第743話
翌朝、魔術師協会、庭。
いつもの素振りを終わらせた後、本日は抜刀術もと、カオルと向かい合って真剣で抜き、構える。互いに剣が当たらぬよう距離を離して練習しているし、マサヒデは練習用の刀だが、カオルは真剣。やはり真剣稽古は緊張感が伴う。
何度目か、しゃ! と抜いて、構えて、納めて、と繰り返していると、
「そろそろ朝餉に致しましょう」
と、マツが縁側から声を掛けてきて、は! と2人が縁側に顔を向けた。
「おっと・・・つい熱が入ってしまいましたか」
「奥方様、申し訳ございません」
カオルがマツに頭を下げる。
「構いませんよ。さ、お二人共、汗を流して上がって下さい」
「はい」「は」
水浴びはカオルが先。
マサヒデは縁側に歩いて行って、座って横に練習用の刀を転がし、
「ふう」
と小さく息をついて、両手を横について朝の空を見上げる。
居間で膳を前に待っている3人に、
「先に食べていて下さい」
「はーい! いただきまーす!」
シズクが声を上げて椀を持つと、クレールも手を合わせて、
「頂きます!」
2人はがつがつ食べ始めたが、マツが空を見上げるマサヒデに、
「どうかなさいましたか」
と、声を掛けた。
マサヒデは上を向いたまま、
「うん・・・少し、何かこう・・・違和感があるんですよ」
「剣術で」
「いえ。身体の方ではないのです。ううむ、何でしょうかね、この感じ。
悪い感じではないのですが。良い感じでもない、ですが・・・何だろう」
「鉱脈が見つかって、牧場も出来て、製鉄も始まります。
最近は色々と忙しくされておられましたし」
マツが小さく笑って、マサヒデの背を見る。
歳の割にはしっかりしているが、まだ16歳なのだ。
マサヒデが小さく首を傾げて、
「そうですかね。何かこう」
言いかけた所でカオルが戻って来て、
「ご主人様。井戸を」
「む。ありがとうございます」
マサヒデが立ち上がって、手拭いを懐に入れて井戸に行ってしまった。
カオルが歩いて行くマサヒデを見て、マツに目を向け、
「奥方様。何か」
マツは小さく肩をすくめて椀を取り、
「さあ。何か違和感を感じるとか」
「違和感を」
カオルが少し目を細める。しん、と庭を眺めるが、雀の鳴き声とマサヒデが向こうでばしゃばしゃ浴びている水の音、そして常駐の忍の気配のみ。
まさかな、と思いながら玄関の方に回ってみるが、誰も居ない。
門の外に見える、向かいの冒険者ギルド、通りを歩く町人達。
すうっと気を巡らせてみるが、いつもの朝と何も変わりはない。
(はて)
そのまま玄関から居間に上がって、奥の部屋に入ってさっと着替える。
脇差を挟んだまま膳に付き、
「頂きます」
と手を合わせて椀を取り、小さく眉を寄せ、
「何者かが居る訳でもなさそうですが・・・
まあ、居れば私が気付かずとも、皆様がお気付きになられるでしょう」
「季節の変わり目ですから、気付かずにお身体に変化があったのでしょうか」
「かも知れませんが、ご主人様の勘は」
と言いかけて、言葉を切る。
マサヒデはカオルにはよく分からない、違う所で感じる所がある。
立ち会いでも、殺気云々という所ではなく、相手が醸し出す空気で気配やらを感じ取ったりする・・・
「何か・・・我らの方で、変化があるのかも知れません」
「私達の?」
んん? と、飯をがっついていたクレールとシズクがカオルに顔を向けた所で、マサヒデが顔を拭いながら縁側から上がって来た。着替えに奥に歩いて行くマサヒデを、皆が箸を止めて見送る。
「私達、何か変わったんでしょうか?」
クレールが自分の腕をちょっと上げて見て、皆の顔を見渡す。
マツもシズクも、同じように自分を見て、周りを見ている。
「私には良く」
マツが小首を傾げる。
シズクも首を傾げて、椀に向かう。
「ううん・・・私も分かんないな? まあ、食べよう」
「そうですね。悪い感じではないと仰っておられましたし、また面白い事でも起こるのかもしれませんね」
