第751話
翌朝。
マサヒデとカオルが庭で素振りをしていると、イザベルが庭に入って来た。
「おはようございます!」
イザベルの元気な声。
明るい顔を見ると、また良い馬を連れて来たのだろう。
牧場には、燦然と輝く馬が増えているはずだ。
「お疲れ様です。良い馬を捕まえて来ましたか」
「は!」
マサヒデがにっこり笑って頷き、
「朝餉はここで食べて、朝は休んで行きなさい。
あ、そうだ! 昨日、凄い武術家と会えたんですよ」
「凄い武術家ですか」
「はい。多分、イザベルさんは聞いたこともない流派だと思います。
レイシクランの皆さんも良く知らなかったようですし。
私も実際に会うまでは、ただの噂やおとぎ話だと思っていました」
「して、それはいかなる流派でしょうか」
「お・・・」
マサヒデが言葉に詰まってしまった。
王流というのは、軽々しく表に出してはいけない。
「ええと、すみません。流派の名は出せません。
かなりその、何と言うか・・・」
カオルが引き継いで、
「イザベル様、この国で固く秘密とされている流派なのです。
近く、別の名でその一部、見せても良い所だけを教える道場を開かれると」
「秘密にですか?」
「引き継がれている家は、この国で最重要級の監視と護衛付きです。
今までは、その技を見た者は、これでした」
カオルが首の前で手刀を振る。
「・・・」
「そのうち、見せても良いと許可を取られたものを、昨日見せて頂いたのです」
「それほどの技術を」
「はい。私もご主人様も、身を以て体験させて頂きました」
マサヒデがカオルの方を向いて、
「あれ、出来ますかね? 術理も丁寧に説明してくれましたけど」
「ううん・・・」
すっとマサヒデがカオルの胸に手を置く。
「ご主人様!?」
「あ、あっ! すみません!」
驚いて、びく! とマサヒデが手を引いて、カオルが身を引く。
「いや! いや! 違うんですよ! そのようなつもりは!」
は! として居間の方を見る。
マツは居ない・・・
ほ、と胸を撫で下ろし、
「良かった」
カオルがにやっと口の端を上げて、
「良かったとは何ですか? ご主人様、何が良かったのでしょう」
「ち、違いますよ! あの、肩まで撫でていって倒す投げですよ!」
「ふふ。分かっております。私が」
す、とカオルがマサヒデの胸に手を当てて、
「イザベル様、私に出来るかどうか・・・このようにすっと胸から肩まで」
すすす、とカオルがマサヒデの肩まで手を滑らせていく。
「ううん・・・」
カオルが首を傾げる。
マサヒデがカオルの手を指差して、
「たったこれだけで、抗う事も出来ず、後ろに倒されてしまったんですよ。
こうやって、すうっと撫でていくだけ。
全く力が入っていなかったんです」
「それだけでですか・・・面妖な」
「魔術とかではないです。身体の反射とか反応を使った、非常に繊細で、そして怖ろしい技術です。自然な反応ですから、もう避けようがないんですよ。合気と違って、極めたりとか、力を流したりといった感じもしないんです」
カオルが頷いて、
「体得には時間がかかりましょう。
これは体術ですが、剣にも使えそうな技もありました」
「すぐ出来るって言ってましたけど、掴むまで難しそうですね」
「はい」
「ですが、あの丹田崩しは是非とも使いたいと思います」
「ああ。出来れば、1対1だとかなり有利になりますよね」
「はい」
イザベルが小さく手を挙げて、
「カオル殿。丹田崩しとは?」
「ああ。イザベルさん、丹田は分かりますよね」
「はい。下腹の」
カオルが胸の間に指を置いて、
「丹田は上にも2つあります。この胸の辺りが中丹田。頭が上丹田。
下腹は下丹田とか、臍下丹田と言います」
「3つですか」
「私は、アマツカサ先生といいますが、アマツカサ先生と立ち会った際、向き合っただけでここの中丹田が上がってしまいました。そうなると、指で軽く押されただけで倒れてしまいますし、まともに撃ち込みも出来ません」
「向き合っただけですか?」
「はい。触られてもいないのに、崩されてしまったのです」
「なんと!?」
「門弟の方には、下丹田を崩しておりました。
しっかり踏ん張っておられましたが、軽く押しただけでぐらりと」
「ううむ・・・恐るべき技術。秘密にされるのも分かります」
「ええ。ですけど、使えたら良いですよね」
「はい」
「練習して、出来るようになったらイザベルさんにも教えますよ。
さ、カオルさん。そろそろ朝餉にしましょうか。
朝稽古が終わったら、新しい馬を見せてもらいましょう」
「は」
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朝餉を済ませて、ギルドの訓練場へ朝稽古に向かうと、受付嬢の元気な声。
「トミヤス様、おはようございます!」
「おはようございます」
「昨晩、ファッテンベルク冒険者ギルドから通信が届きましたよ」
「ああ、来ましたか」
「連絡内容はこちらに」
と、受付嬢が封を差し出した。
受け取って封を開け、中の文を取り出す。
読みながら、マサヒデの顔が渋くなっていく。
「あちゃあ・・・」
マサヒデが苦い顔で額に手を当てる。
カオルが後ろから、
「どうなさいました」
「ううむ。イザベルさんのお父上からです。
朝から向こうの通信機の前で待ってます、ですって・・・
いや、参りました。偉い人を待たせて、怒られませんかね」
「大丈夫でしょう。イザベル様をお呼び致しますか」
「お願いします」
「は」
カオルが振り返って、早足で魔術師協会に戻って行く。
「参ったな。通信機で待ってる人、見ました?」
「いえ」
「ううむ・・・怖そうな方でないと助かりますけど・・・
知ってますよね。イザベルさんのお父上、軍の大将なんです」
「はい! たしか、騎馬隊・・・何とか隊の大将とか! 凄いですよね!」
「ああ・・・やっぱり、怖い方でしょうね」
「かもしれませんね・・・
あ、でも、すごくダンディな渋いおじさまとか、そんなイメージがあります!」
「そっちであれば良いのですが」
喋っていると、ばたばたとイザベルが駆け入って来た。
「マサヒデ様! 急ぎの用とは!」
「イザベルさん。今、お父上が通信機の前で待っています。
お父上が用があるのは私ですが、せっかくの機会です。あなたも来なさい」
「は!」
「ところで、お父上って、怖い方ですか?」
イザベルは首を傾げて、
「まあ、少しはそういう所もありますが。
それなりと言いますか。まあ、一般的な感じではありませんか?」
うわあ、と受付嬢が口に手を当てる。
イザベルが言う『それなり』だ。
どんな男か想像もつかない。
「カゲミツ様ほどではございませぬゆえ」
「ううむ・・・では、カオルさん」
「は」
「私は朝稽古には少し遅れてしまいますので、お願いします」
カオルがにやっと笑って、
「は。ご武運を」
「やめて下さいよ」
「これも主の役目でございます」
マサヒデは「ああ」と小さく声を出しながら両手で顔を拭って、
「ふう・・・ではイザベルさん。行きますよ」
「は!」
マサヒデとイザベルが奥に歩いて行く。
カオルは2人を見送りながら小さく笑って、
「まだまだ」
と、ぽつんと呟き、訓練場に向かった。