第737話
オリネオの町、歓楽街。
この町に来て長いが、マサヒデはここらを回った事がないので、散歩に来ている。
お目付けにカオルも一緒だ。
「ふうん・・・」
マサヒデが歩きながら、あまり興味なさそうな声を出す。
「あまり面白い所ではありませんでしょう」
「まあ、正直に言うとそうです」
「ふふ。夜になると変わります。店の前に、提灯が沢山並んでおりましょう」
「ええ」
「あれらが灯り、明るい通りになります。美しい通りになりますよ」
「へえ。でも、夜なんかに来たらマツさん達が怖いですよ」
「ふふ。確かに」
「それにしても」
ちら、と前から歩いて来る同心を見る。
「ここは、昼間から同心が多いですね。あれ、何人目ですかね」
「まあ、厄介も多い所ですし。常設番所が入口にありましたが」
「え、ありましたか?」
「ありました。見落とされたのですか?」
「全然、目に入りませんでした」
「ふふふ。初めての場所で浮かれておりましたか」
「どうでしょう。カオルさんの服が気になってましたから」
くす、とカオルが笑って、
「ご主人様、それは誤解を招きます」
「え? ああ、ううむ。そうですね」
少し顔をしかめながら歩いて行く。
おや、とマサヒデが大きめの店の前で足を止めて、
「ここは・・・ここですかね。イザベルさんが言っていた、椿油の店」
開いている戸から、店をひょいと覗く。
中には人が多い。
「子供もいますね。女の子は子供からおしゃれに敏感ですか」
「あれは禿です。お使いに来ているのですね」
「かむろ?」
「遊女お付きの下働きのような者です。将来、あの子供達も遊女となります」
「へえ」
「多くは売られた子供です。稀に口減らしを拾ってくる事もありますが」
「売られた・・・」
マサヒデが嫌な顔をする。
この国でも奴隷は認められてはいるが、好きな制度ではない。
カオルは首を振って、
「ご主人様、勘違いをされております。奴隷とは違います。
売られたとは言っても、適当に買ってくる訳ではございません」
「どういう事です」
「禿になる事が出来る子供は、才と器量を認められたごく一部。
先程お話ししたように、遊女には学問や芸が必要。
小さなうちからそれらの教育を受けられ、衣食住も保証されます。
人買いと言っても、奴隷として買うのではなく、引き抜きに近いものです」
「ふうむ。引き抜きですか。選ばれた子供ということですね」
「そうです。あの子供達は、謂わばエリートなのです」
「へえ・・・」
油の小瓶を持って店を出て行く子供の後ろ姿を見送る。
あの子供はエリートなのか。
「では、マツさんとクレールさんに、土産に買っていきましょうか」
「は」
笠を取って、店に入る。
ほのかに花のような香りがする。
香油の香りだろうか?
「ううむ」
適当に油の小瓶を持ち上げて、透かすように眺める。
銀貨15枚。
こんな小瓶で、こんな値段がするのか・・・
化粧品とは高い物だ。
「ご主人様、私が見立てましょう」
「お願いします。私にはさっぱりです」
カオルが次々と瓶を開けて、す、す、と小さく鼻を鳴らし、
「こちらで良いかと」
2つの瓶をマサヒデに出す。
「早いですね!?」
「良い椿油です。こちらがマツ様、こちらがクレール様」
「カオルさんはいらないんですか?」
「匂いが着くと困りますので。では、会計をして参ります」
カオルが、さささ、と客の間を抜け、会計に並ぶ。
改めて見ると、客が多い。
(突っ立っているのも邪魔かな)
マサヒデは店から出て、入口から中を覗く。
やはり、ここは一流の椿油の店なのだろう。次々と人が出入りしていく。
この大きな店構えも納得だ。
少しして、カオルが会計を終えて出て来た。
「お待たせ致しました」
「いえ、ありがとうございます。それにしても、凄いですね、この店」
「ええ。次々と売れていきますね。イザベル様が言っておられたように、毎日売り切れ御免というのも嘘ではございますまい」
すっと頭に笠を乗せて、
「じゃ、土産も買ったし、そろそろ帰りましょうか」
「そうしましょう」
----------
通りを歩いて行くと、先程まで気にしていなかった子供達が目に映る。
まだ明るいし、一見、少し店構えの違う通り程度にしか見えなかった。
が、走り回る子供達は、確かに遊んでいる風ではない。
「あの禿って子たち、あんな年から仕事してるんですね。
まだ修行中、といった感じですか」
「そうです。衣食住に教育費。禿には大金が掛かっております。
遊女になれば高級な衣装に装飾品、化粧品もさらに」
「ふむ・・・」
「今は借金をしている状態で、引退の27歳になると借金なしとされ、その後は自由の身になります」
「27歳?」
「そのように決まっております」
「へえ」
「多少借金が残っていても、27まで勤め上げれば、借金は棒引きになる場合がほとんどですね。自由の身と言っても、お得意様に身請けされるか、店に残るかです」
「身請け?」
「貴族や金持ち商人が妾として買います。買うと言っても、やはり奴隷のようなものではなく、大枚をはたき、どうしても側に置いておきたいから、という感じになります」
「へえ」
「いくら教育があるとはいっても、やはり遊女という偏見が大きく、ほとんどは正妻にはなれずに妾となります。ですが、礼儀作法も叩き込まれておりますし、子の教育係として優秀な人材となりますから、身請けされた方々には、そうして活躍される方もおられます」
「あの子達も、将来そうなるんでしょうか」
カオルが目を細める。
そうなってくれれば良い。
現実には、27歳の年季まで勤め上げる者はほとんどいない。
客に金を貢いでしまう者。
客との諍い等の慰謝料で、さらに借金を重ねてしまう者。
身請けもおらず、店からも見放され、格下の切見世や岡場所に売られる者。
同僚から私刑を受け、使い物にならなくなり捨てられる者、死ぬ者もいる。
だが、マサヒデはこの過酷な現実を知らなくても良いと思う。
カオルは頷いて、
「将来はどこかの貴族の家で、教育係として重宝される事になるでしょう」
マサヒデが走り回る子供を見ながら、にこにこして、
「27歳か。頑張ってほしいですね」
「はい」
カオルは暗い顔をしているかな、と、笠を下げて頷いた。
にこにこするマサヒデに対し、カオルの気分は少し暗くなってしまった。
あの子供達に、花魁として成功する者は何人いるだろう・・・