第744話
冒険者ギルド、訓練場。
マサヒデとカオルが冒険者と1対1で撃ち合っている間、男は「おお」と声を上げて驚いたり、頷いたり、拍手を上げたりして楽しんでいる様子で、次の相手は、と聞いた時も、手は挙げなかった。
昼近くになり、全員がマサヒデとカオルと立ち会い、最後に男が残る。
「次の方は、もう居ませんか」
マサヒデが声を掛けると、誰も手を挙げない。
ちらっと男に目を向けると、男と目が合った。
男は微笑んで、小さく首を横に振る。
「では、本日の稽古はここまでとします。
皆さん、普段の稽古の成果は出せたでしょうか。
多分、私達に言われた以外にも、自分で課題が見つかったと思います。
次からそこを意識して、分からなければ私達に聞いて下さい」
「「「はい!」」」
「それでは、お疲れ様でした」
「「「ありがとうございました!」」」
冒険者達が立ち上がり、男も軽く一礼して、一緒に出て行く。
マサヒデとカオルが男を見送りながら、
「ご主人様。何者でしょう」
「さあ・・・只者ではない事は確かですが」
「敵意や殺気は一切感じられませんでした」
マサヒデが軽く首を傾げて、
「分かりませんよ。そういうの無しに、何て言うかこう・・・何の気配もなく普通にやってくる方って、ある程度の鍛錬をした方だと、居ますからね」
カオルが目を細め、
「厄介の元となりましょうか・・・つけますか」
む、とマサヒデが腕を組む。
正体が一切分からない。
カオルに調べてもらった方が良いだろうか。
少し考えて、
「ううむ・・・いや、直接聞いてしまいましょう」
マサヒデが歩き出すと、カオルが慌ててマサヒデの稽古着を引っ張り、
「私が尋ねて参ります!」
「おっと・・・っと」
引っ張られたマサヒデが足を止める。
マサヒデが振り向くより前に、ささっとカオルが早足で行ってしまった。
カオルの背中を見送りながら、
(正体も分からない武術家に、さすがに不用心か)
自分の迂闊さに、苦笑しながら訓練場を歩いて行く。
いきなり面と向かって「何者ですか」と尋ねるのは・・・
こういう時こそ、忍の出番ではないか。
カオルの出番を奪ってしまってはいけないかな、と頭をぽりぽりかく。
思い返すと、結構、忍の出番を奪ってしまっているような気がする。
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「よっと・・・」
訓練場の重い扉を閉めると、廊下の脇で先程の男とカオルが顔を突き合わせて、頷きながら何か話している。特に殺気立った感じではない。
はて、とマサヒデが見ていると、男がにこにこ笑いながら口に指を当てて、ポケットから紙とペンを出して何やらさらさらと書き、カオルに渡した。
(うん?)
カオルが渡された紙を見て、目を見開いた後、慌ててちらちらと左右を見て、紙を懐に丸めて入れる。
(情報省の者か?)
忍らしい感じはしなかったが、もしかして情報省の忍だったのだろうか?
カオルに何か報せでも持ってきたのかもしれない。
あの驚きよう、余程の事だろうか。
見ていると、は! とカオルがマサヒデに気付いて顔を逸らす。
だが、表情からして、どうも悪い事ではなさそうだ。
男はにっこり笑って、マサヒデに軽く頭を下げて去って行った。
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食堂。
マサヒデはいつもの日替わり。
カオルもいつもの焼き魚定食。
黙々と箸を進めていると、カオルが顔を上げて、
「ご主人様」
「む。どうしました」
「かの男ですが」
すっとカオルが箸を置く。
「ああ。随分と驚いていましたが、もしかして情報省の方ですか?」
「いえ」
ちら、ちら、とカオルが周りに目を配り、口に手を当てて、
「王流のお方です」
マサヒデが眉をひそめ、
「すみません。おうりゅう?
