10 気づいた気持ち
母屋の玄関をノックする。出てきたホリーに「お手伝いをさせてもらえないでしょうか」と告げる。
「でも、アンタ、あまり体がよくないんだろ? 休んでたほうがいいんじゃないのかい?」
「今は調子がいいので、大丈夫ですよ。リーコックの郷土料理を覚えたいです」
ホリーは少し考えてから、にっこりと笑う。
「そう。なら、手伝ってもらおうか」
玄関を入ると、そこがすぐに台所兼居間だった。今晩のメニューはハーブライスと魚の焼き料理だと言う。エウフェミアは手順を教わりながら、ハーブライスの下処理を行う。
調理をしながら、ホリーの話を聞く。
彼女は既に夫と死別し、三人の子供たちは成人して独り立ちしているそうだ。そのため、現在は一人で生活しており、時折村にいた客人を離れに泊まらせてるのだという。
「それにしても、いい旦那さんだね」
その言葉に、エウフェミアは思わず米の入った鍋を落としそうになる。
「え、ええと、その」
「奥さんのために移住先を探してるなんてね。ここに来る途中も、何かと気遣ってくれてただろ? 優しい旦那さんだ」
エウフェミアは何も言えなくなる。
病弱な妻のために引っ越し先を探している。確かにそういう設定だ。ずっと、手を繋いでいたのも仲睦まじく夫婦を装うためだろう。
しかし、実際に階段や足元の悪い場所で、アーネストは黙ってエウフェミアが転ばないように支えるように立ち振る舞っていた。あれも設定の延長線の行動なのだろうが――なんとも落ち着かない気分にさせる。
考えてから、エウフェミアは答える。
「……そうですね。すごく、優しい方です」
エウフェミアが会長は優しいと評したとき。それは会長がエウフェミアを気にかけてたからだとゾーイは言った。
その理由が父への恩義や兄との約束によるものと知って、エウフェミアは落胆した。でも、今アーネストが手伝ってくれているのはエウフェミアのためだ。そのことが今は純粋に嬉しい。
こちらを見つめていたホリーは目を細める。
「旦那さんに愛されてるんだね。――それに、アンタも旦那さんのことが大好きなんだね。目を見れば分かるよ」
その言葉に、エウフェミアは固まった。
◆
その後の会話はあまり覚えていない。
ホリーの話に相槌を返し。料理が出来て、アーネストも含めて三人で食卓を囲った。
アーネストはホリーの質問にそれらしい答えを返す。話を振られたら、話を合わせるように返事をする。しかし、その最中、一切隣に座るアーネストの顔を見ることができなかった。
「じゃあ、行ってくる。戻ってくるのが何時になるか分からん。先に寝てろよ。詳しい話は明日する」
「はい。いってらっしゃいませ」
夕食を終え、長の家へと向かったアーネストを笑顔で見送る。
いつも通りを装ったつもりだ。不信感は抱かれていない――と思う。
扉を閉め、その場にうずくまる。そうして、ようやくホリーの言葉を反芻できた。
『アンタも旦那さんのことが大好きなんだね。目を見れば分かるよ』
それは夫婦という設定上の話のはずだ。夫婦になる以上、お互いが愛し合ってのこと。だから、ホリーが言うように妻が夫を好きなのは当たり前のことだ。
しかし、ホリーはエウフェミアの目を見て、『分かる』と言った。そして、いくら考えても、彼女の発言を否定する材料がまったくなかったのだ。
(――私が、会長のことを好き……?)
もちろん、好きか嫌いかで言えば当然好きだ。エウフェミアにとって恩人であり、感謝と尊敬の気持ちだってある。タビサとゾーイは色々言っていたが、嫌いになる要素が一つもない。
格好いいし、頼りになる。頭もいい。口が悪く、捻くれているところもあるが、決してマイナスになるポイントではない。そう、好ましいと思える点はいくつでも思い浮かぶ。
そこまで考えて、自分がアーネストに向ける感情が知人や友人に向ける好意ではなく、――異性へ向ける恋愛感情であることに気づいた。
(……そう、考えれば、色々納得できる、かもしれない)
なぜ、アーネストが自分が商会をやめることをあっさりと認めたことにショックを受けたのか。彼が自分を助けてくれたのが父や兄の存在によるものと知って落胆したのか。
そう、自分はアーネストにとって、特別でありたかったのだ。だからこそ、自分が彼にとってただの従業員の一人でしかないと思い、ショックを受けた。助けてくれた理由が他人のためと知って落胆したのだ。
エウフェミアは頬を押さえる。頭が燃えるように熱い。アーネストが出かけてくれて、本当に良かったと心底思う。
(す、少し落ち着きましょう。今、私たちは大事な調査の最中。エリュトロス精霊爵の課題を解決するためにも、そのことに集中しなきゃ。……きょ、今日はもう休みましょう)
今夜はもうエウフェミアの仕事はない。きっと明日はライノット山に登ることになるだろう。アーネストの言葉に甘え、休んでおくべきだろう。
フラフラとした足取りでエウフェミアは奥の扉を開ける。そして、その向こうの光景を見て、絶句した。
こじんまりとした部屋にベッドが二つ。
バランスを崩したエウフェミアは扉にもたれかかる。なんとか状況を受け入れようとする。
(そ、そうよね。私と会長は夫婦ってことになってるんだもの。同室を案内されるのは普通のことだわ)
そもそもこの離れには二部屋しかない。もっと早くこのことに気づいてもよかったのだ。自分の鈍感さに呆れてくる。
諦めて、エウフェミアは右側のベッドに腰かける。反対側のベッドは少し手を伸ばしただけで触れそうなくらい距離が近い。そのことから目を逸らすように、背中を向けるようにベッドに横になった。
(でも、なんで会長は何もおっしゃってくださらなかったのかしら)
離れについてすぐ、アーネストは奥の部屋を確認していた。当然同室なことは気づいていたはずだ。なのに、そのことを何も言わなかった。
いや、そもそも、夫婦のふりをすること自体ろくな説明をされなかった。普段ならどういう目的でどういうことをするのか、しっかり説明してくれていたのに。
(…………何を考えていらっしゃるのかしら)
出会った頃から元雇用主が何を考えているのか、エウフェミアにはよく分からないことが多かった。
それは世間知らずで無知な自分に比べて知恵があり頭のいいアーネストは、エウフェミアよりよっぽど難しいことを考えられることも理由の一つだろう。だから、エウフェミアはアーネストの話を聞く度にすごいと思うことが多かった。
だが、アーネストとの出会いの真相を知った今、引っかかることがある。
あの日、彼はエウフェミアとの出会いを完全な偶然であるように装った。そして、ゾーイに真実を暴かれるまで真実を隠しきった。嘘をついていると一切悟られることなく。
『会長は合理的な方よ』
ゾーイの言葉を思い出す。
『だからこそ、必要であれば怒ってないのに怒っているようなパフォーマンスをすることもある。だからこそ思ってしまうのよ。今、本当にこの人は楽しいから、面白いから笑ってるのかしらって。本当はこの人は何を考えて、どう感じてるのかしらって』
今なら少し彼女に同意できる。
アーネストは一体何を考え、どう思っているのだろう。表面的に見せる感情ではなく、本心で何を思っているのだろう。そのことがどうしようもなく気になるし、知りたいと思ってしまうのだ。




