35 アーネストの本心
その発言にエウフェミアは反論しようとした。
「そんなことは――」
「ある。あるんだよ」
その口調は反論を許さないように力強い。アーネストは空を見上げる。
「お前は考えたことがあるか? この世界で一人一人の力なんて大した事ない。その上で、絶対に替えの利かない存在なんてほとんどいない。俺だって、皇帝にだって代わりはいる。明日突然、商会が潰れたところでいずれその代わりは現れる。――でも、お前は違う。生命の精霊の恩寵を受ける存在は四千年の歴史の中でたった一人だけだ。その事実はお前の運命を決定づける。お前が望もうが望むまいがな」
「だから」と彼は言う。
「お前には王になる未来しかない」
「――王、ですか?」
エウフェミアはただ、その単語に困惑するしかできなかった。王だなんてまるで冗談のようにしか聞こえない。
しかし、アーネストは真剣な表情のままだ。
「長。指導者。盟主。言い方は何でもいい。ともかく、お前が進めるのは精霊貴族七家を統べる主導者になる道だけだ。生命の精霊の恩寵を受けるってのはそういうことだろ?」
そう言われ、エウフェミアは愕然とする。
生命の精霊は七人の大精霊より上位の存在ということは知っている。そして、自分は生命の精霊の恩寵を受けているという意識も出来てきた。なのに、自分が七家の上に立つということはまったく想像していなかった。
「この世界に必要不可欠な人間なんていない。その数少ない例外がお前だよ。精霊をどうこうできる精霊術師たちはこの世界の守護者であり、統治者だ。そんなお前にはいるべき相応しい場所があって、……それは少なくともウチの商会なんかじゃない」
「そんなこと」
「――分かるよ」
言わないでください、と続けようとした言葉は遮られた。
「出会ったばかりの頃、お前は生まれたての赤ん坊みたいなもんだった。子供だったお前が商会での生活を経て、自立することができるようになった。だから、俺や商会に思い入れがあるのも分かる。でも、それはただの錯覚だ。子供が生家が最高の場所と思ってるのと一緒だ。本当は外にはもっと素晴らしい世界が広がっていて、もっと過ごしやすい新しい居場所があるかもしれないっていうのに」
そこまで一息で言い切ると、アーネストは一度大きく息を吸った。それから、吐き捨てるように言う。
「俺は最初からお前をずっと商会で雇い続けるつもりはなかった」
――それは、ここ数日聞いた中で一番聞きたくなかった言葉だった。
エウフェミアは言葉を失う。
「もちろん、生命の精霊がどうこうって話は分かってなかった。だけど、俺にだってちょっと商売がうまくいってるだけの商会が精霊術師のお嬢さんが居続けるのに相応しい場所じゃないことは分かる。一般常識を教えて一人立ちできるようになったら、上流階級との接点を作ってやれば、本来いるべき場所に戻れるんじゃないかって……そう思ったんだ」
気づけばエウフェミアは振りかぶった右手で、元雇用主の頬を打っていた。
「――解雇するつもりはないっておっしゃってたのに!」
深夜の面談をしたとき。彼は『今のところ、解雇するつもりはねぇよ』と言ってくれた。それなのに、最初から――雇ったときからいつかエウフェミアを辞めさせるつもりだったという。それはエウフェミアにとって裏切りに近かった。
アーネストは表情を変えず、言う。
「俺から解雇するつもりはなかったよ。あくまで、お前から辞めたいと言わせる。そのつもりだった。……まあ、こんな過程を経るとは想定外だったがな」
エウフェミアが水の精霊術を使ったことでシリルに皇宮に呼び出された。そして、その結果、ウォルドロンで家族の死にまつわる謎を知り、精霊術師になることを決めた。
アーネストの言う通り、これら一連の出来事は彼にとっても想定しえないことだっただろう。しかし、結末は彼の望んだとおり。
そして、こうならなかったとしても、エウフェミアから辞めたいという言葉を引き出せるように立ち回ることは彼ならきっと出来てしまっただろう。――その能力を信頼しているからこそ、確信できた。
エウフェミアは力なく俯く。
ずっと、アーネストのことを信じていた。雇用主と従業員という関係であったが、同じ商会で働く者として同じ方向を向いていたと思っていた。でも、それはまったくの勘違いだった。
そうして、エウフェミアは理解する。
(もう、私は会長に関わるべきじゃない)
この世界は階級社会だ。一度下層階級になったからこそ、エウフェミアは中流階級のアーネストの元で働けた。
しかし、精霊術師になることでエウフェミアは上流階級の上位へと戻ってしまった。中流階級とはいえ商会の会長にしか過ぎないアーネストとは生きる世界が変わってしまったのだ。
――それでも。
エウフェミアはゾーイに言われた言葉を思い出す。言わないと伝わらないことはある。もしかしたら、彼と面と向かって話すのは今日が最後になるかもしれない。だからこそ、本心を口にする。
「でも、私はずっと商会にいたかったです」
もうエウフェミアにはアーネストの顔を見る勇気がない。だから、彼の足元を見つめたまま、言葉を紡ぐ。
「あなたがどんなお考えでも、本当に感謝していました。あなたに何度も助けてもらいました。商会をやめた後でも手を差し伸べてくださって、本当に嬉しかったです。あなたの言葉は何度も私の心を救ってくれました。だから」
そこで一度言葉を区切る。
「……許されるなら、これからもあなたの言葉がほしかったです。気持ちを共有する相手はあなたがよかった」
それは仮装舞踏会の夜。アーネストに聞かれ、答えられなかった本心だった。
それだけ言うと、エウフェミアは早足でその場から逃げ出した。別れの挨拶もなかった。追いかけてくる者は誰もいなかった。




