第868話
三浦酒天では、次々にマサヒデに客が話しかけてきた。
マサヒデは途中でうんざりしてきて「頼みます」と言い残し、魔術師協会に帰って行ってしまった。
シズクがばりばり天ぷらをかじりながら、
「立ち会いのたんびにこれだもんなー。マサちゃんも大変だよね」
「ですね。ご主人様も苦労なされます」
「でもでも、マサヒデ様の名が知れるのは良い事だと思います!
もう世界中のアイドルですよ!」
「陛下とも手紙やりとりしてるしね。
もう王宮でも有名なんじゃないの」
え、と油揚げを摘んだ小赤が顔を上げた。
「トミヤス様って、陛下と手紙をやりとりしてるの?」
「そだよ。まあやりとりっていうか、マサちゃんが出してるだけだけどさ」
「何の手紙? 歌?」
「マサちゃんは歌なんて知らないよ。日記みたいなもんなんだって。
陛下はさ、ほとんど王宮から出れないでしょ。
でも、国王って政のトップでしょ」
「そうね」
「政するなら、平民の暮らしってのをしっかり知りたいんだとさ。
知らないのに、政なんて出来ないだろって」
「確かにそうね」
「ふふーん。さっきの浪人とか、あんたの事も書かれると思うよ」
「私も?」
「多分ね」
「・・・」
小赤は油揚げを箸で摘んだまま、黙り込んでしまった。
クレールが心配そうに小赤を見て、
「あの、どうしたんですか? 書かれたくはないのですか?」
「ええ。書かれたくないわ」
「どうしてですか? 陛下に名が知れるチャンスですけど」
「お金持ちの人って、すぐ太夫を身請けするって聞いたわ。
国王陛下って、お金持ちでしょう。
私、ここの誰かに身請けしてほしいの」
「・・・」
「そうしたら、皆に抱いてもらう事が出来るから」
「そ、そうですか・・・あの、考えておきます」
「考えておいて。勤め終わりまで、あと20年しかないの」
シズクが呆れた顔で、
「あのさ、ちょっと聞いてもいいかな」
「私で分かるかしら」
「身請けって、いくらくらいするのさ」
「体重を計らないと分からないわ」
「体重?」
「私の体重と同じ分の金貨がいるの」
「まじかよ・・・」
「お金、貯めておいてくれる?」
「まあ、うん・・・考えとく・・・」
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魔術師協会。
マサヒデは居間で大の字に寝転がっていた。
横にマツが座って、団扇でマサヒデを仰いでいる。
「大変でした。本当に」
「そんなにお強い方でしたか」
「すごく」
「ふふ。またマサヒデ様の名が知れ渡ってしまいましたね」
「ええ。面倒です」
「私は鼻が高くなります」
「私は嫌です」
「うふふ。小赤さんも見てて驚いたのではありませんか?」
「と、思います。小赤さんって、何かふわふわしてるというか」
「そうですね。お店とは随分と印象が違いましたね」
「そうだ。聞いて下さいよ」
「はい」
「小赤さん、身請けして下さいって言うんです」
「まあ! マサヒデ様の雄姿を見て惚れ込んでしまいました?」
「それが違うんです。私達に抱かれたいって言うんです」
「私達?」
「私だけでなく、クレールさん、カオルさん、シズクさん」
「・・・」
「マツさんとイザベルさんも入ってますよ」
「小赤さん、そういう・・・」
「ではないと思いますけど。マツさん、頼みました」
「私にそういう趣味はございませんよ」
「遊び相手に置いておくだけで良いじゃありませんか。
でも、また歌で喧嘩はしないで下さいよ」
「うふふ。遊び相手ですか。高い遊び相手ですこと」
「参考までに聞きますけど、身請けってどのくらいかかるんです?」
「あら。身請けなさいますか?」
「私が払える金額なら、身請けしてここに置いても良いでしょう。
マツさん、クレールさんと茶でも楽しんで」
「マサヒデ様では無理です」
「いくらですか?」
「小赤さんだと、多分、金貨で5万枚くらいでは?」
「はあっ!?」
「うふふ。もう少し安いかもしれませんけど」
「300人組手、何回やったら良いんでしょう」
「17回でお釣りが出ます」
「身体が持ちませんよ・・・水、もらえますか」
「はい」
マサヒデが身を起こして、コップを取る。
横の小皿の塩を舐めて、水を飲む。
「なぜ塩を舐めるんですか?」
「知りません。血が出た時はこうすると良いらしいですよ。
喉が乾くんですけど、水を飲むだけだと血が薄くなっていけないとか」
「へえ・・・」
「ほら、血ってしょっぱいですよね」
「あ、確かに。それで塩が必要なんですね」
「らしいですよ。本当は注射みたいなもので入れるそうですが」
「直接血管に入れるんですか? 死んでしまいそうですけど」
「薄ーい塩水だと、大丈夫なんですって。
でも、人族のやり方ですからね。
マツさんもこれでいけるかは分からないですけど」
「どうでしょうか・・・」
「包丁で指を切ったら試してみます?」
「今までそんな事はしませんでしたけど」
マサヒデがごろりと寝転がる。
「今日の夕餉は肉にしましょう」
「あら。珍しい」
「血は肉で出来るんです。野菜から血は出来ないんですよ」
「それは分かる気がします。
野菜で血が出来たら、緑色になりそうですもの」
「ははは! 西瓜でも食べますか! あれなら赤いですよ」
「ふふ。塩をかけまして」
「あ、丁度良いですね。水っぽいですし。
でも、もう売ってませんよね」
「そうですね。もう季節は過ぎました」
マサヒデが庭に目を向ける。
「少し、涼しくなってきましたね」
「はい。過ごしやすくなってきました」
ちりーん・・・
風鈴の音を聞いて、ふ、と息をつく。
魔の国で、義理の父が待っている・・・
マツが寂しくないよう、イザベルはここに残しておこうか。
タマゴは・・・
当然、魔王様も、孫を見たいだろう。
しかし、連れて行くとなれば、マツと離れ離れ。
どうしたら良いだろうか・・・
「どうなさいました?」
マツがマサヒデの顔を覗き込む。
そろそろ出て行きたい、とは言えない。
生きて戻りはするつもりだが、いつ死ぬか分からない。
ついさっきもぎりぎりの所だった。
死体で戻っては・・・
マサヒデは庭を向いたまま、
「村の方、今年の米はどうかなあって・・・
刈り取りの手伝いすると、身体が痒くなるんです」
「痒くなるんですか?」
「それはもう。細かい藁が服の中に入って、ちくちくします。
家に帰って服を脱ぐと、身体が真っ赤になってるんですよ。
ばしゃばしゃ水を浴びても、痒くて痒くて。寝る前とか大変なんです」
「お米の刈り取りって、大変なんですね」
「そうですとも」




