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第二十七話 宣戦布告。

 

 私がトムの部屋をノックしている時から、陰でこちらを伺っていたので、一体いつになったら話しかけてくるのかと思っていたのだが、このタイミングで出てきてくれたことに感謝しなくてはいけない。


 ブライトは、ぐるぐると喉の奥で唸り声をあげながら、犬歯を剥き出しにして私たちを威嚇する。


「……盗み聞きとは感心しないな、ブライト」

「おいおい、勘弁してくれよ。いつまで経っても洗濯場に来ないお前らとサイックス隊を呼びに来たんだろうが……しかし、どうにかできるってのはどう言うことだ? まさか、トムの次はそいつを男娼デビューさせるってのか?」


 ニタリと笑うブライト。何が面白いのかわからなかったが、面白いことを言ってやった顔をしているので、私もとりあえず笑っておいた。するとなぜだか、ブライトの目元がストレスを感じたように痙攣した。


「なるほど、そんだけ余裕ぶってるってことは、どうやらお前もグリーフとおんなじ意見みてぇだな」

「いやいやいや……」


 どうしてそんな受け取り方をしてしまうんだ……魔力を見ても相当気が立っているし、これ以上の会話を続けたところで、逆恨みしかされなさそうだな。


「ブライト、呼びに来てくれてありがとう。それじゃあ俺たちは行くから、退いてもらっていいかな?」

「カイセドのところへ、か? それは、お前のけつ穴のためにも許可できねぇな」


 どうやらどく気はなさそうなので、私の方から避けようと廊下の壁にひっついて通り過ぎようとしたのだが、ブライトは腐った木造の壁が抜けかねないような蹴りで進路を塞いだ。


「聞いたぜ? お前ら、同じカイセド派の連中を犠牲にしてまで昇格するって話をよ。男娼隊から姫プ隊になるとは、えらい出世じゃねぇか。だがよ、我儘ばっか言ってたら、かわいそうな市民たちが革命を志しちまうぜ?」


 ブライトは腰に差した魔剣を、尖った爪で撫でる。反応一つも悪く取られかねないので、無表情を貫いた方がいいだろう。


「実際、洗濯場じゃあ派閥も関係なしでお前らの悪口で持ちきりだ。あれほど四つの派閥がまとまってんの、オレが入団して初めてのことだったぜ」

「えっ!?!?」


 そう思ったのも束の間、私は驚嘆に飛び上がってしまった。私のこの反応をブライトは好意的に取ったようなのでそれは良かったが、穏やかではいられない。


 派閥を飛び越えて纏まっている群れなんて、私にとって理想形でしかない。それがよりによって、私たちを排斥しているときに出来上がってしまうなんて……やはり神は、神の敵(魔女)の肉であった私を許していないのだろうか。


 ブライトは私がショックを受けたことが相当嬉しかったのか、今まで見たことがないような満面の笑みで続ける。


「お前らはオレ達ユルー派を警戒しているみたいだが、五軍でお前たちが昇格することに納得してる連中なんて一人もいないからな? 後ろから刺される、なんてこともあるかもしれねぇぜ?」

「そんなわけ……」


 ない、と言おうとして、先ほどの公衆浴場での出来事を思い出す。彼らから殺意の滲んだ魔力を感じたのは事実だ。


「ま、姫プのお前らは鍛える必要もないだろうし、昇格クエスト前に実家に帰省することをお勧めするぜ。冒険者の才能のねぇ子供の親じゃあ、わざわざ墓参りにダンジョンに潜るなんて芸当できねぇだろうからな」

「…………ご忠告ありがとう」


 実家がダンジョンだ、と言い返しそうにもなったが、ぐっと堪えていると、肩をぐいと引かれる。大きくて角ばったグリーフの手だ。


「ブライト、ユルー派はどんな感じで試験に挑むつもりなんだ。もしよかったら、カイセドがどんな作戦を立ててるか教えてもいいぜ」

「……はっ。教えてもらうまでもなく知ってるし、ひとまずカイセドよりも先にユルー先輩が思いついていた」

「ああ、そうだったのか。だったらお前らブライト隊は、まず間違いなく潜行班に選ばれたんだろうな」

「ああ、当たり前だろ。お前らと違って」

「そうか、それなら俺たちは、昇格枠を争うライバルってわけだ」

「……ああ、そうなるな。はっ、今から楽しみで仕方ねぇぜ。もちろんオレは望んじゃいねぇが、メスガキ先輩がオレたちが争うことを望んじまってるからなぁ」


 ブライトから立ち上る魔力は敵意に満ち満ちており、彼が私たちと争う気満々であることを認めざるを得なかった。しかし、敵意を隠すことが上手い獣人にしてはあまりにわかりやすく、魔力感知能力のないグリーフでも察せるほどだった。


「お前なら知ってることだと思うが、俺たちには全く昇格する気がないんだ。だから、俺たちを見逃してはもらえないか」


 グリーフは、私とブライトの間に割って入ると、深々と頭を下げてこう言った。私も慌ててグリーフの横に並び、同じく頭を下げたのだった。


「……ペッ」


 後頭部に生温い感覚。手で触るとヌルヌルしているので、どうやら唾をかけられたようだ。肉として生きてきた経験か、消化を助ける唾液に対してはどうしても不快感があったので、これ以上かけられたはたまらないと顔を上げると、ブライトが私を獣の目で睨めつけた。


