13 屈服
山を降り、リーコックに戻ったエウフェミアたちはまた一晩ホリーの離れに泊まることとなった。そして、その翌朝、町を出発した。近隣のマッケイという街を経由し、セルウェイ駅へと向かう。
その最中もエウフェミアたちは夫婦のふりをすることになったが、リーコックへの行きとは打って変わって、エウフェミアは自然体でいることができた。
アーネストと手を繋ぐ恥ずかしさの正体が分かると、不思議と心は落ち着いた。手を握り返したり、そっと彼の腕に自分の腕を回す余裕さえもあった。そして、アーネストもそのことを自然と受け入れてくれていた。
そうして、辻馬車で駅まで戻ってきたエウフェミアたちはシリルと合流する。
「シリルさん」
駅舎の入り口で待っていた世話役の青年に笑いかける。シリルも安堵したように微笑み返してくれる。
「どうやら、朗報がありそうですね」
「はい。そのためにも、ノエの協力が必要になりそうなのですが――どうでしたでしょうか?」
「二日後にはナイセルに来ていただけることになりました。『協力するんだから、何があったかちゃんと説明してよね』とおっしゃってましたよ」
シリルに促され、エウフェミアたちは駅舎傍の宿泊施設へと移動する。その客室で改めてシリルに状況説明をした。
「なるほど。ライノットから火の精霊が失われたのは水の精霊の影響によるもの。その可能性が高いというわけですか」
「ナイセルも同じと決めつけるわけにはいきませんが……ですが、火の精霊だけではなく、他の精霊の影響も含めて原因を探るのが先決ではないでしょうか?」
「そうですね」
エウフェミアの意見にシリルも賛同してくれる。
「ナイセルの情報をもう少し集める必要があるな」
アーネストが煙草をふかしながら言う。
「過去の記録も図書館で調べはしたが、ライノットと違ってナイセルの問題は現在進行系だ。死んだ記録よりは生きた情報が欲しい」
「精霊庁から資料を取り寄せますか?」
「いや」
シリルの提案をアーネストは断る。そして、ニヤリと笑った。
「ナイセルについて知るには、精霊庁よりもっと情報を持ってるヤツがいるだろ」
◆
翌日、モロニー駅まで移動したエウフェミアたちが馬車で向かったのはブロックハート侯爵邸だった。
火霊同盟に所属するナイセル周辺を治める一族。当然、領地の情報が真っ先に集まるのが侯爵のところだ。彼を頼るというのは理にかなった行為――ではあるのだが。
「か、簡単に会っていただけるものなのでしょうか? 誰の紹介もいただけておりません」
「まあ、なるようになるだろ」
灰白色のマントを身に着けたエウフェミアの向かいに座るのはアーネストとシリルだ。二人とも――アーネストも精霊庁の制服を着ている。皇宮の大図書館に向かったときと同じ格好だ。
「ナイセルの件で一番困ってるのはブロックハート侯爵だ。精霊庁の官吏と万象の精霊術師が『ナイセルの問題を解決する』ってやってくりゃあ、相手にはしてもらえんだろ。何ならエリュトロス精霊爵の名前を出しゃいい」
「精霊爵には特に紹介はしていただいてないのですが……」
「解決しろって言ったのはエリュトロス精霊爵だろ。紹介してもらったも同然だ」
アーネストが語るのはなかなか強引な理屈だ。エウフェミアは苦笑を返す。
ブロックハート侯爵邸は以前訪れたハフィントン侯爵邸同様広い敷地内に建っていた。濃灰色の石造りの屋敷の玄関を叩く。現れた執事にアーネストは笑顔で名乗る。
「どうも。精霊庁の者です。ブロックハート侯爵はご在宅ですか? ――いらっしゃる? では、お目通り願っても? ええ。今後のブロックハート侯爵家の命運に関わる非常に重要なお話しなんです」
そう言って、半ば無理やり応接室へと通してもらう。慌てた様子でやってきた壮年の男性――ブロックハート侯爵に、偽の精霊庁官吏は軽薄な調子で挨拶をした。
