張した面持ちで上司に耳打ちをする。
すぐにシリルの表情も険しいものに変わる。こちらを振り返り、彼は伝達内容を伝える。
「ケント様からの伝言です。『領地のリーヴィス公爵本邸でビオンを保護している。迎えに来てほしい』と」
エウフェミアは困惑する。状況が飲み込めない。
「ケント様から……? 保護したというのは……ビオンに何かあったのですか?」
「詳細はグレッグも聞いていないようです。直接会って聞くほかないでしょう」
「……そうですね」
何があったかは分からないが、ビオンが心配だ。可能なら今すぐリーヴィス公爵領へ飛んでいきたい。
しかし、エウフェミアたちはさっきまで人工河川へ赴くという話をしていた。それを放っていくわけにもいかない。
こちらの逡巡を察してか、背中を押してくれたのはアーネストだった。
「行って来いよ」
エウフェミアは弾かれたように振り返る。アーネストが淡々と言う。
「人工河川の調査は俺とノエで行ってくる。それでいいよな?」
「……まあ、別に構わないよ」
ノエは少し不満そうながらも、肯定してくれる。警戒している相手との行動に抵抗があるのかもしれない。だが、今はその言葉に甘えたい場面だ。
エウフェミアは深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。すぐ、戻りますから」
そうして、ノエ、アーネスト、グレッグを残し、エウフェミアはシリルとともにリーヴィス公爵領へ向かうこととなった。