ふふ、とマツが笑って椀を取ると、クレールもにっと笑って椀を取る。
カオルが苦笑しながら箸を動かし、
「奥方様。ご主人様の『面白い事』は、面白いだけでは終わりません」
「ふふ。そうですね」
笑いながら、2口目を口に入れた時に、着流しのマサヒデが入って来て、膳の前に座る。
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朝餉を終えて、ギルドで朝稽古の時間。
シズクは今日から警備に入ると言って、牧場に歩いて行った。
マサヒデ達も町の門まで歩いて行き、牧場の様子を遠目から見る。
もう2頭の馬が厩舎から出されて、馬屋と一緒に歩いている。
馬が一足歩くたびに、朝日をてらてらと反射して輝く。
遠くから見ても、あの馬の輝きはすごいの一言だ。
「馬屋さん、もう出してますね」
「昨晩は、本当に厩舎で寝ておられたのでしょうか」
ふ、とマサヒデとカオルが笑う。
「あの様子では、いつまで経っても引っ越しが出来ませんよ。
朝稽古が終わったら、我々で馬を見ておきましょう。
馬屋さんには、その間に戻って引っ越しの準備をしてもらって」
「ふふ。もう『馬屋』ではなく『牧場主』ですね」
「確かに」
くるりと回って、冒険者ギルドに歩いて行く。
「そう言えば、牧場の名前、決まったんですかね?」
「ああ、決めておられませんでしたね。
さすがに、もう決めておられるのでは」
「黄金牧場とか、嫌らしい名前にしてないでしょうね。
アルマダさんに怒られますよ」
「名は体を表すと申します。黄金牧場でも構わないのでは?
何より、分かりやすいですし」
「まあ、確かに分かりやすいですけどね」
朝から人が集まるギルドに入ると、いつものように受付嬢の元気な声。
「トミヤス様、カオルさん、おはようございます!」
「おはようございます」
笑って返事を返してそのまま通り過ぎそうになり、おっ、とマサヒデが足を止め、
「そうでした。今日、明日くらいに、私かイザベルさん宛に通信が届くと思いますが、聞いていますか?」
「はい! 聞いております!」
「あ、良かった。何も無ければ、数日はここか魔術師協会で大人しくしているので、来たら呼んで下さい」
「はい!」
「では」
軽く頭を下げて、マサヒデ達は訓練場に向かう。
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しばらく冒険者同士の自由な立ち会いを見ながら、気付いた所に注意、助言を入れていく、という形で稽古をしていたので、今日はマサヒデとカオルが前に立ち、各人と1対1で立ち会う。
「本日は、私達と1対1での立ち会い形式で稽古を行います。
私とカオルさんとはかなり違うので、1回ずつ立ち会って下さい。
今日は今までの稽古の成果の確認と言った所ですね」
マサヒデが気不味い笑みを浮かべて、軽く頭に手を置き、
「あ・・・っと、そうだった。普段は盾を使う方、いらっしゃいますか?」
数人の冒険者が手を挙げる。
マサヒデが軽く頭を下げて、
「では、準備室から訓練用の盾を持ってきて下さい。
お手間を掛けして、大変申し訳ありませんが」
「「「はい!」」」
手を挙げた冒険者達が立ち上がって訓練場を出て行く。
ちら、と冒険者達を見送り、
「では最初の方」
「はい!」
(ご主人様)
カオルの小さな声。
勢い良く声を上げて手を挙げた冒険者の隣を見て、マサヒデが目を見開く。
「う」
(何者でしょう)
隣でカオルがマサヒデだけに聞こえるように、口を動かさずに囁く。
背の高い、小太りの、大柄な男。
年齢はカゲミツと同じくらいだろうか。
普通に稽古着を着て混ざっていたが、何者だ?
立ち上がり歩いて来る冒険者を視界の隅に捉えながら、目は男に釘付けだ。
カオルも、鋭い目でじっと男を見ている。
この男、冒険者ではない。武術家だ。
マサヒデの前に冒険者が立ち、マサヒデは冒険者に向かって竹刀を垂らす。
目の隅で、男がにやっと笑ったのが分かった。