16 ひどい男
エウフェミアは口を開く。
「だから、ブロックハート侯爵にお怒りだったのですね」
「……まあ、そういうことになるな」
アーネストはまるで他人事のように言った。エウフェミアは考える。
彼は侯爵への怒りを自分の勝手なものと言った。領民のことを思ってのことではないと否定した。
しかし、昔馴染みだった人物が父親を裏切ったという過去の経験を元に、強い正義感を抱くようになった――というようにしか、エウフェミアには思えない。
こうして、話をしてもらうと彼のことを知れる。理解が深まっていく。そのはずなのに、何か違和感がある。
真っ暗な穴の中を覗き込んでいるようだ。少し先は見えるのに、その奥が見えない。穴がどこまで続いているかも分からない。
でも、少し分かったことがある。
(……会長はもしかして、ご自分のことをお好きではないのかしら)
普段のアーネストの言動は自信に満ち溢れたものだ。不遜な態度を崩さない。商会の経営者としても有能だ。
しかし、ライノットの頂上で彼は『この三年、俺はハーシェル商会会長として必要な振る舞いをしてきたつもりだ』と言った。彼の演技の上手さはハフィントン侯爵邸でも、ブロックハート侯爵邸でも見た。
エウフェミアがいつも見ていた姿はハーシェル商会会長としての一種の仮面であり、彼の本質は違うところにあるのではないか。今まで、何度か話を逸らされたことやはぐらかされたことがある。
エウフェミアを助けた理由。
アーネストを「優しい」と言ったとき。
ブロウズではなくハーシェルを名乗る理由。
どうして最初からエウフェミアの父と兄との関係性について教えてくれなかったか。
それらの話題は彼の被る仮面ではなく、彼の本質に関わること。だから、話したがらなかったのではないか。そんな風に思えてきた。
「会長」
エウフェミアはアーネストの隣に腰かける。それから、彼の目をまっすぐ見つめて言う。
「私は会長が好きです」
突然の告白に、アーネストは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに辟易とした顔を作る。
「またその話かよ。なんだ。お前は一日一回俺に愛の告白しないといけないノルマでも抱えるのか」
「もちろん、そういうわけではありませんけれど」
少し迷いながら、言葉を探す。
「会長は、その、……ご自分に否定的な感情を抱いてらっしゃるのではありませんか?」
結局、うまい言い回しが思いつかず、表現を婉曲にしただけでストレートな問いかけになってしまった。
「そうだよ」
アーネストはハッキリと断言した。
「俺は俺が憎いよ。この世で殺したいほど憎い相手が二人いるが、そのうちの一人は俺だ」
エウフェミアは絶句した。その険しい表情から。真剣な声色から。アーネストが本気でそう思ってると分かったからだ。
彼は自身の首に触れる。
「許されるなら、ナイフでこの首を掻っ切ってやりたい。無惨で苦しい最期を迎える。きっと、それが俺に相応しい最期だ」
そのまま、自分で自分の首を絞めるのではないか。そんな不安に陥り、エウフェミアはアーネストの手を掴む。
こちらに視線を向けたアーネストの空気が緩む。彼は苦笑する。
「そんな顔をすんなよ。別に今すぐ自殺するわけじゃねえんだから」
いったい今エウフェミアはどんな顔をしているのだろう。分からない。でも、アーネストから発される殺意が緩んだことに安堵する。
「今はまだ死ねない。殺されたって生き返ってやる。……俺にはやらなきゃいけないことがある」
――やらなきゃいけないことって何ですか?
