1 死にゆく山
目の前にそびえるのは緑の少ない岩だらけの山脈だ。
ナイセル。
そう呼ばれる山は帝国に百以上ある休火山の一つだ。その地下には本来たくさんの火の精霊がいるのだという。
エウフェミアは後ろを振り返る。
少し離れたところで、ナイセル山を見上げている赤髪の青年の姿がある。ビオンだ。エウフェミアは彼に近づき、声をかける。
「じゃあ、行きましょうか」
ビオンは不安そうながらも、その言葉にゆっくりと頷いてくれた。
――エウフェミアは思い返す。
『だから、どうかナイセルの山を蘇らしてくれ。火の精霊たちが住まう、火の山としてな』
『赤の砦』の当主の間で、エリュトロス家当主ゲオルギオスはそう言った。エウフェミアは背筋を伸ばし、答える。
『かしこまりました。エリュトロス精霊爵のご期待に応えてみせます』
『そんな無理だ』
その返事に即座に異を唱えたのはビオンだ。
『エウフェミア。父さんの言うことはいくらなんでも無茶苦茶だ。火の大精霊様の力を借りても、ナイセルに火の精霊たちは呼び戻せなかった。火の大精霊様の恩寵を受けていないエウフェミアが、父さんにできなかったことができるわけがない』
彼の指摘はもっともだ。
いくら全属性の精霊術を扱えても、精霊爵並みに精霊術を扱えるかと言えば、否だ。
これまで精霊庁からの依頼で火の精霊術を扱ったこともある。しかし、水の精霊術に比べれば精度は落ちる。エリュトロス家当主ができなかったことをこなす自信はない。
(…………でも、断るという選択肢はないわ)
先に『必要があれば証明する』と宣言したのはエウフェミア。そして、ゲオルギオスはこの難題をクリアすれば家族の死の真相を語ってくれると言った。断ったとして、代替案を出してくれるほどエリュトロス家当主が甘い人物には思えない。
エウフェミアはビオンに笑いかける。
『心配してくれて、ありがとう。……でも、大丈夫よ。きっと、なんとかしてみせる』
彼は驚いたように目を見開く。それから、何か決意した表情で父親を振り返る。
『俺も彼女に同行する』
『お前が?』
ゲオルギオスは冷ややかな視線を息子に向ける。
『まだ半人前のお前が行って、どうする。代わりに火の精霊を呼び戻すとでも言うのか?』
『それでも、彼女の手助けがしたい。父さんの許しがなくてもそうするから』
『……好きにするといい』
父親はそれ以上のことを言わなかった。
こうして、エウフェミアたちはナイセル山までやってきた。列車と馬車を使って、その翌日のことだ。
ひとまず目指すは山頂――そこにある火口へと向かう。二時間ほどかけて山を登り、広大な窪地が広がる火口に到着する。岩肌は灰色に色褪せ、妙に冷たい風が吹く。
ビオンが言う。
「エリュトロス家当主はここで火の精霊たちに呼びかける。そうやって、噴火しないよう、でも、地底の活動が止まらないよう、調整を行っている」
「死火山とならないようにしているのは火霊燃料の採掘のため?」
「それもあるだろうけど」
彼は一瞬笑う。
「バランスを取るためだよ。火は恐ろしいものだけど、人間が生活するのに必要不可欠なものだ。この世界の火の精霊たちの大半は休火山や地底に眠ってる。そういう場所で暮らせなくなった火の精霊たちが次に向かうのは人里だ。集落や市街地の火の精霊の数が飽和すると、それだけ火災のリスクが高くなる」
つまりは休火山で眠らせておくことが、人々にとって都合がいいということなのだろう。火の精霊たちを縛るようで少し可愛そうだが、人の命には代えられない。仕方ないとエウフェミアも割り切るようにする。
エウフェミアは目を閉じる。
地面の下の火の精霊の存在をうまく感じることができない。それはエウフェミアの感覚の問題なのか、火の精霊の数が少なくなっている証拠なのかは分からない。
目を開き、ビオンに訊ねる。
「私はまだ火の精霊の存在をうまく感じ取れなくて……、ビオンは感じる?」
「……ほとんど感じない」
地面に手をつきながら、彼は眉間にしわを寄せる。
「こういう状態になったら火の大精霊様の力を借りないと火の精霊を呼び戻せない。――父さんでもできなかったことを、エウフェミアに押しつけるなんて」
「でも、ナイセルに火の精霊を呼び戻せれば、八年前のことを教えてくれるって約束してくださったわ」
エウフェミアは笑みを作る。
「なら、なんとしても火の精霊を呼び戻してみせるわ。ビオンもその手伝いをしてくれるんでしょう? 頼りになるわ」
火の精霊術師の力と知恵を借りれるのはこれ以上なく、ありがたいことだ。
しかし、なぜかその言葉にビオンは表情を強張らせる。視線をそらし、気まずそうに言う。
「頼りにしてもらえるのは嬉しいけど……あまり期待しないでほしい」
エウフェミアは瞬きをする。彼は自身の深紅のマントの胸元をつかむ。
「俺はまだ火の精霊術師として半人前なんだ。だから、一人で仕事を任されない。ずっと、父さんに同行しているだけなんだ」
ハフィントン侯爵が『エリュトロス精霊爵はビオン様のことを半人前だと、公式な場に連れてくることはされません』と言ったことを思い出す。
エウフェミアは少し考えてから、微笑む。
「大丈夫よ。お互い一人じゃ足りないところがあっても、協力し合うことで補えるはずよ。――さあ、作戦を考えていきましょう」
ビオンは暗い表情を和らげ、小さく頷いてくれた。
しばらく5章を投稿していきます! が! ストック次第では途中でもう一作連載中の「魔術機関きっての問題児は魔術師のいない国に派遣されることになりました。」の方の更新をするかもしれません。よろしくお願いします。




