第三話 希望の光。
あの三姉妹のような、人型の魔物、つまりは魔人か? いや、それならば私が知らないはずがないし、発している魔力の質、量ともにあまりに違う。彼らがダンジョンの最下層に住めば、魔人どもの発する魔力だけで気を失うかもしれない。
そもそもここは第五層で、あの三姉妹は魔女の許可を得て、本来は最下層から出ることを禁じられている……そうか、ここは第五層。
『地上』に住む人間たちが潜ってきても何らおかしくない場所まで、私はたどり着いていたのだ。
……こんなに、いっぱいいたのか。
頬に伝う涙を慌てて拭う。泣いている場合ではない。少しでも長く正確に、この光景を瞼に焼き付けなくては。
脳みそをより美味くするために与えられた本の中では、このダンジョンを登り詰めた先に、『地上』という場所があり、そこには、私と同じ生物である『人間』が、群れを形成し暮らしていると書いてあった。
最初のうちは、ただの夢物語で、そんな世界が現実にあるなど想像もつかなかった……想像、したくもなかった。
ダンジョンの最下層で、私はたった一人の人間であり、あまりにわかりやすい異物。魔物たちからしてみれば、私を群れから排除するのは、ごく自然な成り行きだった。
『お前は、木に実る熟した果実と群れるか? 甘い甘い砂糖菓子と群れるか? こんがり焼けたステーキと群れるか?』
捕食対象を群れに入れる馬鹿はいない。それが奴らの主張だった。
どれだけ長い間一緒に過ごして、時には私から受け入れられようとしても、奴らの私を見る目は変わらない。上質な肉を目の前にする獣のそれだ。
いつしか私は、見たこともない地上の夢に魘されるようになった。そこには私と同じ、たくさんの人間がいて、私を群れの一員として暖かく迎えてくれる。
私はそれが当然かのように振舞っていて、ダンジョンで暮らしてきた日々が悪い夢だったんだと思い出した時、目が醒めるのだ。
あの時の絶望感と言ったら、今すぐ魔女に私を食べるよう懇願しそうになったほどだ。
当然、あの本が魔女の創作である可能性が高く、何なら最下層に運ばれてきたあの肉塊も、本当に人間のものかの証明もない。
私に少しの希望を見せることで、より深い絶望を味合わせるための、あの魔女らしい嘘。この世に“人間”と呼べるものは、私一人しかいないのかもしれない。
それでも、魔女に食われるまで悪夢を見続けるくらいならと、最下層から逃げ出した……一種の自殺だった。
しかし、いた。あんなにいっぱい、人間がいて、あんなに上手に群れを作っている。
ならば、地上には、もっと大きな群れがいるに違いない。あの本に書いてあることは、事実だったんだ。
「……ぁ」
人間の群れのあゆみが、ピタリと止まった。
一体全体、なんであんな見事に動きが揃う?
魔物の群れなんて、多くても二十匹ほどで、統率も取れていないものばかりだ。彼らは…二百はいるぞ。二百? なんだと? とんでもない数だ!
その時、その集団の先頭に立つ人間が、手にもつ杖を掲げる。
すると、列の後方の人間たちが、全く同じタイミングで、杖を掲げた。
一拍遅れて、杖の先に一斉に魔力の球ができあがる。
「……すご、い」
サイクロプスに摘まれているのも忘れて拍手をしそうになった。先ほどまでの、胸が温まるような感動とは違う、背筋が凍るような衝撃だ。
「撃てえええぇぇぇぇぇ!!!」
先頭の男が杖を振ると、数多の魔力の砲撃が、放物線を描きながらめがけて飛んでくる……すごい、けど、駄目だ、あまりに遅い。
それに、一つ一つの大きさは、魔人どもが飼っている虫一匹殺せなさそうなくらい小さい。一つ目にでも当てない限り、サイクロプスに有効打は取れないだろう。
「グオオオオッッッッ!?!?」
しかし、その魔球たちがサイクロプスの胴に当たると、彼は苦痛の声をあげた。
……なるほど、一つ一つは小さくても、それが百もあれば、それなりの威力になるというわけだ。しかし、この程度ではすぐに反撃されてしまう。
「……グオオオオオ!!!」
予想通り、サイクロプスは怒りの雄叫びをあげ、私をつまんでいない方の手を握り、拳を振り上げた。
今度は前列に並んだ人間たちが、斜め上に盾を構える。彼らを覆うほどの大きな盾だが、サイクロプスの重い拳を受けるのは不可能だ。ぺしゃんこにされるに決まっている。
すると、人間たちが、盾に魔力を集め始める。お互いの盾が共鳴し、硬質化した一枚の魔力の壁が現れた。
サイクロプスの拳が、魔力の壁にめり込むと、地面がぐらりと揺れた。ヒビこそ入ったが……壊れない!
