2 火の精霊術の訓練
まずは玉砕覚悟で、火の精霊を呼び戻そうと祈ってみる。しかし、手応えは感じなかった。
「山自体から火の精霊がいなくなってる。ここから呼びかけても、地底の火の精霊たちに届かないんだろう」
「じゃあ、山を下りて火の精霊がいそうな場所で祈ればいいのかしら」
「……いや、そんな単純ではないと思う」
ビオンは難しい顔で呟く。それから近くの小石を拾い、地面に絵を描き始めた。山の下に二本の横線を引く。
「地面の下には燃える岩石の川が流れている。ナイセルのような山は元々その川が大地に噴き出して出来たものだ。その川が今も流れ続けていればナイセルから火の精霊が減ることはない……はず」
「川がせき止められたか、力が弱まったりでもしたのかしら」
「おそらく。でも、川が流れてるのはずっとずっと深い。数十キロは地下だ。地上からは調べられない」
エウフェミアは考え込む。
土の精霊術を使えば地中を掘り進むことは可能だ。しかし、掘るには燃える岩石の川は深すぎる。そもそも、そんな真似をすれば大地が崩れかねない。
「なら、他の方法を考えましょう。例えば、他に他所から火の精霊を連れて来る方法はないかしら。空虚の根銷却には霊水を使ったの。似たようなものはないかしら。それこそ、火霊燃料は火の精霊が宿っていたりしないの?」
火霊燃料には火の精霊の力がこもっていると聞いた。
「火霊燃料にはもう火の精霊は宿っていない。でも、加工前の火霊石なら使えるかもしれない」
「なら、ひとまず火霊石を用意しましょう」
エウフェミアたちは山を降り、麓に停めていた馬車まで戻る。そこではシリルと御者が待機をしてくれていた。
馬車内で話を聞いて、シリルは眉間にしわを寄せて言った。
「気軽におっしゃいますが、火霊石の管理は各領主の下で厳密にされているんですよ。簡単に手に入るものではありません」
「そ、そうなのですね」
エウフェミアは隣に座るビオンを見る。火霊燃料の生産にはエリュトロス家が関与している。彼なら詳しいと思ったのだ。
しかし、困ったようにビオンは首を横に振った。
「ごめん。火霊石の採掘や火霊燃料の生産に携わるのは担当の精霊術師だけなんだ。俺はそうじゃない。だから、そんなに詳しくないんだ。……そのあたりはケントのが分かってると思う」
「一度、ケント様に連絡してみましょうか? 例の連絡手段はまだ使えますよね?」
「ああ。そのはずだ」
「そうなると、一度帝都に戻ることになりますね。……エウフェミア様たちはどうなさいますか?」
エウフェミアとビオンは顔を見合わせる。ケントからの返事を待つ間、何もしないわけにはいかない。
「その間に火の精霊術について教えるよ。さっき見たかぎり、使い方に改善の余地がある……と思う。どれくらい教えられるか分からないけど」
その言葉にエウフェミアは安堵する。火の精霊術の扱いに少し不安を感じていた。
「ありがとう」
「……そうなると、どこで教えるのがいいだろう。『赤の砦』は父さんたちがいるし」
「皇宮にいらっしゃいますか? 『火殿』を開けられますよ」
「本当か。そうしてもらえると助かる」
そうして、エウフェミアたちは今度はまた帝都へと舞い戻った。自邸に寄ることなく、そのまま馬車で皇宮へと向かう。
連日の長距離移動にさすがに疲労が溜まってくる。その日は充てがわれた客室で休ませてもらうことになった。
久しぶりに湯船に浸かり、柔らかい広いベッドに横になる。こうして一人きりになると、不安が襲ってくる。
(……本当に、ナイセルに火の精霊を呼び戻せるのかしら)
ビオンやエリュトロス精霊爵にはああ言ったが、本当はまるで自信がない。そのための方法だって思いついていない。