「お前らに信用なんてもんが残ってると思ってるその甘ったれた脳みそに吐き気を催しちまったんだから、ゲロを吐かれなかっただけ感謝しねぇといけないところだぜ?」

「おいおい、俺のビビリっぷりはお前らもよく知ってるだろ? 俺がより強い魔物と戦わなくちゃならない四軍に上がりたがってると思うか?」

「それじゃあなんで、トム隊を辞めなかった? 昇格したくないなら辞めればよかっただろう」


 どうやらグリーフの宣言もすでに他派閥に回っているらしい。ほら見たことか、とグリーフを睨みつけたが、グリーフは素知らぬ顔で頭を下げ続けている。


「そりゃ、お前の言う通り、トムが後ろから刺される可能性があるからな。タンカーとして守らなくちゃならないあ」

「はっ、早速矛盾してんな。お前は臆病なんだろ? なんで命を張ってトムを守る? トムの尺八はそんなに良いもんなのか? えぇ?」

「……俺たちが信用ならないなら、昇格クエストの間、お前らユルー派に俺たちの身柄を……」


 いい案だと思ったのだが、なぜだかグリーフは口を噤んでしまう。代わりにブライトが大きな口をひん曲げて笑った。


「なんだ、自分たちのことを信用して欲しいって言っておきながら、オレたちのことは信用してくんねぇんだな。ったく、お姫様ってのは羨ましいぜ。オレも人生で一度くらい、そんな自己中心的な思考に溺れてみてぇもんだよ」

「……悪かったよ」


 グリーフはそういうと、顔をあげた。妙にスッキリとした顔をしていて、なんだか嫌な予感がした。


「それじゃあ、せめてこれだけ約束してくれないか?」

「……話のわかんねぇやつだな。お前らに約束なんて高級すぎんだよ」

「まあまあ、そう怒るなよ……約束して欲しいのは、他の隊が離脱して孤立したトム隊を、後ろから刺すなんて卑怯な真似はしないでくれよってことだ」

「……あ?」

「『命の記録帳(モダン・エイジ)』もないんだから、事故を装う必要もないだろ? 一階層のフィールド33”舞踏場”なんかどうだ? そこで正々堂々、お前らユルー派の上位五隊と俺たち上位五隊で勝負して、負けた方が勝った方の言うことを聞くってのはどうだ? それこそ、ユルー派のやり方で、ユルー先輩がユルー派の派閥長でいられるのもそう言う決闘があってこそなんだろ? まさか断らないよな?」


 ブライトの犬面が驚愕に歪む。きっと私も同じような顔をしていることだろう。


「……驚いたな。オレもちょうど、その提案をしようと思ってたところだったんだよ」

「へぇ、そうか。そりゃよかったよ」

「ああ、そうだな……まさか、命だけは助けてください、なんて言わねぇよな?」

「……もちろん」


 ブライトの魔力が廊下に立ち上る。この場で殺されてもおかしくないと、ゴクリと生唾を呑んだ。


「ああそうか!! それじゃあ言っとくが、吐いた言葉、飲み込むなよ!!」


 ブライトは耳の先まで真っ赤にすると、四足歩行になりかねないくらいの前傾姿勢で去って行った。

 私はしばらくの間、呆然と彼の残像を見つめてから、おそるおそるグリーフの顔を覗き込んだ。グリーフは小さくため息を漏らす。


「余計なことを言ったな」


 ……良かった。少なくとも気は狂っていないようだ。しかし、狂う寸前なのは間違い無いので、予断は許されない。


「グリーフ、確かに余計なことを言ったね。仲間同士で争うことを約束するなんて常軌を逸してる。何、何か悩みあるの? どしたん話聞こか? 聞かせろ」

「ああ、いや、そっちじゃなくてだな……まぁいい。あいつはあれで、戦士としてのプライドを持ってるやつだ。これで、たとえユルー先輩に命令されても、俺たち潜行隊をユルー派全員で囲んで問答無用ってことはなくなったはずだ」

「それはそうかもだけど……あ、なるほど、わざと負けて命乞いするってことだね。そしたらさすがにあいつらも」


 ならば策士だと思ったが、グリーフは首を振る。


「俺はともかく、お前の演技力じゃ騙せない。何より命乞いしたところであいつが許すとも思えないがな。俺ですら目に見えた殺気だったぞ」

「……魔力は、そんなこと、なかったけどねぇ〜」

「ほら、その演技だ。むしろ挑発してんのかって疑われるぞ」

「……それじゃあどうするつもり……まさか、本当に俺を頼りにしてるわけじゃないよね? あ、もういい、何も言わないで。聞きたくない」

「話聞いてくれるんじゃなかったのかよ……まぁまぁ、安心しろって。作戦があるんだ。ほら、行こうぜ」


 しかし、私が問い詰める前にグリーフは歩き出したので、抑えきれない感情を地団駄を踏むことで発散しようとしたが、とてもじゃないが収まりがきかない。グリーフの背中を蹴るため駆け出すと、彼が玄関への角を曲がらずまっすぐに直進したので、すんでで背中を叩く。

 

「って、洗濯場に向かうんじゃないの?」

「ああ、違う。サイックスの部屋だ」

「……サイックス?」


 なんでここでサイックス? と質問する前にグリーフが歩き出したので、今度はおとなしくその背中を追いかけることにした。



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