第四十五話 過ち。
「……そうか。そりゃ吉報だ。一緒に来たってことは多分組んでるんだろうし、話が早いな」
……気づかなかったな。と言っても、不思議な話ではない。
私の魔力感知は、主に視覚で捉える方法と、肌感で捉える方法があり、後者は、いわば嗅覚に似ている。つまり、体調や精神状態によってはかなり正確性に欠ける。調子のいい時は、気づきたくなくても相手の敵意すら読み取れるが、それこそ、この階層でサイクロプスにつまみ上げられた時など、接近する人間の群れに直前まで気づけなかった程度のものなのだ。
ここから入り口までは距離もあるし、何よりこの雨だ。魔力を感知する条件としてはちょっと悪すぎる。
「ですねぇ! なんならこのまま放っておいてもいいんじゃないっすかね! どうせ他の隊は今頃引き返してるんでしょうから!」
カイセドが提案した擬似多層式と同じようなものを採用し、一隊ずつになったのだとすれば、このままいけば、今五階層にいる五隊が昇格することになるだろう。
つまり、わざわざカイル隊とクルゼフスキ隊に協定を取り付けなくても、このままここで留まっておけば、我々三隊は昇格ということになるわけだ。
「……いや、俺が協定を提案してこよう」
しかしグリーフは、立ち上がるとこう言った。彼らにこれ以上無理な潜行をさせないという優しさもあるのだろうが、この空間から一刻も早く抜け出したいという気持ちがあるのかもしれない。
「えぇ? グリーフさん、ちょっと優しすぎませんかね? 奴らすでに一隊ずつになってるんだから、やつらがこのまま潜行しようと、僕たちの昇格は硬いじゃないですか。なんならあいつらが勝手に自滅させちまえばいいんですよ!」
「そんなこと言ってたらヌネス派とニーナ派からの支持を得られないぜ。ていうか、少しでも好感度を稼がないとまずいだろ。ただでさえ俺たちトム隊が昇格することになっちまったんだからよ」
「確かに! さすがグリーフさんっすね! でも、あの実力を連中に見せつけたら文句なんて一つも出ませんよ! なんならユルー派の連中なんか、みんなグリーフさんに鞍替えするでしょうね!」
華麗な手のひら返しに、グリーフは深々とため息をついてから、外へと視線を戻した。
「しかし、この雨だったら、すぐに見失っちまいそうだな」
グリーフが目を細めて外を眺めながらそう言うと、「それじゃあ、オレもついていく。オレの目なら、この雨の中でも奴らを見失うことはない」とブライトが言う。
あまりに自然な口調に、グリーフは「お、それは助かる……」と言いかけてから、口を閉ざした。ついさっきまで自分を殺そうとしていた相手と二人きりになるのは、グリーフといえど躊躇うところなのだろう。
グリーフが私に目配せをする。きっと、ブライトがグリーフに敵意を持っているか否か、判断してほしいんだろう。
私はもう一度ブライトの魔力を観察する。自分の体調を加味しても、やはり彼の魔力の動きからは、一切の敵意感じない。というか、あまりに魔力の排出量が少ないので、死に瀕しているのではないかと心配になる程だ。人に限らず、生物は死の際に一瞬魔力を大量に放出した後、魔力を排出しなくなるのだ。
この状態の人間を信用できないとなると、人間社会の中で信用できる人というのはほとんどいなくなってしまう。少なくとも今現段階の『勇ましい大群』の中では、一番私たちに敵意を抱いていない存在かもしれない。
私は口の動きだけで「大丈夫」とグリーフに伝える。グリーフは頷くと、ブライトに向き直った。
「ブライト、頼めるか? ユルー派のお前がいてくれたら、説得力が段違いだしよ」
「……ああ、だろうな」
グリーフは一度絞った隊服を広げて着直し、びちょぬれのアーマーと盾をつけるか迷い、「警戒されてもな」と、火元にどしゃんと放り投げる。それに倣えうように、ブライトも自分の魔剣を床に置いた。
随分と従順になったものだな。まぁ、グリーフとブライトなら、武器なしで万が一戦闘になっても大丈夫なんだろうけど。
「よし、それじゃあ、オレとグリーフで行ってくる。お前たちはここで待っててくれ」
「え、あ、うん……俺も行こうか?」
と言ってもなんだかんだ心配……というわけではなく、このままではトムのヒステリーが私に向かう可能性がある。肉体的にも精神的にも磨り減った状態でそれは正直辛い。
「……うーん、そうだな。トムも来るか?」
そして、ちらりとトムの方を伺う。トムがすぐさま首を振るので、グリーフは一瞬迷ってから、「ま、そうだよな。疲れているだろうし……ニックも休んでくれ」と言う。
残った面子が、トムに危害を加えることを恐れているのだろうか……実力を示したのはグリーフだけで、トムなんか何もしていないから、トムへのヘイトが減ったわけではないのだから、当然か。
「わかったよ……」
そして、グリーフとブライトは洞窟から飛び出て行った。すぐに二人の後ろ姿も見えなくなったので、見送っているフリをすることもできなくなり、再び気まずい空気に向き直らなくてはいけなくなった。
思えば、トムと二人きり……というわけではないけど、グリーフがいない状況でトムと接する機会があまりなかった上に、これくらい落ち込んでいる人を慰めたこともないので、なんと言えばいいのかもわからない。
せめて慰める意思はあることを示すために、小さな背中を撫でた。