その問いを口には出せなかった。しかし、それを察してから、アーネストが答えてくれる。
「親父の夢を叶えること。親父の名を残すこと」
その言葉には先ほどまでなかった自信や希望を感じられた。彼は拳を握りしめる。
「親父の夢は店を大きくすることだった。商人って商いを『商品を運ぶことで、その良さを他人に伝えられる。生産者と消費者に縁を作る、重要な役割』と考えてた。だから、いつか帝都に店を構えて、帝国中の良い品を、帝国中に広めたいって言ってた。親父の名前を商会名にして、俺が商会を大きくする。そうすりゃあ、ハーシェルって男の名前を色んな奴に知ってもらうことができる。そういう考えをした、お人好しの商人がいたって歴史に残せるかもしれねえ」
前にアーネストがハーシェルという父親の名を姓に使っている理由を聞いたとき、彼は出身地を伏せるため以外にも理由がある様子だった。
父親の名前を知らしめる。それがもう一つの理由だったのだろう。
エウフェミアはハーシェル商会の事務所を思い出す。
帝都の大通りに事務所を構え、何人もの従業員を抱えている。彼らは様々な商品を商い、帝国各地に物を運ぶ。それはハーシェルが見た夢そのものに思えた。
「会長はお父様の夢を叶えられたのですね」
「そう。だから――」
そこまで言って、アーネストは口を閉ざした。先ほどまで輝いて見えた瞳から再び光が消える。それから、険しい顔をこちらに向けた。
「…………分かっただろ。俺はお前が考えるほど高尚な人間じゃない。お前みたいに真面目で優しい奴は、もっと一緒にいるのに相応しい相手が他にいる。――そう。身分との釣り合いを考えるなら、エリュトロス精霊爵の息子とかどうだ? お前との再会を泣いて喜んでたじゃねえか。他ならノエ・ガラノスとか、前に言ってたキトゥリノ精霊爵とかもありかもしれねえな。シリル・レイランドで妥協してやってもいいと思うぞ」
彼の発言にエウフェミアは頬を膨らませる。それから、アーネストを睨む。
「私を傷つけるだけの結論は出さないっておっしゃっいましたよね」
「俺が結論を出す前にお前が考えを変えてくれたらいいと思っただけだ」
まるで意に介さないようにアーネストは遠くを見ながら言う。そのことが彼にとってエウフェミアは大した存在じゃないかのように思えて悔しくなる。
「私の気持ちはどうなりますか」
「大丈夫。お前は人の良いところに気づける奴だ。他の誰かともうまく出来るし、他の奴を愛することだってできるさ」
視界がぼやけてくる。気づけば、エウフェミアは泣いていた。アーネストは涙をぬぐってはくれるが、謝罪は口にしない。
「……ひどい」
「そうだよ。俺はひどい男だ」
そう言って、彼は涙の跡が残る目元に唇を寄せた。優しいキスだった。
その瞬間、ドアが勢いよく開く。
「――何をしていらっしゃるんですか」
怒気のこもった、でも綺麗な声。エウフェミアが驚いてそちらを見ると、入り口にシリルが立っていた。
怒髪天を衝くとはこのことかもしれない。明らかな怒りの表情で、シリルは大股でこちらに近づいてくる。涙を拭い、慌てて、エウフェミアは弁解をする。
「その、申し訳ありません。会長と少しお話がしたくて」
しかし、シリルはこちらの謝罪には何も反応を示さず、エウフェミアの腕を掴んだ。そのまま、引っ張り、自身の背中側に立たせる。――アーネストから守るように。
シリルはアーネストに向かってもう一度同じ質問をする。
「何をしていらっしゃったんですか?」
「…………何もしてねえよ」
アーネストは面倒そうに答える。さっきまでの雰囲気は一変し、いつものハーシェル商会会長の姿に戻っている。
「へえ。何も? 私にはそう見えませんでしたが」
「あの、会長は何も悪くありません。私が勝手にお邪魔しただけで」
なぜシリルがアーネストだけに怒っているのがよく分からない。しかし、説明が必要だと思い、エウフェミアはシリルに訴えかける。
世話役の青年は振り返ると困ったような表情を作る。
「エフィさん。夜に男の部屋を訪れるのは危ないことなんですよ。特に、この男は何をしでかすか分かりません」
それは先ほどアーネストに教わったのと同じような話だった。そこでようやく、シリルがエウフェミアの身を案じてくれているのだと分かった。
(シリルさんは会長が私を襲って、傷つけると心配してるのね!)
教わったばかり知識と目の前の状況が繋がる、楽しさのような感覚を覚える。エウフェミアは必死に頭を働かせ、今伝えるべきことを口にする。
「シリルさん。心配なさらなくても大丈夫です」
エウフェミアは笑顔を浮かべる。
「すべて、合意の上です。会長になら、何をされてもかまいませんから」
部屋の空気がすっと低くなったように感じた。
その後、シリルがアーネストに掴みかかり、騒ぎを聞いた従業員が駆けつける羽目になった。場が混乱する中、エウフェミアは最後まで自分の発言の何が問題だったか理解できなかった。




