第861話
薄暗い部屋で、マサヒデとしだれ屋主人、ジョージが向かい合う。
ジョージの話とは何だろうか。
「小赤をしばらく預かって頂きたいのです。数日で結構です」
「何故」
「たちの悪い輩が小赤に目をつけておりましてな。
数日あれば解決出来ますが、その間だけ」
「その輩とは」
「歓楽街常駐隠密同心、チョウベエ=サカムラ」
「同心が何故」
「ゆすりです。金を払わねば小赤を寄越せと」
「ほう。ゆすり」
「正確に言えば、小赤より金に目をつけているのですが」
「払わないのですね」
「はい。ここではゆすりはままあることです。
時に金で済ます事もありますが、此度は少々額が。
が、あの男の言行、行動の記録はここに全て」
ジョージが引き出しを開けて、分厚い紙束を出す。
「奉行所に提出致しますが、吟味してからの逮捕となります。
何分、物の証はございません。数日かかるかと」
「ふむ」
マサヒデが腕を組んで考える。
奉行所にこれが提出されたとなれば、そのサカムラなる隠密同心はどうする。
「それを提出したところで、即逮捕にはならないのですね」
「はい」
「気付かれれば、そのサカムラ、姿をくらましませんか」
「かもしれませぬが、表に出てくることはなくなります。
この町にはもう来なくなりましょう」
「ううむ。隠密同心ですか」
「何か気になりますか」
「隠密同心って、下っ引きの方のように町人に紛れてたりするんですよね。
変装とかしてたりして、普通に仕事とかしてたりして」
「はい」
「普通の同心と違うのは、自分の判断での殺しが許されている」
「はい」
故に小赤を預けたい。
ジョージも顔を知られていないから安全・・・と考えているのか。
「少し甘いと思います」
「と、おっしゃいますと、手落ちがございますか」
「捕まるまで数日間。気付かれたら危険ではありませんか。
それだけの証があれば、牢屋行きは確定です。
やけになって刀を振り回す事はありませんか。
この店の中でそのような事があったら」
「確かにその通りです。ですが、他に手もありませぬ」
「隠密頭は」
隠密頭とは、隠密同心の頭である。
隠密同心がその権力を持って不正を働いたりせぬよう、この隠密頭が見張る。
が、今回は目が届いていないようだ。
「我らの手を持ってしても分かりません。
故に、この書類の提出しか手がありませぬ」
「我らの手。そのあなた方の手とは」
「私には非人頭を任せられております」
「なるほど」
非人頭は、いわゆる平民以下の者の管理を任される役だ。
この国では、芸人、遊女、行脚僧、修験者などがこれにあたる。
彼らに宿を用意したり、滞在する土地を貸したりする。
また、彼らの為に無料の病院などを設置したりもする。
歓楽街の奥には小見世や切見世の遊女がいるので、それを任されているのだ。
そのような者達から大量の情報が入ってくるのが、非人頭である。
その情報網は非常に広く、非常に早い。
それをもってしても、隠密頭は不明であるという。
「ふうむ・・・」
マサヒデが腕を組んで、左右に首を傾けて考える。
「その隠密同心は、顔も住処も分かっているわけですね」
「トミヤス様。出来得れば、血は」
「勿論です。乗り込んで斬るなどという事はしませんよ。
そうですね・・・うん、多分、明日には解決出来ると思います。
ちょっと確認してきて良いですか」
「明日ですか」
「多分です。すぐに戻りますから、少し待っていてもらえますか。
こういう事に強い方がいるので、使いを出してきます。
ちょっと奉行所には伝手もありますし」
「伝手と言いますと、ハチ様ですか? ここの担当ではございませんが」
「さすが、よくご存知ですね。今回はハチさんではありませんが、まあこれは内緒ということで」
カオルに解決させるつもりだが、それは知られたくないので、何となく奉行所の方だと匂わせておく。
「はい。強いて聞きは致しませぬ」
「では、少しお待ち下さい」
障子を開けて、マサヒデは外に出て行った。
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マサヒデが外に出て少し歩くと、つん、と袖が引かれた。
「素敵なお兄さん!」
女がしなだれかかってくる。
「カオルさん。聞いてましたよね」
女はにこにこしながら、
「お任せ下さい」
「必要な物は」
「男の人相と住処、あの書類」
「分かりました」
