14 侯爵の隠し事
ブロックハート侯爵の説明を聞き、思わずエウフェミアは聞き返してしまった。
「人工河川ですか?」
それから、慌てて口を押さえる。エウフェミアたちは侯爵の隠し事を気づいているということになっている。まるで初耳というような反応はおかしい。
しかし、意気消沈した様子のブロックハート侯爵はそのことに気づかない。ソファに座り、項垂れたまま頷いた。
「……はい」
侯爵の話では何年も前から農地開発のために、人工的に川を作り始めた。ナイセルより南部に大きな湖があり、そこからナイセル周辺へと水を引く。その工事が終わり、川に水を流したのが二年ほど前なのだという。
ちょうどその直後から火霊石の産出量が減ってきた。そして、とうとうナイセルの調査をしたエリュトロス精霊爵に火の精霊たちがいなくなっていることを知らされたのだ。
その話を聞いたブロックハート侯爵は河川事業の話をすることはできなかったという。
「確かに原因を自分で作り出したとは言いづらいでしょうね」
工事の記録に目を通したアーネストが言う。
「ナイセル周辺の気候は降雨量が少なく、乾燥している。大きな河川もない。農地開発には人工河川は必要なのは間違いありません。ただ、早まった行動でしたね。水の精霊の数が増えすぎてしまったために火の精霊たちがナイセルからいなくなってしまった」
「で、では、開発を中止すれば――川をなくせば、火霊石の採掘量が以前のように戻るということですか!」
「さて、それはどうでしょうね」
アーネストは足を組み直し、テーブルに置かれた地図を見下ろす。
「既に一度川は引かれています。元に戻せば環境が戻るとは限らない。川を堰き止めるのはかなりの重労働ですよ。工事は領民に行わせたそうですが、また彼らに重労働を強いるのですか?」
「それに」と、彼は微笑む。
「既に農地開発のために川の周囲に多くの領民を移住させているのでしょう? 故郷から無理に追い出すために、彼らの家を壊し、農地を取り上げたとおっしゃったではありませんか! 新しい移住先なら、今まで以上に作物が育てられるとも。彼らをどうするつもりですか? また、元の場所に返すと言うのですか?」
表情も声も穏やかなのに、その目は笑っていなかった。静かに燃えるような怒りを感じる。それはブロックハート侯爵も感じたのだろう。真っ青の顔のまま、俯く。
「まあ、事情はよく分かりましたよ。あなたのことも、その思惑も、どうでもいいことですが、エリュトロス精霊爵からの期待には応えたいと思っています。こちらの地図と工事の記録はお借りしてもかまいませんね? 何かありましたら、人をよこしますので我々がいいと言うまではこの屋敷で過ごしていてください。帝都はもちろん、遠出も駄目です。我々の要望には即座に協力していただきます。当然ですよね? あなたの領地の問題を、我々は、わざわざ、特別に、解決して差し上げようと言っているのですから」
最後の言葉の圧にブロックハート侯爵は完璧に屈していた。体を小さくしながら、「わ、分かりました」と小声で答える。
そうして、人工河川が描かれた最新の地図と工事記録、そして、当然のように侯爵の書斎から持ち出した大量の資料を抱え、エウフェミアたちはブロックハート侯爵邸を後にした。
「ああ、疲れた。のどが渇いた。水をくれ」
馬車に戻りなり、アーネストは眼鏡を外し、制服の胸元を緩める。エウフェミアは馬車に置いてあった水筒を渡す。シリルが呆れたように言う。
「随分と強引な手を使いますね」
「だからこそ上手くいったんだろ。お前だってニコニコ笑顔で他の選択権を許さないって方法はやってただろ」
「私はあんなストレートな脅迫はしていません。美しくない」
エウフェミアは水分補給を終えたアーネストから水筒を受け取る。それから、おそるおそる質問を投げかける。
「――あの、会長。怒っていらっしゃいます?」
唐突と思われたのだろうか。アーネストだけでなく、シリルも驚いたように目を見開く。それから、アーネストは眉間にシワを寄せた。
「何がだ」
「ブロックハート侯爵に対して」
「さっきのは演技だよ。分かんだろ?」
「……ですが」
呆れたように言われても、なんとも納得ができない。
「侯爵がナイセルに火の精霊を呼び戻すのに川をなくせばいいのかとおっしゃいましたでしょう? ……その後、移住させられた領民のお話をするとき、怒っていらっしゃるように見えました」
アーネストは口に手を当てたまま、押し黙る。反論がない。
「あの」
言葉を続けようとしたとき、アーネストがこちらに手を伸ばしてきた。頭に触れたと思ったら、そのまま髪をぐちゃぐちゃにされる。
「ハーシェル会長!」
「――気のせいだ。余計なこと言うんじゃねえよ」
シリルが諌めるが、本人は意に介さないようにそう言い放った。
◆
その日、エウフェミアたちはモロニー駅の宿泊施設に泊まることになった。明日のノエの到着を待つ予定だ。
しかし、それぞれの客室に別れ、一人で過ごしていてもどうしても日中の出来事が気になって仕方なかった。
(――よし)
エウフェミアは椅子から立ち上がる。
窓から外を見ると、既に闇夜に星が輝いている。もしかしたら、もうアーネストは眠っているかもしれない。それでも、行動せずにはいられなかった。
寝間着の上に上着を羽織る。扉を少し開け、宿泊施設の廊下を覗く。誰もいないことを確認し、エウフェミアは部屋を出た。
二人の部屋の場所は教えてもらっている。エウフェミアが扉をノックしたのはアーネストの部屋だ。
「会長。起きていらっしゃいますか? エウフェミアです」
部屋の中へと声をかける。少ししてゆっくりと扉が開いた。不機嫌そうなアーネストが顔を出す。上着を脱ぎ、シャツとズボンだけの軽装だ。
「……いったい何の用だ」
「その、少しお話がしたくて」
「こんな遅くにか?」
アーネストは皮肉めいた笑みを浮かべる。歓迎されないことは想定していた。エウフェミアは必死に訴えかける。
「でも、以前も――ブロウズの街でも、夜にお話してくださったじゃないですか。個人面談だっておっしゃって」
「……あれはお前が眠れねえみたいだからやっただけだろ」
呆れたように彼は頭を抱える。その言葉にエウフェミアは顔を輝かせる。
「あのとき、お時間をとってくださったのは、私を気遣ってくださってだったんですね!」
その指摘に明らかにアーネストは『失言をした』という顔をした。
エウフェミアがキッチンにいるときに、アーネストは「物音がしたから見に来ただけ」と言い、まるでちょうどいいからという雰囲気で個人面談をしてくれた。あのときは会話の内容に気を取られていてあまり深く考えてなかったが、あのタイミングで面談をすると言ったのは眠れないエウフェミアに付き合ってくれたのだ。
アーネストは頬を引きつらせたまま、何も言わない。だが、そのとき。急に何かに気づいたように勢いよく廊下の向こうを覗き込んだ。
廊下の曲がり角の向こうから誰かの話し声と足音が近づいてくるのが微かに聞こえた。宿泊施設には少なからず他の宿泊客もいる。従業員もいる。そのどちらかだろう。
アーネストは舌打ちをすると、エウフェミアの腕をつかむ。
「仕方ねえ。入れてやる」
そうして、運良く、エウフェミアはアーネストの部屋に入ることが出来たのであった。