エウフェミアはギュッと胸元の精霊石を強く握る。
(後ろ向きに考えちゃダメ。私が私を信じなきゃ)
マイナスなことを考えると、どうしてもチラつく人物がいる。困ったときにいつでも助けてくれた人。エウフェミアの弱音も聞いてくれた人。でも、もうあの人は頼れない。自分でなんとかしないといけないのだ。
強く強く目を閉じる。そうして、暗闇に落ちていくように意識を失った。
◆
ビオンに火の精霊術について訓練を受けたのは翌日のことだ。
場所は火殿。エリュトロス家のために造られた宮殿だ。
以前訪れた水殿にあった祭壇の間は一面水が貯められた部屋だった。火の大精霊を祀る部屋には壮年の女性の像が飾られ、部屋の中央には赤胴の台座の上で巨大な炎が揺らめいていた。その他にもいたる場所で松明が燃やされている。
ビオンは持ってきた蝋燭に順番に火を灯していく。その数は十近くある。それを順番に床に座るエウフェミアの前に置く。
「火は少し扱いを間違えただけで大変なことになる。だから、火の精霊術を行使するのに大切なのは火の精霊たちを制御すること。それが出来なければ、一人前の火の精霊術師にはなれない」
彼はそう言うと、蝋燭を間にし、エウフェミアの向かいに座る。そして、彼が目を閉じると、蝋燭の火が一斉に揺れ始めた。
それはまるで火が踊っているかのようだった。同じように左右に揺れ、火が弱まったと思ったら、明るく輝き始める。ビオンが目を開けると、火はまた静かに揺らめき始めた。
エウフェミアは感激のあまりはしゃいだ声を上げる。
「すごいわ、ビオン」
「これくらい火の精霊術師としては初歩の初歩だ。子供だってできる」
返答は冷たかった。エウフェミアが驚いて、ビオンをじっと見つめる。彼は誤魔化すように笑った。
「エウフェミアにもすぐできる。やってごらん」
それから、一時間ほど火の精霊術の訓練をした。最初はうまくすべての火を同じように操れなかったが、少しずつコツを覚えていく。火の数も増やされ、最終的に三十の火を同時に操れるようになった。
「うん。大分よくなった」
「火の精霊術の使い方は他の精霊術と少し違うのね」
そう答えてから、ふと思う。エウフェミアは元々ガラノス家の出身で、一番水の精霊術が得意だ。もしかしたら、他の属性の精霊術も少しずつコツが違うのかもしれない。
(今度キトゥリノ精霊爵やダフネ様にお会いすることがあったら、風の精霊術について教わってみようかしら)
そんなことを考えていると、ふと、ビオンの表情が固いことに気づく。彼はゆっくりと口を開く。
「……火の精霊術を使ううえで重要なのはいかに火の精霊を支配下に置くか。父さんはそう言ってた」
確かに水の精霊術を使う際、エウフェミアのイメージは協力を呼びかけるものだった。しかし、火の精霊には号令をかけるように精霊術を使うとうまくいった。
「でも、俺の精霊術の使い方はそうじゃない。そんな弱さじゃ火の精霊たちを従えられない。いつも、そう言われてる」
エウフェミアはなんと返すべきか言葉が思いつかなかった。少し考えてから答える。
「ビオンは優しいのね。火の精霊たちを無理やり従わせたくないってことでしょう?」
「そうじゃない。……多分、俺は父さんが嫌いなだけだ」
ビオンは服をぎゅっと握る。じっと火を見つめる赤い瞳の奥には、怒りが見える。
「昔から父さんは俺に命令ばかりしてきた。上から目線で従わせて、俺の意見なんてどうでもいいと思ってる。火の精霊術を使おうとすると、どうしても父さんの姿が思い浮かぶんだ」
精霊術の行使には術師の精神状態も深く影響する。ビオンが半人前なのは彼の能力というよりは精神的な問題なのかもしれない。――エウフェミアはそう思った。