マサヒデが女を軽く振り払うと、
「もう! いけず!」
「すみません。またの機会に」
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しだれ屋に戻り、奥に入って行く。
ジョージの部屋の前で、
「いやあ、すみません、うっかりしていました」
「どうなさいました」
静かに障子を開け、ジョージの前に座る。
「その隠密同心の人相と、住んでいる所を教えて下さい。
でないと、頼むにも頼めないですよね」
「おお、ははは。確かにそうですな」
「あと、出来ればその書類を貸して頂けますか。
早ければ明日の朝には終わっていると思います」
「朝でございますか?」
「はい。仕事は早い方ですし、正義感もある人です。
どんなに遅くとも夕方という所でしょうか。
まあ、念の為に明日1日は警戒しておいて下さい。
ここって、用心棒さんもいますよね」
「おります」
「では、人相書き、お願いします」
「はい」
さらさらとジョージが筆を走らせ、顔を書き、下に住所を書く。
はたはたと紙を揺らし、マサヒデに差し出し、マサヒデが受け取る。
丸顔の優しそうな人相で、とてもゆすりを働く男には見えない。
「へえ。全然ゆすりなんかしそうな方には見えませんね」
「はい。長屋では人の良い方だと言われておるそうで」
「それはたちの悪い方ですね」
「こちらを」
紙束を受け取って、懐に入れる。
人相書きも折り曲げて入れ、
「後は任せて下さい」
「本来であれば、このような事は廓内で全て解決せねばならぬのですが」
「構いませんよ。今夜の奢りの代金分にもなりません。
それで、小赤さんはどうします?
ここに居ても平気だと思いますが」
「小赤は・・・」
ジョージは少し考えて、
「念の為、明日1日、預かって頂けませんでしょうか。
小赤は当店の宝なのです」
「分かりました。では、帰る時に一緒に連れて行きますが、良いですか」
「結構です。小赤はこの色町しか知りません。
ご迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いします」
「任せて下さい。ところで、ひとつ聞いても良いですか?」
「はい」
「その男、いくら要求してきたんです」
「金300枚」
「そんなに!? それは凄い額を・・・」
ジョージは小さく頷いて、
「この歓楽街は、多い時は一晩に金1000枚の売上が出ます」
「ええっ!?」
「ですが、出て行く分もまた多い。
当店も手元に残るのは金貨数枚です。
時には金貨1枚に届かぬ日もございます」
「ううむ」
「日に金貨数枚。これも凄い額に聞こえましょう。
ですが、同心や隠密共の小遣いせびりと多額の税金で、これらも消えます。
自分で自分の店を言うのも何ですが、禿達の飯など酷いものです。
商売柄、見栄は張れども、財布はいつも軽いものです。
身請けがあれば大きく金は入りますが、借金を返していけば1割も」
「そうでしたか」
マサヒデはこれを聞いて、急に申し訳ない気分になってきた。
今夜の宴で、一体いくら飛んで行ってしまったのだろう。
「すみません。今日は奢ってくれて、本当にありがとうございます」
「構いませぬ。こうしてトミヤス様とお知り合いになれました。
こうして顔を合わせて喋る事が出来ました。
この一時は、1000金以上の価値がございます」
「私にそんな価値がありますかね」
ジョージが笑って、
「ございますとも。ゆすりの件を快く受けて頂き、小赤を預かって頂き」
「また来ます」
「ありがとうございます」
「次は、弁当をたくさん買ってきます。禿の子達に配って下さい。
高之さんと三芳さんにしかあげてないですから」
じわ、とジョージの目に涙が浮かんだ。
「禿というのは、どういう者かご存知で」
「才を認められた子供だと聞きましたが」
「うちでは、飢饉などの食えない村から買ってきます。人買いです。
認められてはおりますが、嫌なものです」
「・・・」
「酷いとはいえ3食があり、屋根があり、寝床があり、勉強まで出来る。
そのような村から買われた子供には、天国にも思えるでしょう。
されどもあの子らは」
ジョージの目から涙がつっと落ちた。
マサヒデはいたたまれなくなって、
「分かりました。結構です」
「はい」
「また、弁当を土産に遊びに来ます」
「ありがとうございます」
「それでは」
ジョージが涙を流しながら頭を下げた。