もしかして、王様の王に、流れると書いて、王流?」
「はい。その王流です」
「む・・・」
これには驚いて、マサヒデの箸も止まってしまった。
王流とは!
戦乱期、ブデン王を守護する7家にのみ伝えられたと噂される、一子相伝の幻の武術! 天空に輝く死を司る七つの星に例えられ、それを見た者は死ぬと噂される! と言うより、只のおとぎ話と言われる流派である!
マサヒデも一瞬は驚いたが、ふっと鼻で笑って、
「本物ですか? そもそも、王流ってあるんですか?」
対してカオルは真面目な顔で頷き、
「ございます。戦乱の世も遠く過ぎ、今は7家とも捨扶持で暮らしておりますが、各家にしかと伝承されております」
「ええ? 本当だったんですか? 聞いた事がありませんが」
「他に見せる事が禁じられておりますゆえ、当然かと思います。
されど、情報省には確かに7家の情報もございます。
どの家も、最重要の監視・保護対象になっております。
気配は感じませんでしたが、かの者にも監視がついておりましょう」
「で、先程の方は、本物の王流と」
「はい」
止まった箸を動かし出し、
「なぜこちらに」
「トミヤス道場に向かう途中だそうです。
武者修行と言うよりも、他派との交流をしたいと。
旅の途中、ご主人様がこちらで毎朝稽古をしておられると聞いたそうで」
「え? 交流ですか?」
他に見せる事が禁じられている流派が、交流?
どういう事だろう。
「見せてはいけない技術もありますが、見せても構わない技術もあるそうで。
各家から見せても構わない所をまとめ、近く道場を開く予定だとか。
王流の7家も、今は捨扶持で貧乏暮らしですから・・・」
「へえ・・・王流の道場ですか」
「さすがに『王流』とは名乗れず、別名で新しく流派を立ち上げるそうです。
それで、道場を開く前に、各地の道場との伝手を作っておきたいと」
「確か7家は・・・」
マサヒデが箸を置いて指を繰りながら、
「剣術、体術、棒術、槍術、弓術、陰陽術、と、あとは・・・」
マサヒデがカオルの顔を見ると、カオルが頷き、
「忍術。我らの術も王流忍術の流れを汲む、と言われております」
「ほう! カオルさんの術って、王流の流れだったんですか」
「真偽は分かりません。何しろ王術は固く秘されておりますし、見た事もございませんので、比べる事も出来ず。新しく開かれる道場でも、さすがに忍の術は教えないかと思いますが」
「で、その方がトミヤス道場へ。父上の所へと」
「はい」
「どの家の方ですかね」
「ううん・・・名は知っておりますが、どの家がどの教えを継いでいるかは。
私には、最重要の保護対象だという事しか分かりません。
申し訳もございません」
「謝る事はありませんよ。で、道場、でしたね」
「は」
マサヒデがにやっと笑って、
「これ、良い機会ですよね」
「は」
「王流。私は、今のうちに仲良くしておくのも良いと思います。
カオルさんはどう思います?」
「同じく」
「私は道場には行けませんし、頼んでも良いでしょうか」
「は!」
慌ててカオルがすごい早さで飯をかき込み始める。
カオルの様子を見て、マサヒデも食べながら、
「馬を飛ばせば、すぐに追いつくでしょう。
2頭出して、1頭は道場までは貸して・・・
もし道場で泊まるとなったら、カオルさんも泊まって構いません。
出来る限り、習ってきて下さい。頼みます」
がた、と音を立ててカオルが立ち上がり、
「行って参ります!」
「よろしくお願いします」
「は!」
昼時の混み合う食堂をするすると抜けて、カオルが出て行った。
王流の武術。
王流は7家ある。どの家の武術であろうか。
マサヒデの胸が一瞬踊り、ぐっと強い後悔の念が浮かび上がってきた。
稽古の際、立ち会ってもらえていたら・・・