「どうも、どうも! お忙しいところ、大変申し訳ありません」
「突然なんだ。き、君は誰だね」
「ああ! 私をご存じでないと!?」
アーネストは大げさに声を上げる。目元を手で押さえ、泣く真似をした。
「まさか、ブロックハート侯爵であろう方が私の顔に見覚えもないと! 確かに最近は社交界にはほとんど顔を出しませんからね。忘れ去られてしまってもしかたありません」
もちろん、中流階級であるアーネストが社交界に顔を出した事実はない。ブロックハート侯爵とも初対面だろう。しかし、こうも堂々と、そのうえ早口で言われてしまうと、自身の記憶を疑ってしまうのかもしれない。
侯爵はチラリとシリルとエウフェミアを見る。精霊庁長官の息子と精霊術師のマント。それで、ブロックハート侯爵も来訪者の身元を確認したのかもしれない。
「……それで、ご用件は? 当家に何のご用が?」
黒髪の官吏の正体については触れず、話を変えた。アーネストは笑顔で答える。
「もちろん、ナイセルの件ですよ!」
その言葉に、ブロックハート侯爵はビクリと肩を震わせた。アーネストは大股でゆっくりと歩き出す。
「大変お困りのようではありませんか。ナイセルにいる火の精霊たちはブロックハート侯爵領での火霊燃料生産の要。ナイセルが死火山となれば、ブロックハート侯爵家も大変でしょう。エリュトロス精霊爵がそのことを心配なさって、依頼くださったのですよ。万象の精霊術師ならどうにかできないか、とね」
アーネストがエウフェミアの後ろに回り、両肩を叩く。どう反応すべきか困り、ひとまず侯爵に笑顔を向ける。そのままの態勢でアーネストは話を続ける。
「なんせ、こちらのエウフェミア様はどの属性の精霊とも言葉を交わすことができる。ここに来るまでに軽くブロックハート侯爵領の状況は見せていただきました。――驚きましたよ。まさか、火霊同盟の一員、ブロックハート侯爵がエリュトロス精霊爵に隠し事をしているなんて」
エウフェミアには彼が一体何の話をしているのか分からなかった。カマをかけているのだろうということだけが分かる。
「い、いったい何のことでしょう?」
そして、驚いたことにブロックハート侯爵が明らかに狼狽し始めた。エウフェミアは呆気にとられる。アーネストは畳みかける。
「言わずともお分かりになるでしょう?」
声は笑っているように聞こえたが、圧を感じる。侯爵は体を震わせながら、弁明をする。
「まったく、まったく心当たりがございません。私どもは決して、エリュトロス精霊爵に隠さなければならない秘密なぞございません! 火の大精霊様に誓いましょう!」
アーネストはエウフェミアの肩から手を離す。そして、ゆっくりと侯爵へと近づいていった。
「分かっていらっしゃらないご様子ですね。これは最後通牒ですよ」
彼はブロックハート侯爵の鼻の先十センチほどまで近づく。平均より背の低い侯爵を長身のアーネストが見下ろす形となる。
「エリュトロス精霊爵に依頼を受けて、我々はここまで来ました。でも、ナイセルの件を放っておいても我々は困りはしないんですよ。ブロックハート侯爵家の火霊燃料の生産量は、帝国全体で見れば微々たるもの。皇宮としても、皇帝陛下としても、特に困るものではありません。きちんと事情をお話しいただけないようなら、この件から手を引くしかありません」
それはどう聞いても脅迫でしかなかった。
確かにナイセルが死火山となることで一番被害を被るのはブロックハート侯爵だ。エウフェミアたちが手を引かれては困るだろう。
アーネストは一文字一文字ゆっくりと区切るように話す。
「正直に。すべて。お話しいただけますね?」
そうして、ブロックハート侯爵は素性も知らない精霊庁の官吏に屈服した。侯爵が応接室に入ってから五分と経っていなかった。