「グオオオッッッッ!?!?!?」
砲撃されていないというのに、サイクロプスが悲鳴をあげた……真下だ。
下を見ると、四角形から“コ”の形になった人間の群れが、サイクロプスの腱めがけて、剣に貯めた魔力を斬撃にして放っていた。砲撃ほどの飛距離がない分、その威力は比にならないはずだ。
あの魔女は後先考えずに作ったのだろうが、こんな巨大な生物が二足歩行をすればバランスを保つのも一苦労のはず。これだけ重点的に脚を攻撃されたら、倒れるに決まっている……そうか、だから、まずは脚ではなく上半身を攻撃したのか。
上半身に対する攻撃でサイクロプスを後ずらさせて、重心を後ろに置かせてから脚を攻撃すれば、サイクロプスは仰向け、つまり人間の群れとは逆方向に倒れやすい……いや、うつ伏せに倒れたら起き上がりやすいが、仰向けに倒れたら立ち上がるのが難しくなると言う狙いもあるのか?
「……これ、が、人間、なの、か?」
人間とは、魔物に捕食されるために生まれてくるのだと、ずっと教えられてきた。だからこそ『地上』なんていう楽園も、存在するはずがないと思っていたのだ。
しかし、眼下に広がる光景は、全くの真逆。人間の方がよほど捕食者に見える……。
続けて飛んできた砲撃群が太ももに直撃すると、サイクロプスの身体がぐらりと揺れた……倒れる、倒れるぞ。
一人一人は、サイクロプスより確実に弱いはず。なのに、この人間たちは、サイクロプスを物の見事に圧倒している。
群れの力。このダンジョンで一度も群れたことのない人間の私にとっては、憎むべきもの。
いつだって、その力に苦しめられてきて、その度に、胸が張り裂けそうなほど、自分が孤独であることを自覚した。
しかし、今、私と同じ人間の群れが、一匹の魔物を追い詰めている。
ぞくぞくと、背筋に快感が走った。
これほど痛快なことが、この世界にあったのか!
「うぁっ!?」
サイクロプスがバランスを取ろうと腕を降った拍子に、私は天高く舞っていた。
目の前に迫る偽物の青空なんて、今はどうでもよかった。私は空中で必死に身体をひねって、下を見る。
仰向けに倒れたサイクロプスに、人間たちが群がる。風を切る音の中、サイクロプスの野太い悲鳴と、人間たちの勇猛な雄叫びが重なり合って、心地よく響いた。
「ああ、群れの力だ、群れの力、群れの力!!」
口から出た血が顔に当たり、折れた骨が皮膚の下でガチャガチャと嫌な音を立てるが、私は気にせずに思いきり叫んだ。
魔女の肉として無気力に生きる日々から解放された、記念すべき瞬間なのだ。叫ばなくてはきっと後悔する。
決めた。
私は、あの群れの一員になる。
そして、今まさに眼下で繰り広げられている一方的な蹂躙に、群れの一人として参加する。憎い魔女の子供達を、群れの力で虐め返してやる。
それこそが、魔女の肉として生まれた私が、人間になるために必要なことに違いないんだ!
その確信に、私はもう一度叫んだ。
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