第755話
職人街、ホルニ工房。
がらっ! と勢い良く店の扉が開く。
「失礼致す!」
「はいっ!?」
「ふはあ・・・」
挨拶までは元気が良かったが、変な声を上げてイザベルが力なく扉を閉める。
「イザベル様、大丈夫ですか?」
ラディの母が立ち上がって、イザベルに肩を貸してカウンターの前の椅子に座らせる。
「さ、こちらにお座りになって」
「ううむ・・・やられた。申し訳もございませぬ」
「今、お水を持ってきますからね。そのまま」
「ありがたく」
ふう、と息を吐いて項垂れていると、すぐにラディの母が戻って来て、水が入ったコップを差し出し、
「さ、お水ですよ。ゆっくりと」
「助かります」
コップを受け取って、くぴり、くぴり、と少しずつ口に入れ、
「はあっ!」
と、大きく息をつき、背もたれにもたれ掛かる。
「いや、本日は失敗致しました。一気に駆け抜けて来れば、臭いにやられる前に行けるかと」
「あらあら」
「情けないことに、息をついた瞬間、目が眩むかと思いました」
「うふふ。少しずつ、慣れていくしかありませんよ」
「むむむ・・・」
扉を隔てた向こうの仕事場から、鉄を叩く音。
「ラディ殿は、そちらに?」
「いえ。今日は部屋におりますよ。
鉄砲をいじっているか、魔術を練習しているか」
「鉄砲? ラディ殿は、銃をお使いに?」
「はい。トミヤス様から買って頂いて」
「マサヒデ様が? 一体、何を?」
「何て言ったかしら・・・長物で・・・何式とか。
イザベル様は、鉄砲にもご興味が?」
「私も軍で訓練をさせられましたゆえ、少し。
魔の国では、鉄砲は非常に厳しく制限され、一般には数が少ないのです」
「あら、そうなんですか?」
「まあ、国と国との力の均衡を考えれば、当然かと思います。
魔の国で民間に鉄砲が流通してしまいますと、人族には脅威も過ぎます。
まあ、パワーバランスと言うものでしょうか。
それでも差がありすぎますが」
「魔術があるではありませんか」
「奥方、鉄砲の真の恐ろしさは、威力ではありませぬ。
長物ですと、達者では20町(2km超)先でも当てます。
どんな魔術師でも、遠く見えぬ相手に撃たれては敵いますまい」
「まあ! 鉄砲って、そんなに飛ぶんですか!」
イザベルが頷き、
「長物では、その距離でもシズク殿に突き刺さります。
余程に厚くなければ、金属鎧にも穴を空けますゆえ」
「そうだったんですか・・・長物の鉄砲って、そんなに」
「私もそれなりに弓は引けますが、長鉄砲には全く敵いませぬ」
「へえ・・・興味で聞くんですけど、イザベル様のお力ですと、どのくらいの弓が引けるんです?」
「30貫です」
「さんっ・・・」
ラディの母が驚いて絶句したが、イザベルは軽く首を振って、
「確かに鎧は貫けますが、20町などとても飛びませぬ。
弓では飛んでも4町(400m強)が良い所。それ以上はとてもとても」
「4町? 30貫もあって、それしか飛ばないんですか?」
イザベルは頷いて、弓を引くように腕を構え、
「はい。しかも、矢は1本1本細かな曲がりや、羽の違いもあります。
4町『飛ぶ』というだけで、狙って当てる事は無理です。
達人と呼ばれる者でも、狙って当てるのは1町少しが限界かと」
構えを解いて、指先を出し、
「されど、鉄砲は20町も先を狙え、鎧も貫く。
鉄砲がいかに怖ろしいか、お分かりでしょうか。
もし人の国と魔の国の戦争時代、鉄砲があったら・・・
20町先に、鉄砲を持った兵が並んでいたら・・・」
「ううん・・・」
「そういう訳で、魔の国では鉄砲は厳しく制限されまして。基本的に鉄砲を持てるのは軍の一部のエリート部隊と、危険地域での活動をする部隊のみとなっております」
「へえ! エリートですか!」
「はい。ラディ殿はそのような得物を持っておりますわけで」
「それでご興味が」
「はい」
ラディの母がにっこり笑って、
「お待ち下さい。ラディを見てきます」
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ずらりと並んだ刀剣類の本。
微かな油の臭い。
机の上には、バラされた鉄砲と砂時計。
机の横には、黒く汚れたボロ布とドライバー、油の小瓶。
「おはようございます」
「うむ。おはよう」
着流しのラディがイザベルに頭を下げる。
「私の鉄砲を見たいとか」
「うむ」
「今、鉄砲の練習をしております」
「ここでか?」
「ギルドのマツモトさんから教えを頂きました。
鉄砲を扱うには、まずバラして組み上げて、をひたすら繰り返すのです」
「おや。撃つのではないのか」
「はい」
「ほうほう。そういう稽古をしていたのか。我もやらされたな。
マツモト殿の教えか・・・ふうむ、流石であるな。
ところでこれは八十三式ではないか?」
「はい。キジロウ=ミナミ作、八十三式」
「ふむ」
「マツモトさんが言うには、一昔前に一世を風靡した名作だそうです」
「だな。で、これはどのくらい飛ぶのかな?」
「マツモトさんは、現役の時なら500間(約900m)は当てられたとか」
「ううむ! 500間! 8町と半か」
「上手い方ですと、倍でも」
「やはりか・・・流石は八十三式よの。恐るべし」
くす、とラディが笑って、
「そうそう当てられるものではありません。
私は、止まった的で50間も無理です」
「50間で当てられれば、十分に怖ろしいぞ。
弓で狙って当てられる限界が1町、つまり60間くらいだ。
達人の弓でその程度なのだ。
この八十三式であれば、その距離であれば、鉄鎧など楽に貫くであろう」
「と、思います」
「で、稽古の最中であったのだろう。組み上げてもらえるか」
「はい」
とん! とラディが砂時計をひっくり返し、さささ! と組み上げていく。
砂が落ちきって少ししてから、最後のフロントバンドをはめる。
かしゃ! かしゃ! とボルトを引いて前に押し込み、机に置く。
砂時計を見て、ふう、とラディがため息をつき、
「中々5分を切れません」
言いながら八十三式を取ってイザベルに差し出す。
「どうぞ。弾は入っておりませんので」
「驚いたぞ。中々手早く組み上げられるものだな」
受け取ってまた驚く。
「おお!? 意外と軽いな!」
「木の部分が多いからでしょう」
「なるほどな」
「分解してみて良く分かったのですが、この木が驚くほど軽いのです」
「しっかりと乾燥させ、固くしてあるわけだ」
こんこん、と指で叩き、
「良い木だな。職人のこだわりを感じる。うむ、前後の釣り合いも良い」
「はい」
「これを上げて、引く」
イザベルがボルトを引く。
「おお! 動きが軽いな!」
「これも八十三式の良い所だそうです」
「うむ。弓を引いて狙うより遥かに楽だ。素晴らしい。
引いたまま動くのも疲れるしな・・・
ううむ・・・我はクロスボウに鞍替えするかな?」
「ふふ」
「良い物を見せてもらった。感謝する」
イザベルはラディに八十三式を返し、
「ところで、ラディ」
「何か」
イザベルが部屋を見渡す。
ずらりと並んだ刀剣類の本。
微かな油の臭い。
「お前は我を友と言ってくれた者ゆえ、はっきり言うが」
「はい」
「お前の部屋には、女っ気が一切ないな」
「・・・」