第四十四話 揺らぐ気持ち。
てっきりトムに聞いたものだと思っていたから黙っていたが、トムはトムで何も反応しないので、仕方なく俺が「……そうだね」と答える。雨音にかき消されるほどの声しか出せなかったのは、疲れが出てしまったのか。
すると、グリーフがガックリと首を垂らす。この一日で十歳は歳をとったようにも見える……大人っぽくなった、という表現の方が正しいか。
「いい加減、機嫌を直してくれよ、ニック。俺だってまさかこんなことになるとは思わなかったんだよ」
まさかトムのでなく私の名が挙がるとは思っていなかった。トムと会話するのを諦めたのかもしれない。
「いや、別に機嫌は悪くないよ。グリーフのせいじゃないしね」と笑顔を作る。しかし、顔の筋肉が固まってしまっているのか、上手に動かない。
この程度の演技ではグリーフは騙せない。グリーフは、私を元気付けるようにポンポン背中を叩く。
「安心してくれ。なんとか、お前だけでも五軍に戻れるように頑張るよ。それこそ、メスガキ先輩に頼んでもな。三軍の権力があれば、四軍に上がりたてのニックを降格させることだってできるはずだ……といっても、なんらかの理由が必要だろうから、ニックのはある程度泥を被ってもらうことになると思うがな」
「ああ、うん……」
やはり、返事がうまくいかない。
もちろん私だって人間だから、これほどうまく事が運ばないと、気分は悪くなる。しかし、それを表に出さずに笑う程度の技術は身につけたはずだ。
それならば、今回は、機嫌が悪い、だけでは済まないと言うことか……当然だ。『勇ましい大群』の五軍で群れの一員として生きることが、私が生まれた意味なのだから。
……今はあまり話したくないな、と、トムの方をみると、トムは三角座りに埋めていた顔をずるりと引き出す。
「……なんで、ボクに隠してたの。あんなに強いってこと」
やっと口を開いたかと思ったら、随分と怒りがこもっている。怒るとしたら策略によってトム隊を五軍に留めようとしたことかと思っていたのだが、そっちだったか。私と違って、トムは昇格を望んでいるのだから、グリーフが実は強かったという展開は喜ばしいもののはずなのだけれど。
グリーフはというと、しばらくの間視線を彷徨わせてから、覚悟を決めたようにトムに向き直った。
「下手に実力を見せて昇格候補に挙げられるのが嫌だったってのもあるが、単純に、全力を出して戦うのってしんどいだろ? それで給料が多少増えたところで、俺の中でのコスパは上がるどころか下がるんだよ」
「結局、グリーフが強いおかげで、昇格することになったけどね」
「……まだ、確定じゃないけどな」
グリーフが気遣うようにこちらを見たので、私は肩を竦めた。そんなとってつけたような慰めで心が癒されるほど、私は楽観的ではない。
「……そのコスパってのも嘘なんでしょ」
「……ん? どういうことだ?」
これは、グリーフの演技が随分下手だった。トムはフッと小馬鹿にしたように笑うと、「メスガキ先輩との会話で察しがつかないくらい、ボクのこと馬鹿だと思ってる?」と言った。
「昇格したくないのって、前のパーティで仲間と死別したからだったんでしょ?」
「…………」
グリーフは、無表情でパチパチと音を立てる焚き火を見つめる。どこか遠い目をしているので、何かを思い出しているのかもしれない。
「……それも含めてコスパの話ってことだよ」
グリーフは、ぽつりと呟いた。
「仲間の死っていうのは、どれだけ金を使おうが、どれだけ酒に溺れようが、どれだけ女を抱こうが、頭の中から消えてくれないもんだ。昇格で得られるメリットと、仲間の死ぬ可能性が高まるってのは、コスパ的に最悪だってことだ」
「……ほんと、くだらない」
トムは、吐き捨てるようにこう言った。
「こんな仕事、仲間の死なんて、ありふれたことでしょ? それを覚悟の上で、冒険者をやるのが、普通じゃん。それが嫌ならやめるべきだったじゃん。なんでやめなかったわけ?」
「っ……そうだな、その……俺にはそんくらいしか能がないし……なんか、ここでやめたら、逃げた感じがしてな。やめられなかった」
「何言ってんの? 逃げてんじゃん、グリーフ。仲間が死んだのは何層? 逃げてんでしょ、そっから」
「…………そうかもな」
「……ボクは、この街で生まれて、『勇ましい大群』の冒険者に憧れてた。何回も入団試験ずっとずっと頑張ってきたの」
ぐすぐす、と鼻をすすり始めるトム。雨に打たれ風邪を引いてしまったのかなとトムの方を見たら、桃色の瞳から、ポロポロと透明な液体が流れ出てくる……泣いているのだ。
「でも、『勇ましい大群』に入って、あっさり五軍に配属されて、すぐにボクには才能がないってわかって、確かにグリーフの言う通り、ボクには五軍が似合ってるのかもって……それでも夢を諦めきれなくて、だから、冒険者としてカッコ悪いってわかってても、見た目を変えたりして……その時に、カイセドに……昇格させてやるって言われたから、ボクは……」
つまり、話の流れから、トムはカイセドと性行為をすることが嫌だったと言うことだろうか。それならば、先ほど私に怒りを見せたのも納得できる。
しかし、思えば、こうやってトムが泣くところを見るのは初めてだ。彼の性格上、そういうところも人に見せて人心掌握をすることがあってもいいはずなので、意外だ。今まで我慢していたのだろうか?
トムはゴシゴシと目を擦ってから、顔をあげ焚き火を眺める。涙腺が決壊したように涙が溢れ出て、瞳に映る炎が歪む。
「グリーフが、ちゃんと頑張ってくれてたら、ボクだって、あんなことせずに済んだのに! ボクがカイセドに抱かれてる時、どんな気持ちだったの!?」
カイセドに身体を売ったのはトムの勝手なのだから、グリーフが責められるいわれはないと思うのだが、グリーフは反論しようとはしない。私が代わりに反論するのも違う気がしたので、黙っておくことにした。
「ボクだって、ほんとはちゃんと冒険者として頑張りたかった!! トム隊でみんなに文句を言われないくらいポイントを稼いで、真っ当に昇格したかった!! グリーフが馬鹿みたいな理由で手加減しなかったら、そう言う」
トムの唾が私の横顔にかかる。まるで私に言われているようだが、少なくとも私は”馬鹿みたいな理由”ではない。私が魔法を使わないのは、彼らのためでもあるのだ。
「それなのに、ボクが身体を売って手に入れた立場を、ボクを守るためとか言って、相談もなしに勝手に捨てて……ふざけんなよ!! ボクのこと馬鹿にしてんのかよ!!」
「……悪い。そんなつもりじゃ、なかった」
無関係な他の隊の人間からすれば、口を挟めるような話ではないのだろう。洞窟内には、パチパチと薪が爆ぜる音と、トムのすすり泣きだけが響いた。
「おい、グリーフ」
沈黙を破ったのは、意外な人物だった。ブライトだ。
「……なんだ?」
ブライトは親指で外を指差し、こう言った。
「ヌネス派のカイル隊とニーナ派のクルゼフスキ隊が来た」




