第736話
オリネオの町、歓楽街前。
マサヒデが通りの入り口で足を止めて、くいっと菅笠を上げる。
「へえ・・・見た感じ、別に訝しい感じはしませんが」
「夜になれば分かります」
首を曲げて向こうを見る。
ここは魔術師協会がある町の門から反対側。
少し歩けば、反対側の門があって、アルマダ達の野営地のあばら家だ。
「まさか、アルマダさん達はここで遊んでるんじゃないでしょうね」
「ふふふ。ハワード様はないでしょう。
女性が欲しくなれば、歩いているだけで寄って来られるのですから」
「それもそうですよね」
「騎士様方は、息抜きに行って来いと言われる事もあるかもしれません」
「息抜きですか」
「良い酒と美しい女と」
マサヒデが首を傾げて、
「私の周りには美しい女はいますし。良い酒は三浦酒天で買えますし。
そもそも、あまり酒は好きではありませんし。全く用のない所ですね」
「その美しい女の中には、私も入っておられるのですか?」
「勿論、入ってますよ」
「ふふふ。ご主人様もお上手になりました」
「ははは! ここで入ってません、なんて言えないでしょう!」
「お世辞だったのですか?」
「ふふふ。さあ、どちらでしょう。
しかし、カオルさんの美しい顔は、今でも忘れられませんよ」
カオルがぺたぺたと頬に手を当て、
「そんなに変な顔でしたか?」
「いや、そうではなく、いきなり服を脱ぎ捨てて、あのぴったりした服に。
あれには驚きましたよ。あれっていつも着てるんですか?」
「はい。今も着ております」
「へえ・・・」
カオルに目を向けて、襟元や袖口をじろじろ見る。
全く分からないが、この下に着ているのか?
「失礼します」
カオルの手を取って、袖を捲る。
「な、な、なにか」
手の甲から手首の上まで手を滑らせる。全く分からない。
この肌の下に、あのぴったりした服を着ているのか?
変装はまだ分かる、というか、分からないが受け入れられる。
だが、男などに化ける時はどうしているのだ?
「カオルさん」
「ご主人様、通りのど真ん中でこのような」
「ああ、すみません」
手を離して、
「カオルさん、今、爺さまとかに変装出来ます?」
少し慌てた感じのカオルが顔を引き締め、声を低くして、
「何かございましたか」
と、小声で言って、ちら、ちら、と左右に目を配る。
「ああ、いえいえ。そうではありません。
あのぴったりした服、その肌の下に着てるんでしょう?」
「ああ、そういう事で。着ております」
「全然、継ぎ目というか・・・そういうのがないんですが、他の姿に変わる時って、どうなるんです」
「申し訳ございません。それはお答えしかねます。
変わり身の技術も秘でございますゆえ」
「少しは涼しくなりましたけど、暑くないんですか?」
「いえ。暑さ寒さはございません。水もほとんど通しません」
「ええ? じゃあ、汗すごいんじゃ」
「汗は抜けていきますし、息苦しくなるような事もございません」
「へえ! どんな布なんです、それ。私にも1着欲しいですね」
「申し訳ございませんが・・・」
「まあ、ですよね」
「それに非常に高額です。シズクさんと立ち会った時、1着破れてしまいましたが、とても払えず。現在も給与から引いて、分割払いをしております」
「カオルさんは、いつもそんな服を着て歩いている訳ですか」
「ふふふ」
マサヒデが歩き出すと、カオルも隣について歩き出した。
歓楽街の通りに入って、少し歩いて、すぐマサヒデが足を止める。
「あれ?」
「どうされました」
マサヒデが首を傾げて、
「ここって、前に来ましたよね?」
と、きょろきょろ周りを見て、裏通りを指差し、
「ほら、あそこ」
「そう言えば、シズクさんの宿はこの奥でしたね」
「ああ! そうか、それで見覚えがあったのか。
歩いていて、何となく初めてって感じがしなかったんですよ」
「この辺りは、1本入れば安宿、安酒場ばかりですから。
探すには苦労を致しました」
「この通りはそんな感じでもありませんが・・・」
マサヒデが歩き出して、通りの店を見回す。
「大体、色町というのはそういう感じです。
表通りは綺麗な店が並び、1本裏に入ればああいった店が」
「何故でしょう」
「色町の多くは、誰の領地でもないとか、領主から見放されたような安い土地に、いかがわしい者達が勝手に住み着きだして作られるのです」
「ここは町の塀の中ですが」
「元々、宿場の色町から出来た町なのでしょう」
「え? そうなんですか?」
「おそらくですが。ここには川も流れておりますし、河原者の集落だったのではないかと思います。後に町を建てる際に、区画整理されたのだと思います」
「へえ・・・区画整理されたのに、そういう安宿とかが出来てしまうのは」
「このような区画は、どこも土地が安くなりますから。いかがわしい店の近くに家を建てたがる者はおりますまいし、居住区にもなりません。その結果、裏通りには訝しい店が増えていきます」
「なるほど」
「やくざ者や傾奇者も、大体こういう所に多く住み着いておりますね」
「やれやれ、傾奇者ですか」
以前、屋台を壊していた傾奇者を思い出す。
痛めつけてやったが、ここにもいるだろうか。
「今はあのような無分別な者は大人しくしておりましょう」
「ここに無分別ではない傾奇者っているんですかね」
「おりますとも。ほら、あそこに」
カオルが指差した方を見ると、茶店の長椅子で大柄な派手な格好の男が数人の女に囲まれ、にこにこしながら紙に何かを書いて女達に見せている。
「何やってるんですか、あれ」
「歌でも教えているのでは」
「歌ですか」
「遊女にはそのような知識も必要になってきます。
床の作法は当然、歌、茶、絵、楽器。文学に歴史、流行りの物も全て。
どんな客でも楽しませる事が出来る場を作らねばなりません。
ただ客の酒に付き合うだけではなく、一流の遊女は一流の文化人です」
「へえ! それは知りませんでした」
まともな傾奇者は文化人と知ってはいたが、遊女もそうだったとは。
「あの方々は遊女なんでしょうか? 何かこう、花魁って感じではないですが」
「仕事時間でなければ、普通の格好をしておりますよ」
喋りながら歩いて行くと、傾奇者らしき男がマサヒデに気付いたのか、カオルに目を付けたのか、こちらを向いてにっこり笑って小さく手を挙げた。以前、暴れていた傾奇者とは全然違って、粗暴な感じは微塵もなく、人好きのする顔だ。囲んでいる女達も笑顔だ。
マサヒデも菅笠を上げて、笑みを返して軽く頭を下げる。
そのまま立ち去ろうとした時、後ろで「あっ」と女達から声が上がった。
「トミヤス様!」「カオル様!」
「うっ!」
「ご主人様、行きましょう」
「はい。歌の勉強なんて真っ平ですよ」
すたすたと足を早めて、2人が歩いて行く。
まさか、色町で女に声を掛けられるとは・・・
こんな所で女と喋っていた、などと知れたら、後でマツに何をされるか。
マサヒデが慌てて離れて行くと、後ろで大きな笑い声が上がった。